√トゥルース -064 昨夜の少女たち
「あの、ニー様。少しお聞きしても良いでしょうか」
月見から部屋に戻ったティナが、意を決したようにシャイニーに声を掛けた。
風呂から出た後、屋敷の外へ月を見に行って皆に呪いの解けた顔をたっぷり見られて恥ずかしさMAXの赤面をしたシャイニー。皆が堪能した後になって漸く手鏡を渡され、初めて自分の呪いの解けた顔を見たシャイニーは、その場に泣き崩れた。
どうして泣き崩れたのかは自分でも分からなかったが、自然と涙が流れたのだ。悲しいのかも嬉しいのかも分からない。いや、両方の感情が押し寄せたのだ。
以前、トゥルースから顔の火傷のような痕は呪いであり、月明かりに照らされるとその呪いが解ける話を聞いてはいたが、実際に自分の目でそれを確認した事はなかった。ただ、その事に一番に気付いたのは自分を身も心も救ってくれた大事な人だ。
孤児院では日が暮れる頃には食事や風呂の用意で大忙しであり、外に出て月を眺める余裕なんて全くなかった。当然、呪いの解けたシャイニーの顔を見る者は皆無であり、孤児院を放り出された今までその事実に気付く事がなかった。その上、トゥルースにその可能性を指摘されても怖くてそれを確かめようとはしていなかったのだ。
今更であった。
自分の顔にある火傷のような痕は生まれながらにしろ呪いのせいにしろ、親に捨てられる理由としては十分なものだ。そしてそれがあるのが当たり前であり、ずっと虐げられてきた原因でもあったのだ。
その忌々しい痕が無い顔がこの目で見られるなんて……
その整った自分の顔を見て涙が溢れたシャイニー。
この顔であれば、また違った人生が歩めただろうに。しかし火傷のような痕があった為に、大事な人にめぐり会えたのも事実。痕があろうと自分を大事に扱ってくれた同い年の男の人に。
どちらが良かったかなんて今更比べようがない。過ぎ去った時間は取り戻す事は出来ないのだから。
だけど、この整った顔を月夜だけとはいえ、その人に見て貰える。その喜びがどれだけ大きい物か。
そして悔しさも並大抵のものではなかった。その整った顔をいつでも見せる事が出来ない事に。
その顔を自分の目で見て涙を流し、初めて気付く事は多岐に亘った。そして改めて自分の気持ちに気付く。
その人が自分にとって本当に大事な人なんだと。
それまで呪いの解けたシャイニーの顔をはしゃいで見ていた皆が、そんなシャイニーに慌てた。
当然呪いの解けた顔に喜ぶものと思い込んでいたのだ、まさか泣き崩れてしまうとは、と。皆、シャイニーの境遇は簡単にだが聞いてはいたが、実際のところはそれかどれ程のものだったのかは想像もつかなかった。少なくともそこにいた女性陣は今までそれなりの苦労をしているとは思っていたが、それでもシャイニーには遠く及ばなかったのだから。
苦労とは最も縁の遠いと思われた帝王の娘であるファーラエでも、それなりには苦労する事はある。過去にはその見目の為に、勘違いした豚貴族が勝手に婚約者を名乗ったり、連れ去りに遇いかけたり。都度、ミックティルクが間に入って助けたり帝王自らが相手を排除したりで大事には至っていなかったが、それでも怖い目には何度も遭っていた。
そんな中で帝王が関わった案件では相手が気の毒になる程の苛烈な制裁を受け恐れられたので、今では無闇にファーラエに手を出そうとする者は殆んど現れなくなっていた。
まあ、帝王の耳に入る前にミックティルクが先に制裁を加えて止めてしまう事が多かったので、帝王の怒り狂う姿は滅多に見る事はなかったのだが。
逆に言えば、それは帝王ですら相手が気の毒に思える程の苛烈なものなのであった。その手法はと言えば、帝王は社会的にだったが、ミックティルクは精神的に抹殺していた。
血は争えないが、どちらが良いのかは触れないでおこう。
勿論、他の者もそれぞれ苦労はしている。
カーラは今も貴族、ラナンは元貴族の家柄で、どちらも祖父が一代男爵であった。
ラナンの祖父は騎兵から前国王お付きの近衛兵にまで登り詰めた形上がりであったが、一昨年に若くしてこの世を去っており家は一般市民に降格となっていた。爵位が付く事でお金が貰える訳ではないが、色々な特典があるのでそれを利用して家を栄えさせるのが定番だ。
ラナンの家はラナンの父が兵士として仕え、現在では騎士にまで登っており、母は小さな商店を営むようになっていた。それによって祖父が存命の頃と同じ水準の生活を保てており、ラナンはそんな母の手伝いをよくしていた。ラナンのいない今は弟たちが手伝っているのだが、店の立ち上げ当時は苦労したものだ。
幼女趣味のオッサンに下衆なオヤジ、帝国では禁止されている他国の奴隷商等が看板娘となったラナンに甘い言葉を振りまいたり、近所の根暗坊主が四六時中物陰からラナンを観察したり。何度官憲の世話になったか数えきれない程であった。
カーラの祖父は存命だが、カーラの家も祖父が逝去すれば家の格は一般へと降ろされる運命だ。しかし、まだ対策らしい事は何もしていなかった。
というのもカーラの家は歴代軍人家系でカーラの父も兄も兵士として仕えており、カーラの弟も志願する予定であった。またカーラの母も元は兵士であり、長男を身籠った時に軍から身を引いていたが、いつでも軍に復帰できるように体を鍛え続けている程であり、他の職は考えられなかったのだ。
そんな中で育ったカーラも軍に入隊するべく家で鍛錬を重ねていたのだが、兄弟たちに比べて才能も意欲も低かった。女であるカーラが兄たちより能力が低いのは仕方ないとして、意欲が低かったのには理由がある。
カーラの祖父は若い頃にあった戦争で武功を立てて一代男爵を叙爵賜ったのだが、それも五十年近くも前の話だ。
それ以降は大きな戦争はなく、せいぜい他国の一領軍が暴走し帝国に押し入ろうとしたのを押し返して鎮圧、逆にその他国領を制圧してしまう事があった程度だ。それも戦争と呼べるようなものではなく、大人が子供を押さえ付ける程の力量差があった。この一件があった事もあり、周辺国は一切反旗を翻すような事は起こさずにいた。
その事から、カーラは帝国の軍は強大な抑止力である一方、その力を振るう事はもうないのではと考えていた。なので軍はただの就職先のひとつとしてしか見る事が出来なくなっていたのだ。
振るう事のない力の為に毎日鍛える事の意味に疑問を持ったカーラは、軍人家系の中で異端とされ肩身の狭い思いをしていた。そんな中、祖父たちの交流もあって顔見知りだったラナンと仲が良くなっていくのは必然だと言えた。そしてそんな考えを持つカーラの事を耳にしたミックティルクが二人とめぐり会うのも当然の結果であり運命であったのだ。
侍女や姫付騎士たちも、王宮で働く以上は苦労は絶えない事は概出の通り。貴族出身の同僚からの冷たい対応に耐え忍び、主の為を思って一心に仕えていたのだ。それがあったからこそ第三王女お付きと相成ったのだが。
そしてリム。
希少な宝石であるピンクナイトレインボーの原石を扱う村ではトゥルースの故郷であるバレット村と同様に村人のみでその石を扱う方式を取り入れている。扱える量が限られている為、一族経営で流出量を抑えて石の枯渇と価格の暴落を防いでいるのだ。
もし利益重視の強欲な者が経営しようものなら、その一代だけで石の産出は絶えていたかも知れないし、価格も半値以下にまで落ちていただろう。勿論、一族の中にそのような者が出てくる可能性はゼロではないので、経営に携わる者は掘削や行商も経験してその苦労や稀少性を身をもって覚える事としていた。
そんな中でリムは兄アディックと行商をしているが、将来的には一人で行商をする予定となっていた。アディックが家を継ぐ為に村に戻る予定なのだ。石関係の経営ではなく村に必要な物資の仕入れ販売をする村内販売所の運営の為だ。
しかしリムは継ぐ家は村にはなく、石を売り歩くか嫁ぐしか道はない。村の人数は既に上限に達しているので、村に留まる事は出来なかったのだ。そこはシビアではあったが、他の貧乏な村に比べればお金を稼ぐ術があるだけ随分とマシであると言えよう。
リムがアディックと共に行動しているのはリムの経験積みの為であるが、体術の使えないリムをアディックが心配して、通常一度だけである付き添いを二度目である今回も同行していた。アディックとしては良い嫁ぎ先を何とかして見付けてやるつもりでいたのだが、そう美味い話がある筈もなく……。
加えて石の盗難騒ぎである、アディックが言葉少なくなるのも頷けるというものだ。
共に部屋へと戻ったティナが、女中に頼んだ蜂蜜入りホットミルクを椅子に腰掛けたシャイニーに手渡す。
幾分落ち着いたものの、まだ表情の固かったシャイニーがそれに口を付けコクリと喉を潤すと、漸くホッとした表情を見せた。それを見てホッとするティナ。
「あの、ニー様。少しお聞きしても良いでしょうか」
情勢の穏やかな王国の王女であったティナでもファーラエに似た経験を持つが、どちらかと言えば腹黒な貴族の相手にうんざりとしていた。何かと便宜を図って貰おうとしたりその恩恵を授かろうと取り入ろうとする輩の多い事。国王や宰相では相手にされないからと、成人を前に社交界デビューしたティナを相手に執拗に働きかけをしてきたのを追い払うのにどれだけ苦労した事か。
相手が大人なら父である国王に振れば良いが、それが同年代の貴族や豪族、成り上がり商会の子女たちが相手となると無下にも出来ないし、適当にあしらえば悪い噂を流されるかも知れない。
良き嫁ぎ先を得る為には普段から弛まぬ努力が必要なのだ、それが正しいかどうかは別にして。
しかし、そんな一般人が経験する事のないティナの苦労ですら霞む程の苦労を経験してきたシャイニーにどう声を掛けて良いのか迷ったが、 今、自分たちのリーダーであるトゥルースは風呂に行っており、またフェマも風呂を出た後は何処かへ行ってしまっていたので、部屋には二人しかいなかった。
二人きりになる事は今までもそうそうある事ではなかったので、今しかチャンスはないとばかりにティナが声を掛けたのだ。
「あの……ニー様はルース様の事をどう思われているのですか?」
「ふぇ? どうって?」
「その……ニー様はルース様の事を好いておられるのかって事です」
面倒な女の駆け引きはシャイニーには伝わらないと考えたティナは、ストレートにどう思っているのかを聞く事にしたのだが少々直球過ぎのような気もする。しかし、そうでなければ世間知らずなシャイニーには伝わらないと直感したティナは直接的に話をする事にした……のだが。
「ウチがルー君を? それは……よく分からない。でも、たぶんそうなんだと思う」
「よく分からない、そう思う、ですか。でも、それは少なくともニー様はルース様の事を良くは思っているって事ですよね」
「勿論ルー君の事は良く思っている、と言うか感謝しかない、かな?」
「感謝、ですか?」
「だって、ウチの事を助けてくれただけでなく何の特にもならないどころかお金が掛かるのに、こうして旅に連れてってくれているんだもの。それにウチを守ってくれるって……そんなの感謝してもしきれないよ。だからウチはルー君が連れていってくれる間は何があってもルー君の傍でウチの出来る事を精一杯するって。ウチがルー君を嫌いになる事なんて無いから……」
そう言い切るシャイニーに圧倒されながらも、尚も質問を続けるティナ。
「その……ニー様はわたくしが……その、邪魔ではないのですか?」
「え? そんなの思った事はない。何でそんな事を? ウチ、ティナさんに嫌われるような事した?」
途端に不安顔を見せるシャイニーに、ティナは慌ててそれを否定した。
「わたくしがニー様とルース様の間に割り入ろうとしているのを快く思われていないかもって……もしそうなら不本意ながらミック様に保護を求めようかと。あの方はわたくしの事情を聞かずに受け入れてくれそうですし」
「えっ!? そんな事をして、もしティナさんの身に何か起こったらどうするつもり!? 治ったと言っても完治しているとは限らないじゃない!」
「その時は……この身を投げる覚悟です。わたくしの呪いの為に他国の、何の罪もない人々に迷惑は掛けられませんから。幸い身を投げるのに都合の良い大きな湖もある事ですし」
そう言いながら窓の外に月の光を浴びて光る湖面を見るティナに、声を荒げるシャイニー。
「だ、駄目ぇ! そんな事はしちゃ駄目! 大事な命をそんな粗末にしちゃ駄目なんだからっ!」
魂の叫びだった。それもそうだろう、一度は生き続ける事に諦めようとし少年に救い上げられ生きて恩返しをしようとする少女に零す言葉ではなかった。
今まで出る事の無かった自らの失言に驚きつつ、出てしまった自分の本音に戸惑うティナ。呪いによって自分の体が竜化してしまう恐れが未だ消えない今、ずっと考えていた身の振り方がポロリと口から出てしまった事にすら戸惑う暇はない。今は再び涙を溜め込みながらその可能性を批判する少女を宥めるのに全力を注ぐ必要があった。
「ごめんなさい、ニー様。もう二度とそのような事は言いませんので、落ち着いてください。ね、ね」
「でもっ! ティナさん、そんな事を考えていたなんて!! そんな事になったら絶対許さないんだからっ!」
「分かりました、分かりましたから。もう身を投げるだなんて事は二度と考えませんから。だから泣き止んでください、ニー様」
縋り付いて泣きじゃくるシャイニーを抱きしめるティナの目にも涙が伝っていた。
今まで涙を流しながらもここまでして訴えてくれた人はいない。本当に自分の事を考えてくれているんだと実感するティナ。助けられてまだ半月しか経っていないのに、これ程にまで思われているだなんて、と。
それまで考えていた、呪いが再発した時の対処法はこの時点で却下だと判断したティナは、抱き合って泣いてくれる少女の為にも生き存える方法を模索していこうと心の中で決心するのだった。
「……どうしたんじゃ? おぬしらは」
それまでひたすらに下着を縫って縫って縫い倒した後に風呂で蕩け、スッキリした後は厨房で料理人たちに明日の下ごしらえの指南をたっぷりとして満足し部屋に戻ってきたフェマは、抱き合って泣きあう二人の少女たちに首を傾げたのだった。
昨夜の出来事でした。
書いている途中で投稿日を過ぎてしまって、こんな形になってしまいました。




