√トゥルース -034 少女と幼女
「...ん、ふぁ」
空が明るみだした明け方、いつものように一番に目の覚めた少女。まだ重たい瞼を無理矢理開けると、そこには縁の無かった自分を無条件で拾ってくれた大きな恩のある大事な少年の寝顔。更にその寝顔の向こうには、同じように保護された自分と同じ歳でありながらずっと大人な考え方や容姿をした女性の幸せそうな寝顔が。更に視線を足元の方に移せば、寝具に自分たちの半分程しかないくらいの膨らみが。恐らくいつものようにこの世界で一番永く生きているだろうけど、どこか危うげでいて儚く幼い姿をした幼女が潜り込んで丸まっているのだろう。
ふと上を見て思う。あ、知らない天井だ。
他の者たちが起きないようにそっと体を起こして周囲を見渡すが、記憶にない室内に戸惑いを見せる。ここは何処?と。
しかしシンプルでありながらどことなく高級感が漂う風合いに、昨夜は帝国の王族の屋敷に招待されていた事を思い出す。途端に昨夜の自らの失態が鮮明に甦ってきた。開けていた寝衣に気付いて、直しながらその記憶を整理する。
湯浴みに誘われた時には少し足元がフラついていた。日中は湖で泳ぎ、夕方からは関わった事のない帝国のとってもお偉い人にお屋敷へ招かれたので気疲れしたのだろうと。しかし、何年か振りの温かいお湯に浸かっていたら、じきに頭がぼぅっとしだして...気が付いた時にはあろう事か目の前に迫ってきた二人の自分にはない膨らみに手が伸びていた。
そして散々それを堪能した後、今度は自分を止めに入った仲間の女性の胸までも後ろから掴み掛かってしまった。
ああ、何て事をしてしまったのだろう、穴があったら入りたい。いや、それどころじゃないかも知れない。
自分の行いで、自分どころかこの大事な少年までも王族への不敬罪とかで罪を負わされるかも知れない。最悪、死刑なんて事も...
考え過ぎだとプルプル頭を振って、今まで体感した事がなかった程フカフカだった寝具からそっと降りる。すると足元の方で小さな膨らみがごそごそと動き出した。
「...ふぁぁぁぁ、もう朝か。よぉ眠れたわい。おお、嬢はもう起きておったか」
「あ、フェマちゃんおはよう。昨夜は迷惑を...」
「ああ、良い良い。それより、ここじゃと二人も起こしてしまうぞ?」
かぁかぁ、くぅくぅと寝ている二人を起こさないように素早く着替えたところで、ふと気が付いた。
並んでいるベッドはみっつ。ひとつはみんなが寝ていた右端の物。真ん中のベッドには腰掛けたような皺が二人分。残る左端のベッドには皺ひとつ付いていない。
「...ねぇ、フェマちゃん」
「何じゃ?嬢」
「この部屋って、もしかして三人部屋?」
「ああ、そうじゃの。わしら女三人の部屋じゃ」
「...じゃあ、ルー君の部屋は別に?」
一人ひとつのベッドに加え、男女別々の部屋まで用意されたのに、何故かみんなひとつのベッドに固まって寝ていた。
でも旅の途中で立ち寄る宿でも似たようなものだ。部屋を別々に取ろうとしたのは、未だ出自不明のくぅくぅと上品な寝息を立てている女性が加わって初めて宿に泊まろうとした時のみ。それも部屋が空いていないという事で、なし崩し的に同室に泊まったものだ。
孤児院を追い出された当初の少女は栄養失調気味で成長が芳しくなく、身長は10歳児、体重は9歳児並みだった。それが僅か3カ月程で身長が僅かに伸び、体重も10歳児並みに回復を見せていた。それでもまだまだ体重が足りないが、急激に太るよりは身体に負担が少なくて済む今のペースの方が良いだろう。
それもこれも少女を救い上げた少年が、自分と同じ物を食べる事を少女に課したお陰だろう。普通の物を食べられるようになってから料理を担当する事を買って出た少女は当初、残り物だけで十分だと言い出した為、それに激怒した少年が同じ物を食べるように言い聞かせたのだった。確かに一人で味見した時よりも、二人で一緒に食べる時の方が美味しく感じて少女は驚いたものだ。
それが今では四人で賑やかに食事をするようになった。そして更に食事が美味しくなった。あの時に少年が立腹しなければ...早々に力尽きて、恐らく今ここにはいられなかっただろう。
二人は静かに部屋を出ると、お湯を貰いに厨房を目指す。しかし途中で出会った女中に洗面所を案内された。そこには王族の屋敷らしく、いつでもお湯が使えるように用意されていた。しかもそこはいくつかに仕切られていて個室としても使え、女性の化粧直しにも安心の造りとなっていた。申し出れば化粧に精通した女中が補助に入ってくれるらしい。第三王子が引き連れている女性二人が世話になっているらしい。
折角なので是非と勧められるが、自分で出来るからと断る少女。しかし、幼女がやって貰えと言う。たまには違う化粧で皆を驚かせてみてはどうかと。
確かに昨日施していた正装用の化粧は、以前王都のザール商会で化粧品を買い揃える時に教えて貰った手法。新たにこの帝国で化粧を教えて貰えるのも勉強になるだろう。
が、少女は首を横に振る。
「いいえ、今日は本当のウチの顔を見て貰おうと...失礼にならなければですけど」
「何故じゃ? 嬢は女じゃから、隠したいものは隠しておけば良かろう。そのくらいは許されると思うぞ?」
「ううん、フェマちゃん。ウチ、本当はこのお化粧は仕方なくしているの。相手を不快にさせないようにって。でもウチは向かい合ってくれる人には本当の素顔で向き合いたいの。何かの弾みで隠していた素顔を見られて、こんな筈じゃなかったなんて事になったら... ルー君はそれでも向かい合ってくれた初めての男の人なの。だからって殿下にもってのは失礼なのかも知れないけど...」
「分かりました、シャイニー様。ですが、そこまで考える必要はないと思いますよ? ミック殿下は顔で人を見るお方ではございませんので」
顔を洗い身嗜みを調えた少女たちは今一度厨房へと向かう。昨晩、知らない料理が出てきたのでどう作ったのか聞いてみようとしたのだ。しかし、厨房の扉を開けるとそこは戦場だった。飛び交う怒号、走り回る女中たち、鍋はぐらぐらと煮え立っていて、まな板の上では切り掛けの野菜の山が五つありながら誰もそれに手を出せない。 少女と幼女は、これは聞いている場合ではないと腕を捲った。
「おい! 馬鈴薯と人参はまだか! 先に馬鈴薯の一口大! 薄切りは焼きの方へ回せ! 人参は細切りだ! 玉葱は半月切りと薄切りを用意しろ!」
「鍋の灰汁抜きは誰か入っているか!? 火加減を間違えるんじゃねぇぞ!」
「馬鈴薯と玉葱の半月切りは出来てます。人参の細切りと玉葱の薄切りは今やってます」
「灰汁抜きはこのくらいでええじゃろ。味付けは塩と胡椒でええのか? 味醂は使うのかや?」
「皿は七つだ! 間違えるんじゃねぇ...ぞ? あ゛? 誰だ? おめぇ」
「おい、この餓鬼、どこから入って来たんだ?」
思わず手を止めて眉を顰める料理人たち。しかし、その声で厨房への侵入者に気付いた女中たちがぎょっとする。
「おやめください! お客様!」
「お、お客様がそんな事を!!」
「はぁ? お客様ぁ?」
「何でお客様がこんなところに?」
慌てる女中と料理人たちだったが、当の少女と幼女はどこ吹く風で包丁を手にトントンとリズミカルな音を立て、沸騰させないように火加減を最適に調整する二人。
孤児院で幼い頃から家事のほぼ全てを押し付けられていた少女は、大人数の料理を作る事は日課であり、下ごしらえはプロ級であった。
惜しむらくは世間を知らなかった為、レパートリーが少なく味付けが大味になってしまう他、少量の料理が苦手だった。本当に美味しい物を食べた事がないので舌が肥える事がなかったのだ。それでも男料理であった少年の作る食事よりはずっと良い腕前であり、救ってくれた少年に美味しい物をと頑張った結果、旅の短い間にも腕を上げていた。加えて幼女が同行するようになってレパートリーが増え、味付けも一皮剥けた。
百七十年余りを生きている幼女にとって料理は毎日のライフワークである。その姿のせいで数年置きに地を転々としていた為、地方特有の料理等も網羅していた。流石に遠方の国までは回っていないし、新しい料理までは知る事はないが、近隣諸国にある古くからの名物料理はかなりの範囲で作れるようになっていた。
その昔、自らの呪いに絶望し食事をただの栄養摂取としていた時期があり、味付けが破滅的だった事があったが、吹っ切れた事で積極的に料理を覚えていくようになったのだ。
「おい、何をしておる。鉄板が焦げておらぬか?」
「...え? あっ!」
「お野菜、切り終えました。水にさらしておきますか?」
「あ、ああ...」
ただのお客とは思えないその手際に、ただ呆然とする厨房の一同。しかし化粧を落とし髪で隠れた少女の顔の痕がチラチラと見えた事で顔を顰め、また、まだ幼すぎる幼女が神聖なる自分たちの仕事場でお手伝いをしている事に良い顔を出来ない料理人たちは怒りを覚える。ここをどこだと思っているんだ!と。しかし自分たちが仕えている主が想いを伝えた相手だと聞かされていたのを思い出して、グッと口から出かけていた怒声を引っ込めた。
「申し訳ないが、ここは我々の仕事場。お客様の入る場所ではありません。どうかお引き取りを」
「えっ? ごめんなさい、お邪魔でしたか...手が足りてなさそうだったのでつい...」
「おお、悪かったの。折角の出汁がグラグラしかけて台無しになるところじゃったからの。つい手が出てしもうた」
「え...いや、その...」
確かに今回はお客をもてなすには人数が足りていない。元々は主である第三王子がこの地に休暇に行く事になったのは急な話であり、護衛や身の世話役は必要最低限の人員しか用意できていなかった。勿論、料理人も例外ではなく、足りない人数は手の空いた女中たちを使っていたのだが、その地の産物の味見も兼ねていたので料理の品数を出さねばならず、加えて予定外の来客により厨房内は混乱に拍車をかけていたのだ。
「のう、昨夜の飯で気付いたのじゃが、少々味付けが濃過ぎと思うのじゃが。あれでは素材の味が飛んでしまうし、朝からあんなのばかりでは胃に凭れるぞ? 王子たちは残しておったろ?もうちっと味を抑えるか別の味付けにするか...そうじゃの、例えばその肉と付け合せの野菜。とろみのある濃いタレは本来素材の臭みを誤魔化す為のものじゃ。素材の味を生かすのであれば軽く塩と胡椒で充分じゃ。が、そればかりでは飽きるからの。であれば付け合せる野菜の方で工夫してタレの種類を変えると良い」
味見に少しづつ手を付けては残す主たちに、王族とはそういうものだと自分に言い聞かせていたが、成る程量を食べない一因は料理が重いからだという考えにまでは至らなかった料理人たち。
宮廷料理は調味料をケチらずふんだんに使う為に味が濃い目になるのは常識であったのだが、素材を生かす料理を目指すのであれば逆に薄味で勝負しろと。相手が幼女である事がプロの料理人としてのプライドに喧嘩を売られた気分であるが、そこは大事な主のお客だと言い聞かせて我慢し、話を聞く料理人たち。試しに作られた薄味の焼肉(塩・胡椒のみ)を試食し、幼女の言い分を納得する。
結局、遅れた時間を取り戻し朝食に間に合わせる為に、二人も厨房に立つのだった。