√トゥルース -031 疑惑
「……そうですね。隧道の検問の兵からの報告書ではニナではなく、ティナと呼ばれていたと。」
ミアスキアの問いに静かに頷いて答えるオレチオ。既に隧道での騒ぎの報告がここにまで回っていた事に驚くトゥルースたちだったが、ティナの偽名が早くもバレるとは、と眉を顰める。しかし、それに対する対処法はちゃんと考えてあった。
「ニナの正しい名前は今日知ったばかりで……それまで教えて貰った渾名で呼んでいたんです」
「ん? 渾名なのか。では正しい名前は何と言う?」
「わたくしの名はティルナニーナリティです。時々自分でも間違えるので、渾名で呼んでもらってたんですが……」
「ふむ。それでティナとニナか……しかしそれならどうして呼び名を変えて?」
「それは……わたくしは家を追い出された身、その頃からの渾名で呼ばれ続けるのは色々と思い出してしまって……」
顔を歪ませて俯くティナだったが、王国の腹黒貴族相手に身に付けた演技だ。それが帝国の第三王子に通じるのかは分からないが。
「成る程な。私はティナという名前を聞いて、王国の王女を思い浮かべたが……」
「そんな。王女様に間違われるなんて畏れ多い事です。親たちは見た目も似ているからと、喜んでわたくしの渾名を付けたようですが……」
目を細めて見てくるミックティルクにティナは首を振って否定するが、疑いは晴れないようだ。すると、トゥルースとシャイニーが顔を見合せ首を傾げた。
「……王女様って、ティナっていう名前なんだ。知らなかったな」
「ウチも。そうなの? ニナ」
流石に本気で知らなかった二人の言葉はミックティルクを納得させるのには説得力があったようで、ミックティルクはティナを疑う心を揺らがしてしまう事になった。逆にトゥルースたちがティナに小さな疑いを持つ事になるのであるが。
「ところでミアスキア様は何故わたくしの以前の渾名を? それにわたくしたちがみんな一緒に寝ていた事も知っていたようですが……」
「ん? そりゃ見ていたからに決まってるだろ?」
「見ていたって……まさか……それにわたくしたちの胸の大きさの事も知っていたという事は……」
「そりゃ隣の貸し湖岸に見知らぬ者が来れば、どんな者なのかを見極める為に観察するに決まってるだろ? お前らが浜に入った昨日からずっとな。まさかあんなに露出した下着で泳ぐとは思わなかったが、な」
クククと思い出して笑うミアスキアに、ティナもシャイニーも青ざめた。まさかミックティルクたちの他にも覗き見られていたとは!
当のミアスキアはニヤニヤしながら二人を視姦するが、それを主であるミックティルクが頭を叩いて止めた。
「いい加減にしないか、ミアスキア。先程、覗いたラッジールを許して貰ったばかりであると言うのに……」
いや、ミックティルクも同罪であろう。寧ろ岩場での一件はミックティルクが切っ掛けを作った張本人だとも言える。それを棚に上げてミアスキアを嗜めるミックティルクは涼しい顔だ。
それにしても、ずっと見られていたとは、とミアスキアを睨むトゥルース。有料の浜という事に加え、王族敷地に隣接する施設だけあって、防犯には力を入れて取り組んでいた筈だし、商材の石を持ち歩いているので自分でもそれなりに警戒はしていたつもりだ。それなのに監視を許していたなんて……と自らの警戒心の低さと相手の諜報力の高さを感じつつ、諜報力て……と自らの考えに苦笑する。別に自分は訓練を受けた訳ではないのに、それを専門にする者に敵う筈はないのだ。
「それにしても結構難儀したんだぜ? そこの白猫がちょいちょい邪魔してくれたからよ。ほら見ろ、腕に引っ掻き傷が……」
「……ミーア、よくやったのう。出来れば顔も引っ掻いてやれば、言う事なかったがの」
存在を忘れられていたフェマが、すまし顔のミーアを撫でて褒め称える。一応トゥルースたちの防衛機能は働いていたと言えようが、知らせて欲しかったと思うトゥルースだった。
「そうだ、ニナさん、シャイニーさん、フェマちゃん。湯浴みに行かない? 大きな湯船があるのよ、ここ」
「あ、良いわね~。うん、そうしましょ? ね、ね?」
「ほう、湯浴みが出来るのか? それはええのぅ」
「そういえば、湖で水浴びはしたけれど、汚れを落とす目的じゃなかったわね。それに湯浴みなんて最後にしたのは何時だったかしら……」
「あの……ウチも行って良いのですか?」
フェマとティナは湯浴みに誘われて乗り気だったが、シャイニーは自分も行って良いのかと躊躇する。
これまで旅の途中途中で風呂のある宿ではなるべく入るようにしていたのだが、シャイニーにも入るよう言っても初めの頃は遠慮して入ろうとしなかった。どうしてか聞けば、何日かに一度入れた孤児院で温かい湯に入るのは許されておらず、皆が出て冷めきった後に掃除がてら入る事が許されていたそうだ。もうその必要が無い事を散々言い聞かせて漸く入りに行くようになったと思えば、体を温めるようには入らずカラスの行水で済ませていた。見兼ねたトゥルースは、十分温まるように入らせる為に宿の女将に頼み込むようにした程だ。
フェマが同行するようになる頃には一人でもちゃんと入るようになっていたのだが、王族の屋敷の風呂という事で後込みして悪い癖が出てしまったようだ。
結局、問答無用で連行されて行った三人を見送るトゥルース。
「……ミアスキア、お前は私が見えるところにいろ。いなくなったら覗きに行ったものと見なす。どうなるか分かっているだろうな」
「うぐっ! へ~い、分かりましたぁ主殿」
女性陣が風呂に行くという事で女中たちが補助に付いて行くのを、後ろを付いて行こうとしたミアスキアをミックティルクが止めるが、どうやらいつもの事らしい。仕事の諜報力をフル活用する方向性を間違えているが、年頃の男としてはある意味間違えていないのかも知れない。
「さて、トゥルース。バレット村の者としては変わった顔ぶれの仲間だが、どんな繋がりが?」
「え? どんなと言われても……偶々縁があって?」
「縁がか。それはまた……都合の良い言葉だな。確かに縁があればこその顔ぶれだろう。しかし、どんな繋がりがあったのかがサッパリ分からん。フェマは捨て子か何かだろうと予想が付くが、何故孤児院に預けない? それにあの二人。シャイニーは顔の痕で人に嫌われるのは想像に難くないが、何故お前はそのような者を? あの呪いが解けた顔を見てか? それにニナ。あ奴はかなり位の高い家の出ではないのか? 何故そのような者が家を追い出されるような目に? 見たところ本人に落ち度が何かあったとは思えないのだが……」
女性陣三人をそれぞれ分析するミックティルク。流石に観察力もあれば推理にも長けているようだが、それでも分からずに首を傾げる。
「……仲間内の話はあまり人にしたくはないのですが……先ずニー、シャイニーは偶々俺が村から下りて来たところを孤児院から身一つで追い出される場面に遭遇したんです。村に一人、俺のせいで顔に傷を負った女の子がいたので、ニーの顔の痕はあまり気にならなかったですね。それよりも今にも折れて倒れてしまいそうな程に痩せ細ったニーが必死に俺に付いてこようとして……初めは捨て猫を拾ったつもりだったんですけどね、でも一人で旅をするよりはずっと楽しく感じてしまってズルズルと……その後、フェマと一緒に暮らしてたお婆さんが亡くなって身寄りが無くなったところに俺たちが……結局フェマの意志で俺たちに同行するようになり、今度はニナが人気のない林の中で一人いるところを保護して……と言う具合なんです」
嘘は言っていない、色々と隠したうえでティナの呼び名だけ誤魔化しているだけだ。しかしそのティナの名も相談してそう決めたところで、実は本当の話ではないだろうかと思いだしている。何が本当で何が嘘で、何を隠しているのか未だ分からないティナの正体。確かに竜化という大きな呪いを持っているせいで捨てられたというのは話が分かるが、王国が軍を出していて何か月もその竜の姿であったティナを討伐しなかったのかが分からない。
以前、エスピーヌやサフランに会った時に聞いた、軍が出て遺跡のある村に向かったという噂。恐らくあれは竜が姿を現したという事なのだろうと推測は出来る。だが、トゥルースたちが簡単に出くわせた竜に、軍がいつまでも出くわさなかったのが何とも不思議である。その上、侯国ではその竜の情報が色々と交錯していたのが伺えた。となれば兵の数を減らして監視していたと見るべきだろう。何故。そう、何故なのかが全く分からないトゥルース。果たしてそのティナの正体は王国の王女なのであるが、その事はフェマだけしか気付いていなかった。
「成る程な、訳ありばかりか。トゥルース、お前がお人好しである事は分かった。が、それにしては随分とお前に懐いているようだな。いや、懐いているというよりは依存していると言うべきか」
「依存、ですか? 別にそんな感じではないと思うんですけど……」
「依存ではない、か。なれば何故同衾などしている? それもあのような小さい子までもいながら」
目を細めて聞いてくるミックティルク。その目はケダモノを見る目だ。が、どうしてそんな目で見られるのか分からないトゥルース。
「……あの。さっきから言ってるドウキンて何です? 初めて聞く言葉で意味が分からないんですけど……」
思ったよりオコチャマであった。