√真実 -012 カレー対決 -1 王道カレー
「あっ! か、母さん! これは……」
「……はぁ、説明なんてしなくても良いから早く上がって貰いなさいよ。お招きした人なんでしょ?」
玄関でナニをしていたのかと問い詰められる訳でもなく、仕事帰りの母、花苗が入室を促す。真実は助かった! と思いつつも、胸元で涙を流すミサを落ち着かせてからリビングへと案内した。
「あっ! ミサさん……って、どうしたの?」
「……ミサさん、大丈夫?」
「ミーさん、何かあったんですか?」
道場で一緒になる綾乃、光輝、香奈が、入ってきたミサの様子に気付いて心配そうに声を掛けた。今まで関わりの無かった智樹や祐二、華子も心配そうに見詰める。今のミサは背中を押してやらないと前にも進めない弱りきった姿だった。真実がテーブルの椅子に座るよう促す。
「私……もう……限界……今日が何日かどころか、何曜日なのかも分からなくなっちゃう事が何度も……」
「えっ? もしかして休み無しで働いているの?」
「ええ。初めは忙しい週末と、他のバイトの子が休みの日の午後だけ入る話だったんだけど……入って直ぐに長く続けていたアルバイトが二人も辞めちゃって……慣れる前から一気に忙しくなってバイトの時間を倍に増やされちゃったんだけど……今度は夏休みの頭からアルバイトに入っていた人が体調を崩しちゃって……人が足りなくなっちゃって私も朝八時から夕方五時まで入らなくちゃいけなくなっちゃったの。お盆過ぎてからずっと休みも取れてないの」
一日四時間程度、週に四日程の気軽なアルバイトのつもりだったのが、まさかのフルタイム無休勤務だ。加えてこの夏の暑さでスペシャルシリーズのフラッペが大当たりの人気店……それでは体調も崩してしまうだろう。そして徐々に疲弊していく店員たちの姿を目にすれば、いくらバイト募集を募っても新たに入ってくる人は中々見付からず……今季夏休みは絶望的なミサだったが、逃げ出さないだけでも偉い者だと感心せざるを得ない。口調がいつものような間延びしたものでなくなっているところを見ると、本当に余裕が無さそうで心配だが。
すると、スッとミサの前に湯気を立てた黄金色の飲み物が差し出された。
「お疲れのようだからこれでも飲んで待っててね。もう少しで夕飯が出来上がるから」
「え? あ、ありがとうございます……」
「あ、この人は父さんの仕事仲間で……」
まだ誰なのか理解してなかったミサに、紅茶を差し出した味久とキッチンの中の総司、着替えて入ってきた花苗を紹介する。
「これはカモミールティーだよ。気分を落ち着かせるなら冷たい飲み物より熱々のハーブティーはお勧めだね」
「えっ!? カモミールティー!? それって上の棚にあった?」
真実が慌てる。そのカモミールティーは花苗のお気に入りの秘蔵品。勝手に使えばどんな仕打ちが待っているか……そっと花苗の方を見る真実だったが、空いていたカウンターの席に着いた花苗の前には同じく湯気を立てたティーカップが。それに口を付けた花苗の視線は既に総司の方へ釘付けだった。気にしてない花苗の様子にホッとする真実。後々、真実にその責が問われる可能性がまだ残っているのだが。
「……実は私、今日誕生日なの」
「ええっ!? そうなの!?」
「それなのに、アルバイトで一日が終わっちゃうところだったんだけど、真実君たちに誘われてとても嬉しかったの。この数日間は今日が来るのを心待ちにして頑張ってこれたわ。でももう限界で……それで、さっき真実君の顔を見たら感極まっちゃって……」
それで急に抱き着いてきたかと思えば泣き出しちゃったのかと納得する真実。しかし、今日誕生日か~、急だから何も出来ないな~と思っていると味久が真実を手招きして呼ぶ。
「あのお姉さん、誕生日なんだって? ならさ、ごにょごにょ・・・・・・」
「えっ!? いや、俺は構わないけど……出来るの? 材料は?」
「大丈夫。さっき色々と買い込んできたし。冷蔵庫の中のアレも使って良いだろ?」
先程から馴染みのある匂いが漂ってきて何を作っているのかバレバレであったが、残念がる者はいない。相手はプロの料理人なのだから。そして更に何かを作ると言う。
ミサを心配してカウンターからテーブル席に移動した光輝が、何を作るのか興味を持ってカウンターに戻ろうかどうしようか一瞬迷っていたが、ミサの隣に留まる事にしたようだ。対して真実は味久のサポートに付く事にした。味久もまだ自分の料理が途中であったので、真実に色々と指示を出しながら並行作業(総司のサポートも含めればみっつの作業を同時進行)というプロの技を垣間見せる事になった。真実の料理する姿に興味を持ったミサを含め、キッチンに立つ男三人にみんなの視線が集まる中、いよいよ料理も仕上げに入ったようで、数々の食器が出されていく。
「よし、じゃあ真実君の方も仕上げちゃうか。こっちの料理は後は盛り付けるだけだしね。飛弾さんの方ももう良いようだし」
自分の料理の調理が終わった味久が、まだ途中の真実の方を手早く仕上げていくさまはプロならではの手捌きだった。見る見るうちに仕上がっていくその様子を見る事が出来たのはキッチンにいた真実と総司、カウンターで覗いていた花苗と智樹の四人だけだったが、カウンターで手元の見えない他の者も味久の体の動きでかなりの腕だと察しが付く程だった。
「さあ、もう出来るからみんな席に着いてくれ」
六人掛けにしては少し大きなテーブルに別の部屋から持ってきた椅子を二脚足して八人座り、カウンターには大人三人が着く事になった。奥に綾乃、ミサ、華子の三人が並び、続けて祐二、智樹、真実、光輝、香奈の順に⊂⊃状に座る。両脇に着いた祐二と香奈は、祐二はいつも家でそうだから構わない、香奈は今回無理を言って混ぜてもらったからと気にはしていなかったが、実はミサが座ったところはいつもは華子が、華子が座ったところは祐二が座っており、少しだけずれただけだった。
「先ずは私からだな。匂いで分かると思うが、カレーだ」
嫌いな人を探すのが難しいくらい、みんな大好きカレーライスだが、こんな大人数であれば定番料理である。今更隠す事もなかったであろう……そう思った時もありました。
「「「「「「「「いただきます」」」」」」」」
……!!!
口に入れると同時にみんなの目が見開かれ、そしてそれぞれの器へと視線が向く。
そこには白く輝くご飯の脇に馴染みの色をしたカレールゥが掛かっており、中には定番のジャガイモや玉ねぎ、人参に一口サイズの肉が入っているのが見て取れる。しかしよく見れば、普段各家庭で出される市販のルゥを使ったカレーよりも深く濃い色をしているだけでなく、よりギラついていた。牛肉から染み出た脂が浮いているようだ。そして辛いは辛いが、ただ辛いだけではない。その色に見合った深い味なのだ。惜しむらくは煮込み時間が短かった為であろう、野菜に味が染み込みきってないところだろうか。みんなスプーンが止まらない。いつも箸の遅い光輝ですら、だ。無言でスプーンをひたすら動かす。
「ぷっはぁぁぁぁ、うめぇ……オジサン、少な過ぎるよ! お代わり!」
真っ先に平らげた祐二が声を上げるが、総司はニヤッとしてそれに待ったを掛ける。
「はっはっはっ! 気に入って貰えたようだな。安心しろ、まだカレーは残っている。が、良いのか? まだ味久君のを食ってないのだぞ?」
「ぐわっ! そうだった! プロの料理人が作るカレーってどんな味なのか気になるっ! しかしっ! こんなんじゃ全然食った気がしねぇ! 料理人のオッチャン! 早くオッチャンのを食わしてくれっ!」
「おいおい、こっちが食い終わるまで待ってくれよ。それにオッチャンって……これでもまだ独身なんだけどなぁ。他にも呼び方があるだろう? お兄さんとかさ」
「は? おに……? いや、どう見てもオッチャンじゃん? お腹の辺りとか」
「な、何をー!! これは仕方ないだろ! 仕事で味見とかで絶えず何かを口にしているし、艦内での運動は御法度だし……こうなっちゃうのは仕方ないんだよ!」
「「……かんない?」」
お腹を擦りながら弁明する味久だったが、その言葉に反応する真実と智樹。
「かんないって館内? 図書館とか、何とか会館の?」
「いや、そういうところも普通は中で運動は出来ないけど、長期監禁とか言ってただろ。そういうところじゃそんな事にならないんじゃないか?」
「だよなぁ、一体何だろう。館内、運動禁止……」
「う~ん……」
「あんたたち、まだ考えていたの?」
「いや、だってさ。気になるじゃん? 母さんの仕事だってつい最近知ったところだし」
「オレもずっと頭に何か引っ掛かっていてな。どこで耳にしたんだっけか……」
呆れた顔をする綾乃に真実と智樹が首を傾げて答える。祐二や女子たちは既に降参したらしい。
「え? 何なに? マサ君、パパさんの仕事を知らないの?」
「パ、パパさんて……いや、まぁ……そうなんだけどさ。ヒントが少な過ぎて全然分かんないんだよ」
「ヒントってどんなのよ?」
「公務員で、長期監禁されて、色々と守秘義務があって、遠くへ行くけど外交官とかじゃなく国内で……」
「何それ。何処か島流しにでも遭ってあるの?」
島流しって……と突拍子もない事を言う香奈に視線が集まるが、何処かの小さな島に勤務って線もあるのかと考えて頭を振る。それではついさっき聞いた運動が御法度という言葉が引っ掛かる。
「今はそれはどうでも良いだろ! カレーだ、カレー! おれはプロのカレーが早く食べたいんだ!」
吠える祐二に、みんなの意識は味久のカレーへと移るのだった。