√トゥルース -013 隧道 -2
「広いな。上も下も尖った石だらけだ」
隧道の入口として整備された洞窟に足を踏み入れたトゥルースが見上げ、感嘆の音を上げる。所謂鍾乳洞だが、見慣れない者にとっては未知との遭遇だ。前を行くシャイニーが、ブルッと体を震わせた。
「ん。それに入った途端、空気が変わったわ。一枚上着が欲しくなる」
「そうじゃの。このままでは体が冷えてしまいそうじゃ」
「外の光が届いている内に服を出して着ておきましょう。暑くなったら脱げば良いですし」
ティナの提案にみんながラバに積んだ荷物から上着を引っ張り出すが、思えばティナにはまだ上着を買ってあげてなかった事に今更気付いたトゥルースは、自分の上着をティナに手渡す。
薄汚れたそれからは少し臭いも発せられていたのを嗅ぎ取ったティナだったが、時には腹黒い貴族を相手に役者をも熟す王女だった事もあり、嫌な顔ひとつせずにそれを着込んだ。
王族だったティナが薄汚れた服を着る事など今までは皆無だったが、今はその王族の地位が残っているのか無いのか分からない状態である。文句など口にすれば途端にトゥルースたちに置き去りにされても不思議ではないティナは、それを受け入れる事を既に覚悟しての同行なのだ。そんな事はないと分かっていても、素直に受け入れるしかないし、今指摘したところでどうにもならないのだから。
「この事だったんだな。ちっ! 笑ってやがる。教えてくれても良かったのに!」
入口の係員から、その格好のまま入るつもりか? と聞かれた一行だったが、みんな何を言われたのか分からずそのまま洞窟に足を踏み入れたのだった。洞窟の周囲が湿気っていたのもある。この湿気だと逆に暑く感じるだろうと。
実際のところはこの地区が辛うじて半袖の服か、長袖を一枚羽織るかだったのが、洞窟周辺は半袖で丁度良く判断を誤らせたが、実際のところは洞窟に入ると湿気はあるが、それ以上に冷え込んでおり、とても半袖ではいられなかった。
これは南の隧道でも同じ事が言えるのだが、南の隧道は周辺が気温が高く中の冷えた空気が気持ち良いと感じるそうだ。だからと言って半袖で進んだ者が出口に辿り着いた頃には唇を紫に染めて真夏にも関わらず焚き火にまっしぐら! なんて光景が見られると言う。
これは言っても理解されない事が多く、実際に体験して覚えろと言うのが通例になっていたのだ。因みに一年を通して中の温度はほぼ変わらず、冬場は中が暖かく感じ、入口で何枚か脱いでおかないと汗だくになってしまい、出てきて寒風に曝されて風邪をひくのもお約束となっていた。
「よし、改めて出発だ」
長袖の上着を羽織った一同はラバを牽いて歩いて進む。いまのところ天井は高いが、だんだんと低くなってきて乗馬してでは頭が当たり怪我をする。二人でひとつの灯りなので足元を照らすのが精一杯であり、天井にまで注意を払う事は難しい。
徐々に入口からの光が届かなくなり、灯りだけが頼りになる。前を歩くシャイニーはとても心細いのだろう、しきりに後ろを見てはトゥルースたちが付いてきているのを確認していた。
「嬢、それでは出口まで保たぬぞ? 離れれば後ろから声を掛けてこよう。それに足音もハッキリと聞こえてきておるのじゃ、少しは安心せい。何なら手を握ってやるぞ?」
シャイニーの言う事しか受け入れない雌ラバのミール、その後ろを付いて歩く雄ラバのメーラ。順序を入れ替えたり人が変わると一歩も歩かなくなる二頭。この為、どんなに心細くてもシャイニーが前を行くしかないのだ。流石に堪えられないのかフェマの手を握ったシャイニーは、目が慣れてきたのもあって漸く歩の速度を上げるのだった。
「はぁ、はぁ、はぁ。まだ、ですか? 出口はまだなのですか?」
間も無く息を切らせ始めたティナ。大事に育てられた事もあって運動はずっと軽いものだけだった為、自分の足で歩くのは城内だけでこれ程長い距離を歩いた事が無かったのだ。とは言え、体力が無さ過ぎである。
「大丈夫か? ティナ。まだ洞窟の区間も終わらないから、先は長いよ? 洞窟は全体の三分の一程度だって言ってたから、まだそこまでも来てないし」
時間にしてもまだ四半時程しか経っていなかったが、暗闇の中では体感的に進む時間が違う事がままある。初めて月明かりも星の目印もない暗闇の中を進むティナにとって、それはとても長い時間であった。いや、そう感じたのはティナ一人だけではない。トゥルースもシャイニーも感じた時間の流れは違えども、やはり長く感じていた。慣れない道に慣れない闇。思った以上に神経を磨り減らしていたようだ。因みにフェマ程の長い時を生きてきた者にとって、時間など思ったより早く流れていると感じているようで、不甲斐ないなと溜め息を吐いていた。あんたお婆ちゃんか! お婆ちゃん以上だよ!!
「この先の広場で一度休憩しよう」
まだ洞窟エリアを出ていない為か、休憩できそうな場所は所々点在している。今の内なら休憩し放題だが、あまり時間を費やしていれば風向きが変わって対向者が入ってくるかも知れないので長い休憩は出来ない。
「なんじゃ、皆もうへばったのか。わしなどまだまだ大丈夫じゃぞ?」
「……フェマは小さいから足元がよく見えるんだろ。視線の遠い俺たち、特に先頭のニーは随分と気を張ってるんじゃないかな?」
クピクピと水を口にするシャイニーを見てフェマに返答するトゥルース。
「そうかの? まぁ、言われてみればそうかも知れんが、まだ先は長いぞ? 大丈夫かや?」
「……あなた様。少しだけ待って貰えますか? わたくし、ちょっと足が痛くて……」
先が長いと聞いたティナが顔を引き攣らせて弱音を吐いてきた。初めはやはり唯の我儘や弱音だと思っていたが、様子がおかしい。弱々しい灯りを近付けて擦っている足を見ると、くるぶしの辺りが赤く腫れかかっていたのが分かった。どうやら靴擦れだ。侯国に入って直ぐ買った靴だったが、移動の大半がラバだった上、靴が合っている合っていないという判断を今までする事のなかった王女がこんな事になるとは思いも付く筈はなく。
「こりゃいけないな。どうしよう、一度戻ろうか?」
「え? でも逆走はいけないって……」
「そうも言っておれんじゃろ、嬢よ」
「いいえ、わたくしは大丈夫です。このまま行きましょう」
いやしかしと良い顔をしないトゥルースたちに大丈夫だと訴え掛けるティナ。あまり迷惑は掛けられないと必至だ。結局、靴が当たるところに布を当てがって簡易的に処置をし、歩を進める事となった。
暫く進むと、漸く手掘りらしい壁の穴に入る。これが人力で掘られた隧道かと感心しながら進む。この天井の高さならフェマ辺りならラバに乗っても問題ないだろうが、トゥルースたちが乗るには少々天井が低い。大型の馬だと馬自体が首を引っ込めないと通れないだろう高さだ。開通したばかりの時は人しか通れない高さだったと言う事だから開通後も拡張工事を続けてきたのだろうし、今も続いていると言う事だ。頭が下がる。
しかし、専用の低床馬車を借りれば良かったか? とティナを見ながらトゥルースは思う。これ程歩き慣れていなかったとは思っていなかった。隠しているつもりなのだろうが、徐々に足を引き摺るような仕草が目立ってきた。先程よりも早いが、再度休憩しようと前を歩く二人に声を掛けた。
「……駄目だな。ティナ、暫く歩くの禁止。ニー、俺の使ってた傷薬がまだ残ってたよな?」
靴を脱いで光を当てると、よく見なくても酷くなっているのが分かった。綺麗な足が台無しだ。
「あの、あなた様。わたくしは大丈夫ですので……」
「全然大丈夫じゃないじゃないか、ティナ。痛いなら痛いって言わないと」
踝の擦り傷に薬を塗り、布に水を含ませて巻く。少し熱を持っていたので冷やさないといけない。見れば反対の足も少し腫れてきているようなので、念の為濡れた布を巻いて冷やす事にした。幸い空気は冷えているのでこれで十分冷えてくれるだろう。
「ルー君、どうするの? ミールに乗って貰う?」
「いや、乗る時に頭を打ちそうだし、所々天井が低い所があるから危ない。俺が背負っていくよ」
ティナの体重はそんなに重くはない。その事はお姫様抱っこをして移動した事があるので身をもって知っている。ラバに運ばせている荷物の重さに比べたら雲泥の差だ。全然負担にはならない。ティナは申し訳なさそうにしているが、今更だ。
「ううっ、情けないです。あなた様にこんな負担ばかり掛けさせてしまい……」
「いや、仕方ないよ。靴が合わなかったんだからさ。隧道を出たら先ずは靴を買い直すか調整をして貰わないとな」
それよりもトゥルースは再び女性らしいティナの柔らかい体を味わってしまう形になり、何とも言えない気分になっていた。背中に感じる二つの山、両手に感じるプリンとしたお尻に、耳元で吐かれる吐息。背中に密着したティナの体からは嗅ぎ慣れた自分の上着の臭いに混じって甘い匂いが漂ってくる。朝晩にもくっつかれるのだが、こうしてティナの重みを背中に感じていると何か大切なものを背負っていると実感し、守らねばと思ってしまう。
ふと思い出すトゥルース。守ると言えば、王都から検問所の手前の村に向かう途中でシャイニーと言葉を交わした中で、自分はシャイニーを守るからと口にした。その時と似た感じだ。フェマもある意味守らないととは思うが、それとは何かが違う。いや、ティナはシャイニーとも違う感じで守らないといけない存在だと思わせる。希望ではなく義務感が、だ。
シャイニーはどちらかといえば自分が守ってやらなければ壊れてしまいそうな、フェマは離れちゃいけない感じが。それに対してティナは傷ひとつ負わせてはいけないと思わせる感じだ。
何故そう思うのかが分からないトゥルースだが、相手が本物の王女だとは知らない。知らないが、本能的にそれを感じ取っているのだろう。しかしティナの朝晩の、ある意味破廉恥な行動が結果的にトゥルースやシャイニーにティナが王女である事を疑いすら持たせない行いとなっている事を、フェマ以外は本人ですら気付きもしなかったのだった。