√トゥルース -011 食べ続ける呪い -2
「のう、坊よ……」
「ああ、分かってるよ」
「ルー君、出来そう?」
「分からないなぁ。でも……」
「……何を三人で話しているのですか? 私を除け者にして……」
不明瞭な会話をトゥルース、フェマ、シャイニーがしているのをティナが首を傾げて尋ねるが、トゥルースは何でも無いと話を区切った。
「でも、良かったのかしら? 貴重な調味料を分けて頂いちゃって」
「ああ、それなら心配ないですよ。王国から侯国へ入って来る前に少し余分に手に入れていた物と、峠道で少し逸れたら薬草や香草、香辛料の元の植物が結構採れたので。売る程ではなかったのでどうしようかと思ってたんで、どうぞ使って下さい」
「おかげで昨夜も今朝も美味しい物が食べられたわ。やっぱり調味料は充実させた方が良いわね……って、王国からの峠道って事はあの道を? それも道から逸れて?」
あ、余計な事を言ってしまった! とトゥルースは嫌な汗を掻く。目立つティナが追ってくるかもしれない王国軍の兵に見られる訳にはいかないからだなんて口が裂けても言えないから。そもそも三人で検問所を通ったのに、それが四人に増えていれば余計な嫌疑を掛けられ兼ねない。
「偶々……そう偶々奥に入ってみたらですよ。ゆっくりと行けばそれ程危なくは無いんじゃないですかね? 聞くと馬で丸一日あれば着けるって話だけど、俺たちはそこを三日掛けてましたから」
「ああ、そういう事なの。じゃあ、あの道を逸れれば薬草や香辛料の元が生えているのね? この国でもそういった植物が栽培出来るかも知れないって事ね」
しかし、マーナの考えは別にあった。この国が潤う方へと思考が向く。山に囲まれた国なので香辛料が自前で作り出せれば高額な香辛料を輸入しなくて済む、この国の食事事情が改善できる、と。
この国では食べ物に関しては困る事は無かったが、不思議と香辛料となる香草や実が殆んど見つかって無かった。それもその筈だ。それらが生えていた北東部には今までは危険だとあまり人が入って行かず、皆帝国との道を通す為に西や南に目を向けていたのだから。何があるか分からない山に入るよりは侯爵が先導する帝国への隧道を掘る事に邁進していたのだ。
ふと、このマーナの呪いは自分や家族より国を思う事なのでは? と思うトゥルース。我が子が深刻な呪いに罹った今であってもこの国の繁栄を願う。それは普通ではないような気がするのだ。それは母親としては失格なのであろうが、侯爵夫人としては一点を除けば満点なのであろう。一点を除けば……
皮肉ではある。今、薬草や香草、香辛料の問題が解決に向かおうとも、もっと大きな次期侯爵候補である息子が深刻な呪いに罹っているのだから。
しかし本人は自分の呪いに気付いていなさそうだ。いや、気付いていながら、気にしていないのだろうか? どちらにしても、マーナの呪いはそれ程深刻ではないようだ。ティアリタに冷たい目を向けていた娘二人が、マーナには苦笑するに止まっていた。お母さんらしい発想だ、と。
「あら、何を笑ってるの? ミーニ、メーネ。昨日の夕飯やこの朝食みたいに、いつも美味しかったら素晴らしいじゃない? それもうちだけでなく、国の人みんなが食べられるようになれば」
「それはそうだけど、お母さん、そんなに美味しくなったらお兄ちゃんの大食いが益々治らなくならない?」
「うん、そうだよ~! お兄ちゃん、お腹が破裂しちゃうかも! そんなの嫌!」
十三歳のミーニはも七歳のメーネも年相応の意見だ。ちょっとホッコリして空気が緩くなる四人。
「そう言えば、王国から来たって事は、あなたたちは隧道を通るつもりなの?」
「はい、帝国に行く予定なので」
「あら。じゃあこの国は素通り? 少しは遊んで行けば良いのに……って、この国じゃ美味しい食べ物も少ないから退屈かしら?」
「えっ!? いや……まぁ」
「確かにそのせいで隧道が通っても観光客が来てくれないのよね。甘い果物じゃ味付けに向かないし……」
「確かに、この国の食事は独特な味付けで、好き嫌いが分かれるかな?」
この国の食事の味付けは素材の味に最低限の塩等の他、癖のある実や味の濃い果物を調味料代わりに使っていたので、味も独特な……いや、独特過ぎるのだった。
「ふふふ、ハッキリ言ってくれて良いのよ? 国民は慣れてるけど、国外の人には合わないでしょうね。それはそうと、大丈夫? 私が言うのも何だけど、隧道は通行料がそれなりに掛かるわよ?」
「ああ、それならこれを人数分貰えたので……」
懐からマナールに貰った通行証を取り出して見せるトゥルース。
「えっ!? これって隧道の通行証!? あなたたちはうちの人に会ったの!? いえ、国賓だったの!?」
「いや、そんな大層な者じゃなくて、ちょっと縁があって……まさか侯爵夫人のマーナさんにまで縁があるとは思わなかったですけど」
「確かに……ねぇ。でも良いの? 隧道を通るのに、この時間までここにいても。間に合わなくなるわよ?」
「え? 何の事です?」
「あら。聞いてないのね? あの人ったら。セバスも付いていながら伝え忘れるなんて……」
口を尖らせて文句を言うマーナはどこか可愛らしいが、内容が分からないトゥルースたちは訳が分からずに顔を見合わせた。
「あのね、隧道はね、風の向きでね、通れなくなっちゃうの」
「今は夜から昼前くらいまではこちらからあっちに風が抜けるから、その間だけあっちに通れるの。風が無い時や向こうから風が吹いている時は通っちゃいけないのよ?」
少しトゥルースたちに慣れてきたメーネとミーニがマーナに変わって可愛らしく説明してくれた。しかし、どうして? と疑問が湧く。
「それは事故防止なのよ。隧道内は狭いから交互通行になっていて、風向きで変えているのは分かりやすいからと、風を背に受けた方が灯りを消しちゃわないからね。正面から風が来ると照明の火が消えてしまうから。それと風がないと、火や息で空気が濁って中で行き倒れちゃうからね。あ、夜間は検問所が開いてないから通れないわよ」
娘たちに代わって今度はマーナが説明する。成る程と納得する四人。だが、それであれば急がないと風向きが変わってしまう。
トゥルースたちは急いで支度を済ませラバたちに荷物を載せ、乗り込む。
「最後の最後に慌ただしくて済みません。お世話になりました」
「いえいえ、うちの人の客人にあまり良いとは言えないおもてなししか出来ずにお恥ずかしい事。またこの国にお越しの際は屋敷にお寄りくださいね」
「ええ、そうします。あ、ティアリタ。忘れるところだった。お前、そのまま"食い続ける"つもりか? 少しくらい自分の意思で止めようとしてみろよ。でないと、"食い過ぎて早死に"なんて恥ずかしい死因になるぞ?」
思い出したように口にするトゥルース。実際、急いで支度をしたせいで忘れかけていたのだが。しかし、直前までマーナと普通に話していたトゥルースの豹変した口の悪さに、マーナ、ティアリタ、ミーニ、メーネだけでなくティナも目を丸くする。
「むぐ。うるへぇ! もぐ。ほんなのふぉへのふぁっふぇふぁほ」
「何を言ってるか分からんぞ? いつまでも食い続けやがって……って、おま、それって干し肉……どこにあった奴だ? まさか俺の荷物の中から?」
「くちゃ。はぁな。んぐ。ふぉへふぁふぁっふぁふぁふぁふぉふぁっふぁふぁふぇは」
「きったねぇな! 口に物を入れたまま喋るんじゃないよ!」
「ふぉっふぉふぃへふれ! もぐ。ふぉぅ、ふぉふぇふぉふぉふぉふぁふぉっふぉいふぇふふぇ! くちゃ。」
ん? 失敗したか? とトゥルースは首を傾げる。ティアリタはまた手にしていた干し肉を頬張っている。侯爵の息子とは言え、同い年なのだ。遠慮はしないトゥルース。とは言え相手は厄介な呪いに罹ってしまい早々に諦めているようだ。でも仕方ないと言えば仕方ない。解ける事の無いと言われている呪いに罹るという事が絶望を齎しているのだろう。
「何でそれが呪いだって決めつけるんだ? 只の癖かも知れないじゃないか。そんな簡単に諦めやがって。お前、治す気が無いだろ? ぶくぶくと太りやがって、"このまま食べ続け"ていたら"岩のように太って"動けなくなるぞ? "それでも良い"って言うなら食い続けるが良いさ。ま、そうなったら両親からも妹さんたちからも、勿論国の人たちにも見放されて"一人で人知れず野垂れ死ぬ"事になるだろうな。良かったな、お前の臨む通り、"みんなに放っておいて貰える"ぞ?」
「むぐっ! ごくっ。お、お、おれだって好きでこうなった訳じゃない! これが呪いだなんて信じたくなかったから、おれだって努力したんだ! それでも食べたくて食べたくてどうしようもなくなってしまう! これが呪いじゃないのならいくらでも努力してやるよ!」
「……言ったな? その言葉、忘れるなよ? 今度来た時、今以上に太ってたら、もっと酷い言葉で罵ってやるから覚悟しておけよ? じゃあ行こうか」
ニヤリとするトゥルース。対するティアリタは手にしていた干し肉を握りしめてトゥルースを睨んでいた。口の中を空っぽにしたまま。
今度こそはトゥルースの呪いの方が勝ったようだ。今度この国を通る事があれば様子を見に来て、まだ呪いが抜けきっていなければ言葉通り罵ってやれば良い。
やり取りを呆気に取られて見ていたマーナ、ミーニ、メーネは勿論、ティアリタ本人も食べ物を手にしていながら口に運んでいない事に気付いていなかった。それに気付けば説明が面倒だし、トゥルースの呪いの力がバレてしまい兼ねない。トゥルースはシャイニーに頷くとラバを出発させた。
「あの……あなた様? 今のはあんまりじゃないですか? 侯爵様のご子息に向かってあの様な……」
「……良いんだ、あれで。たぶんあいつはもう呪いに苦しむ事はないんじゃないかな」
もう一人、ティアリタの変化に気付いていなかったティナが後ろから非難の声を上げるが、トゥルースは半分上の空だった。トゥルースは未だ自分の呪いの発動条件が分からずにいた。どんな言葉が有効なのか、どれだけ本気で口にしなければいけないのか。それが分からない内は相手を不快にさせるだけなので、仲間内であるシャイニーやフェマにはまだ呪いを解く為の言葉は掛けていなかった。下手をすれば今の良好な関係を壊してしまうかも知れないのを恐れて。
「ちょっと、あなた様? どういう事なんですか? ねえ、あなた様? あなた様?」