√トゥルース -009 あれは良い物だ
「なあ、フェマ。ちょっと気になったんだけど……侯爵の屋敷で石を見せていた部屋に飾ってあった人物画なんだけど……あれってもしかして……」
「ああ、あれな。わしじゃ」
素早く着替えて部屋を出ていたトゥルースが、同じく手早く着替えを済まして出てきていたフェマに聞いてみると、思った通りの返事が帰って来た。あの部屋に飾ってあった絵は真っ赤な髪の女性が椅子に座っている何でもない絵だったのだが、どこか見覚えのある雰囲気に首を捻っていたのだ。最初は侯爵家に血縁のある人かなと思ったトゥルースだったが、それにしては既視感が凄い。ふと見ればミーアもその絵をじっと見ていたのを目にして、自分たちの共通する人物は誰だろうと思い返してみたが、視界に入ったフェマに、もう思い付くのはこの人しかいないと結論付けた。
「あれは竜たちが死んだのか姿を消してから数年後、成人したわしが峠道を一人越えて帝国、今のこの侯国に入り、嫁入りしようとしていた時の事じゃ。わしが竜と交流があった娘だと当時の侯爵に知れての、あまりに喧しかったので絵師に肖像画を書かせる事に仕方なく同意したのじゃ」
その絵師からは、下書きに二日、色塗りに五日、手直しに二日も取られ、当時就いていた食べ物屋の仕事をクビになったと苦虫を噛み潰したような顔で説明するフェマに、気の毒にと苦笑で答えるトゥルース。
髪の色が当時と違うのはフェマが髪を染めているからだそうだ。今は濃い茶色の髪だったが、本当は今朝見たような真っ赤な髪だと言う。
「どこでその話が漏れたのか、聞くまでもなかったわ。わしと夫婦になろうとしておった男にしか話しておらなんだからの」
その後、呪いの為にこの地を一人で離れる際、容姿が知られてしまった為に髪を染めるようになったそうだ。それでも遠隔地等では偽る必要もなく赤い髪を晒していたが、近隣である王国に戻ったのを切っ掛けに再び髪を染めるようになったのだった。
「まだあの絵が残っていようとはな。髪を染めておいた上、化粧で誤魔化しておいて正解じゃったの」
ティナにはシャイニーとティナの真似っこだと思われたようだが、この際は仕方ないとティナには黙っていた。
フェマはティナに自分の事を打ち明けるべきなのかまだ迷っていた。竜へと姿を変えていた者にとって、過去に触れ合った経験を持つ本人だと名乗ったところで、混乱を来すだけだ。況してや王族の姫である。自分の事が王国の耳に入れば何をされるか分かったものじゃない、少なくとも自由は奪われるだろうから。
「そう言えば、何で侯爵邸って一般家庭と同じような屋敷だったんだ? 侯爵ならもっと立派な屋敷に住んでいるものじゃないのか?」
「それなら聞いた事がありますわ。帝国の領のひとつだった頃は税が厳しく、侯爵の手元に残るお金は僅かなもの、独立してからは二本の隧道を掘るのに私財を投げ打ったという話です」
進まない朝食のスプーンでスープを突っつきながらフェマの出した調味料待ちのティナが答える。
丁度建て替えの時期に隧道の着工があった為、貯めていたお金はそちらに回してしまい建て替えが出来なくなったのを見兼ねた領民たちがお金を掻き集め、隧道堀りとは別に志願者を集めて大工が主体となって屋敷を建ててしまった。流石に立派な建物とはいかなかった上、侯爵邸らしい建物がどういう物か分からなかった領民たちは自分たちの家の中でも比較的立派な屋敷を参考に、それより一回り大きく建てたのだった。
プレゼントされた当時の侯爵は大変喜んで、大切に使い続けていた。余計な物も置かずに。そしていつでも立派な屋敷に建て替えられるように敷地は広大に確保する事を領民たちが望み当時の侯爵はそうしたが、今に至って建て替えの予定はない。隧道の拡張工事が未だ続いているのだ、そちらに資金を回している。あくまで領民が潤うよう動く侯爵だった。そんな中での石の購入は普段贅沢をしないマナールにアンが偶には贅沢をと進言したからだ。元々行政を行う職員たちからも偶にはと言われ続けていたので、隧道の記念式典を前に丁度良いと購入を決めたのだった。
因みに侯爵に話が繋がる切っ掛けとなった最初の店には、話が纏まったら加工を任せる事で話は付いているらしい。目の前の儲け話がフイになった詫びを兼ねてだ。店側も買って貰えるか分からない高額の石を仕入れる程の余裕はなかったので、その話は渡りに船だったのだ。
「愛し愛されているんだな、貧乏な国なりに」
「とても良い関係なのね、いいなぁ」
「何じゃ、嬢はこの国が羨ましいのか? わしはこの国の味付けには飽き飽きしておるのじゃがな」
「……確かにこの国の料理はどれも薄味過ぎますわね」
丸一日休んでご機嫌なラバたちに荷物を載せながらフェマの愚痴に皆が頷く。
昔は調味料、特に塩が高価すぎて充分に手に入らなかったこの国(領)の人たちが長年慣れ親しんだ味付けである。隧道が通って帝国から充分な調味料が入ってくるようになったとは言え、まだまだそれらは高価だし、慣れた味はそんなに簡単には変えられないものだが、それでも若者を中心に徐々にだが味付けが濃くなりつつあるらしい。現に侯爵邸での夕食会では味付けは薄味気味ではあったが、そんなに悪いものではなく侯国特産の野菜類そのものの味を活かす味付けだった。
そしてその夕食会でも、マナールは礼儀作法無視の自由さを見せた。
「あれが……国の長とは……我が目を疑ってしまいましたわ」
「安心せい、ティナ嬢。あれは特別じゃて」
「ウチ、お作法とか全く分からないから助かったけど……あの人はちょっと苦手。でも見ている分には良い人そう」
「ニーはああいう人と関わるの駄目そうだものな。そうそう、執事のアンさんに聞いたんだけど、侯爵のあれ、呪いなんだって」
どうにも畏まった雰囲気が駄目だというマナール。実はそれが呪いだった。強く気を持てばちゃんとした礼儀作法が出来るのだが、普段は作法なんてクソ喰らえだというマナールは、帝国貴族からの評判は悪いものの、国民からはとても親しまれており、人々はそんな侯爵を仕方ない人だと笑って許していた。トゥルースがアンにマナールの呪いが解ければ色々と楽になるのではと聞くと、あの呪いがあってこその主様だ、今のままで良い、今のままが良いとしみじみ言われた。呪いは解けないという一般常識を抜きにしてもそこまで言わせるマナールの為人があってこそだろう。
「そう言えばルー君、侯爵様から何か受け取っていなかった?」
「ん? ああ、隧道の通行証だよ。通行料を免除してくれるんだって。どっちがついでか分からないけど、検閲も簡単にしてくれるんだって」
休憩がてら昼食を済ませた一行が西の隧道を目指し進んでいる中でシャイニーが後ろのラバに乗るトゥルースに振り返って問い掛ける。
トゥルースがマナールに石を売る時、卸価格を提示すると後方に控えていたアンが口を出してきた。安過ぎではないか、と。元々この国へレッドナイトブルーが入って来る事は滅多な事では無い。入ってきても業者がいくつも介入し販売価格はとんでもない数字に跳ね上がっていた。
今まで隧道が無く命懸けだったのもあるし、隧道が出来上がってもその通行料は安くは無い。おまけに持って帰って商売になる様な特産物は今までほぼ皆無だった。加えてお金が無い国ときている。そんな土地に態々高価な石を持ち込む者もおらず、注文すれば足元を見られ吹っ掛けられていた。
そんな中、只の通り道として通り掛かったトゥルースたちにアンが声を掛けた事で偶然に石を手に出来、喜んだ侯爵だったが、その値段が原石とは言え一桁違うのではという値段の提示を受けたのだ。トゥルースとしては王国で売れた値段、今回値上がりした村での卸値、道程の困難さ、午前中に売った石の値段を考慮した提示だったのに、だ。世の業者はどれだけ吹っ掛けているんだ!? と売る側も買う側も声をひとつにしたものだ。
結局もう少しだけ上乗せした金額に落ち着いた上で、それだけでは気が済まないと言うマナールにアンが通行証の発行を提案したのだ。この通行証は国賓に対して発行される物であり、一般人や敵対勢力には発行されない。有効期限は一年間と短い物だが、その間は通行料免除の上、検問所での検閲も緩いものとなる。従って発行される相手は厳選された者となり、一種のステータスともなっていた。
期間が短いのは、いつ相手が敵対するか分からないが為であるが、今のところそういった案件は起こってないそうだ。貰ったトゥルースとしては隧道の通行料の事は知らず、人数も四人と少なくは無い為、予定外の出費を回避できる事に喜んだ。
「この町から隧道までは馬で半日近く掛かるってさ。どうする? この町に宿は一軒だけあるって言うけど……」
「それって進むか移動を諦めるかって事? ウチはどちらでも……ルー君の良い方でいいわ」
「この町で泊まっても良いが……またあの薄味の飯なんじゃろ? 飯は自分で作った方が美味いのは何とかならんのかや」
「そう、ですね。快適な寝床と美味しい食事、天秤に載せるとなると後者に傾いてしまいますね」
どうにもこの国の食事事情は四人には合わないようだ、この意見には皆が同意した。結果、この町では食材等を買い込んで出発する事にした。
「ねぇ、ルー君。侯爵様のところで出たお茶の葉ってこの町で手に入るのかしら」
「おお、あの茶は美味かったのぅ。わしもあの茶がこの国にあるとは知らなんだ」
「確かに美味しかったですね。王国では口にした事はありませんでしたが……もしかしてこの国でも首都でしか手に入らない物なのかしら」
食材を売る商店の店先で茶葉がないか探す女性陣。しかしそれをトゥルースが止めた。
「あの茶葉は試作品らしいよ。まだ店には並んでないんだって」
「ええっ!? じゃあまたこの国に来た時にしか飲めないのかしら……」
「いや、少しだけど分けて貰えたよ。まだ手間を掛け過ぎるから研究中なんだって」
近い将来、この国に名産品が出来るかも知れない。それに期待しつつ、また口にできる事を喜ぶ一行だった。