√真実 -030 はためくパンツ
「大丈夫? 真実くん」
光輝に団扇で扇がれていた顔色は随分と良くなっていて、ふぅと息を吐く真実。
「……ああ。もう大丈夫」
風呂での事件は他にも。
まず、真実の足がつった。
折角見ないよう見ないよう真実が努力してきたが、それで全て台無しだった。まあ、それどころではなかったのだが。
狭い浴槽の中に二人で入っている状態だったので、つった足を伸ばせなかったのだ。マッサージどころかストレッチすらやる機会を失っていたのだから、起こるべくして起きたと言っても良いだろう。
「全く、ほんまに呆れ返るわ。しゃんと水を飲んでせんからやわ」
そして、真実は逆上せた。
風呂の中で色々有り過ぎたのと、自分と同様に素っ裸にされた光輝を先に出させて着替えさせ、自分はその後に風呂から出ようとしていた。しかし光輝が服を着て声が掛かり、いざ浴槽から出ようと立ち上がったところで、ふらついて洗い場に崩れ落ちたのだ。
異変に気付いた光輝が浴室に入るのに躊躇はなかった。既に体を見て見られた上、密着させた仲である。今更ではあったが、それが中学三年生の女子として正しいか間違っているかは別の話であるのだが。
「……ごめんなさい。お騒がせしました」
いずれにしても真実の落ち度であった。足がつる要因の一つに水分不足がある。逆上せた要因も然り。光輝の祖母の言う通り、山登りの前後に準備運動等も碌に行わず道の駅からは水分も口にしていなかったのだから。下手をすれば余所のお宅の風呂で、全裸で溺死し兼ねない案件でもあった。
まあ光輝の祖母も風呂に入らせる前に水分を取らせなかったという自負があったので、それ以上詰責する事はなかった。
「まあ、ええわ。それより二人とも何でうちに来てん? 野菜やら何ぞの肉が入っとったんやけど?」
あっ! そう言えば! と慌てて持ってきた手提げを見ると、中身は全て出され、着ていた服と一緒に部屋干しされていた。
そして野菜はテーブルの上に並べられていたが、肉をくるんでいた新聞はその隣に広げられていて中身は無かった。たぶん気を利かせて冷凍庫に入れてくれたのであろう。主婦歴が長いと言わなくても見て判断出来るようだ。
「前におばあちゃんから聞いた、景色の良い山に行ってきたんだけど、その手前の道の駅でお野菜とかが美味しそうで安かったから買ってきたの。おばあちゃんにもお裾分けしようとしたんだけど、雨に降られちゃって」
「そらそら、おおきに。で、冷凍庫に入れておいてんけど、あの肉もそこで買うてきたんかい?」
見慣れない肉が気になっていたのだろう、体を反らして冷蔵庫の方を見る光輝の祖母に帰り道でのあらましを話すと、それはそれはと恐縮する。勿論その肉もお裾分けするつもりだが、その内の一種でも珍しいのに熊・鹿・猪と三種類が揃っているのを知ったら腰を抜かすかも知れない。
そんな中で真実の目は終始泳いでいた。その目は主に室内にぶら下がっている物に。
「……どうしたの? 真実くん」
「いや、その……まだ乾かないかなぁと」
「そないに早よう乾く筈があらせんやろう」
「……ですよね」
その視線の先には先程まで身に付けていた二人の下着が。勿論服もぶら下がっているのだが、どうしても並んでいる下着に目が行ってしまうのだ。だって男の子なんだもん。
つい先程まで身に付けていた物が目の前にぶら下がっているのも恥ずかしいのだが、光輝の真っ白な下着と並んでいるのはもっと恥ずかしい上、それらを剥かれて裸のまま二人で風呂に浸かっていた事を思い出してしまう真実。主に下半身が大変な事になっていたが、それは仕方がないだろう。今、真実も光輝も下着を身に付けていないからだ。
そこでふと思い出す真実。街中で光輝と綾乃がピンチのところを助けた日に、道場仲間の大学生のミサと共に買い物に行った際にどんな色の下着が良いか聞かれて白と答えた事を。もしかしてその時の? と考えながらも女子の下着と言えば白でしょ! と固定観念のある真実にとってそれが正解なのかの判断は出来ないのであった。
服はと言えば、何処から出してきたのか光輝は浴衣姿、真実は甚平姿で、着慣れない物を下着無しで着ているので違和感に満たされて落ち着かなかった。
浴衣は以前夜祭りに着てきた物とはまた別の物で少し古い感じだと思ったのだが、本当に古い物で光輝の祖母が小さい頃に着ていた物だという。また、甚平は今は亡き光輝の祖父の物らしい。捨てられずに取っておいたのだが、正解だったと喜んでいた。
と、ブラジャーらしき物がない事に今更気付く真実。
が、光輝の育ちかけの慎ましく真っ白で張りのある二つの丘をチラ見した事を思い出した真実は、キャミはそういう使い方なのかと一人納得した。しかしそれは二人とも間違っており、本来ならばブラを隠すべく着る為に着るよう綾乃に渡された物で、パット入りのそれ用の物では無かった。
山を登った際、ふと光輝が屈んだ拍子にサマーニット越しに浮いたキャミの中が見えた気がした真実は再び顔を赤らめるのだが、風呂の中では極力見ないように努めていた。
「……そう言えば、おしり辺りに痣があったけど、山を登っている最中にでも何処かにぶつけた?」
剥かれて素っ裸になった光輝をじろじろ見ていた訳ではないが、光輝の祖母の暴挙と大胆な光輝の行動に思わず目を見開いた真実は、光輝のおしりもまともに見てしまっていた。勿論、大事なところは一切見ていない事は付け足しておこう。光輝にはもっと恥じらいを持って欲しいものだとは後の真実の言葉である。
風呂の中では謎の濃い湯気や怪光線も大活躍していた事だし。あ、海苔は今年は不作らしいです。
「!! えっと、その……大丈夫。もう痛くないし」
おしりを見られていた事に不快感を示したのだろうか、光輝が浴衣を正しながら俯いて何でもないと答える光輝に、ちょっと具体的に場所を口にしてしまった事を反省する。
しかし、その言葉に難色を示したのは光輝の祖母だ。
「ほんまに大丈夫なん? 光輝ちゃん」
「……ん。心配ないよ、おばあちゃん」
本当に? と光輝の目を睨むように見る光輝の祖母だが、少々心配し過ぎな気がした真実。
だが、孫は可愛い存在であろう事から過保護にもなろう。
「……さよかい。まあ服も暫くは乾かへんし、今夜は泊まって行きんさい」
「ええっ!?」
「……うん、そうなんだよ。……えっ!? そっちはパラついただけ? いや、こっちは土砂降りだったんだから!」
随分と重量感のある受話器を手に話すのは真実だ。
自宅にいる父親に今晩泊まっていく事を伝えているのだが、どうやらこの雨はゲリラ豪雨的なものらしく、隣街の自宅の方は今は全く降っていないそうだ。
「……うん、服が乾かないから今日は泊って行けって。……うん、分かった。お婆さん、電話を代わってって」
総司に電話を代われと言われて光輝の祖母に受話器を手渡す真実。
電話を掛ける際に初めて見た黒い電話機の数字の書かれた穴を一生懸命に押していたのは年代的には仕方の無い事であろうが、光輝の祖母には大笑いされた。ジ~コジコと音を立ててゆっくりと回るダイアルに目を回す真実。ダイアル式の黒電話は既に五十年は使っているという骨董品だ。
「いやいや、そないな気ぃ使わへんてもええですわ。二人にはお裾分けももろうたし。……ええ、ええ。ほんじゃ」
どうやら今度お礼をと言っているようだが、光輝の祖母は不要だと頑なに受け付けなかった。
ほい、と再び手渡された受話器を手に取ると、電話の先の総司が思いもよらない事を言い出す。
「うん、うん……えっ!? 明日の朝には行っちゃう? 何でまたそんな急に? えっ、母さんも? ……うん、うん……分かった。うん、気を付けて」
ガチャリと音を立てて受話器を下ろす真実の顔は優れないものだった。その事に気付いた光輝が首を傾げて覗き込む。
「どうしたの? 真実くん」
「うん……父さんが明日の朝には仕事で家を出るんだって。また何ヶ月か帰ってこないって……」
また急な話ではあったが、近いうちに仕事に戻るとは聞いていたので仕方ないと肩を落とす真実。
「えっ!? 真実くんのおとうさん、また仕事に?」
「今度はいつ帰ってくるのやら……」
「おや、おとんは単身赴任か何かなん?」
二人の会話を不思議そうに聞いていた光輝の祖母が納得したように問い掛けてきたのだが、未だに仕事が何なのかを言い当てられていない真実にはその質問には正確に答えられないのであった。