√真実 -022 乗り継ぎ
「ああ、運転手さん。こん子らは乗り継ぎじゃけんの」
ちょっとした空き地に乗り入れたバスは、暫くここで時間調整だと言う。運転手の休憩時間でもあるのだろう。加えて言えば、ここで次のバスに乗り換えが出来る。
そして真実と光輝が乗り換えの為、次のバスに乗ろうとしていたところに、先程まで同乗していた乗客の一人がその運転手に声を掛けた。
「ああ、そうなのかい? じゃあお金は入れなくても良いよ」
えっ!? と目を見開いて振り向く真実。
そう、この市の巡回バスは乗り継ぎではお金が掛からない。連続した路線と見なされているからだ。本来ならば運転手同士でそういった連絡をしあうのだが、殆どが常連の顔見知りなのでそういった連絡業務は形骸化していた。
そこで常連客の出番である。自己申告でも良いのだが、そもそも滅多に乗らない者がその制度を知っている事は少ない。知っていても言い出せない者も少なくないだろうし。
だが、常連たちも得意気に教えてくれるので、その心配もないのが現状なのだ。況してや孫と同じくらいの子供たちなのだから、当然と言えば当然であった。
「お得、どころの話じゃないよな」
「ん。ウチも乗り継ぎは初めてだけど、本当なんだっておどろいた」
見た目は同じ、行き先の違うバスに乗り込むと、さっきまでの賑やかだったバスとは打って変わって、数人しか乗っていない静かな車内だった。二人がまた同じように横向きの席の前の方に座ろうとすると、斜め後ろの一人席に先に座った先程の常連の乗客のお婆さんが声を掛けてきた。
「お二人さん、そこは偏屈爺さんの指定席じゃけん、他に移っておきんしゃい。このバスなら一番後ろの席も空いとるけんの」
顔を見合わせる二人だが、丁度その時バスの入り口から一人のお爺さんが乗り込んできた。じろりと睨まれた二人は、あ、ご免なさい、とそのまま横向きのイスの後方へと移動する。
何となく最後列にまで移動するのは憚った為だが、そのお爺さんはフンッと鼻を鳴らして今まで光輝が座っていた最前の席に座った。丁度真ん前になったお婆さんが口を手で隠して体を寄せてきた。
「ほらね。この爺さんはそこでないと臍を曲げるんよ。でも安心しんしゃい、他の人たちはそんな事ないけんの。そうだ、飴ちゃん食べよる?」
顰めていた声色から打て変わって明るい声を出すお婆さんはまたもや頭の中に手を突っ込む。どうやら頭に飴を仕込むのが流行っているらしい。今回も出てきたのは歯に優しいノンシュガーだった。
間もなくバスは走りだした。
が、空き地を出て僅か100mのところでバスが急ブレーキを掛けた。目の前を一時停止せず横切った車が走り抜けていくのを乗客たちは目にする余裕などなく、わあっと声を上げてつんのめる。横向きの席に座っていた真実と光輝は踏ん張る事も出来ず前方へと倒れたが、席から投げ出される程まではスピードが出ていなかったのは幸いだった。
「あたた、光輝大丈夫か?」
結果的に光輝に覆い被さる様に倒れた真実は、光輝の太ももというエアバッグに助けられていた。細いながらもその柔らかさにまでは意識を割く程の余裕がなかったのは後々失敗したなと後悔する事になったのだが。
しかし、その光輝も投げ出されてはいなかったが、長イスの前に座っていたお爺さんに伸ばした手が当たっていた。
「ふぁっ! ご、ごめんなさい! 怪我はないですか!?」
「……いや、ワシはええ。お前さんはええのか?」
頷く光輝をチラリと見た後、前を横切ったクルマが走り去った先を睨み付けるお爺さん。イスの前方にある手摺に体を預けて座っていたので、乗客の中では最も安定した体勢だった。その為、運転手以外で唯一、その横切ったクルマを視認出来ていたのだ。
「すみません、お怪我をされた方は見えませんか?」
慌てて運転手が客席を向くが、幸いにも頭をぶつける人もなく怪我人はいなかった。ホッと息を吐いて運転席に戻ると、バスを再度発車させた。
「あ~ビックリしよったの」
「ほんにのぅ」
「クルマが飛び出したんやろ? ほんに恐ろしいのぅ」
乗客の間でも胸を押さえながら口々にしていたが、声に出す事で幾分か落ち着かせているようだ。
「今の赤いクルマは……シゲんとこの倅か」
ぼそりと呟いたお爺さんはバスが何事もなかったかのように走る中、手摺を握ってよっと腰を浮かすと、手を伸ばして通路に転がっていた手提げを拾い上げて光輝に突き出した。
「あ、ウチの荷物……あ、ありがとうございます」
慌ててお爺さんからその荷物を受け取る光輝。
その荷物を預かっていた真実は、急ブレーキで光輝に覆い被さった時に手提げを放り出してしまっていたようで、光輝とお爺さんに詫びとお礼の言葉を掛けた。
「……フンッ」
鼻を鳴らして視線を前に戻すお爺さん。愛想は決して良くはないが、人は良いのかも知れない。
「おやまぁ。頑固爺がデレよった」
「なんと! ほりゃ事件だが」
「いやいや、今夜は赤飯でも炊かにゃあかんかや」
途端に騒ぎ出す車内。先程までの雰囲気はすっかりと吹き飛んでいた。
「やかましいわ! 全く、シゲんとこ乗り込まんと気が済まんわい!」
ギッタンギタンにしちゃる! と不穏な言葉を口にして息巻くお爺さんに、また湧く車内。
「この爺さんのところは孫が遠くに住んでおって滅多に来やせんからの」
「嬢ちゃんに怪我があらせんか心配しよったんよ」
「それにお礼される事があらせんから照れおったんやわ」
「喧しいぞ、この婆どもが!」
腕を組んで凄むお爺さんに、カラカラと笑うお婆さんたち。
その後の車内は賑やかだった。話を聞いてみると、さっきまで乗っていたバスも含めて半数の乗客は病院からの帰りだそうだ。開院時間の前から行って早々に診て貰い帰る、というのが日課になっているらしい。もう半数は病院の代わりに喫茶店に行って情報交換をしているという。
「この先には喫茶店なんて洒落たもんはあらせんからの」
「どうせ百円で街に出られるんなら行かな損やけんの」
「タダで乗れた時もあったけん、貧乏人が乗るバスや言うて乗らなんだしなも」
タダで運用され始めた巡回バスだが、乗客が集まらない為に運賃を課した途端に利用が大幅に増えたと言う。似た話は全国で聞く事が出来るだろう。
また、この先にはバスがないと買い物もままならない人が少なからずいるので、廃止には中々出来ないらしい。
「まあ、わしらとはちゃってその爺さんは健康そのものやけん、心配あらせん」
「入院しちょる婆さんの見舞いに行っとるでの」
「そんでもって、心配しよる婆さんの為にクルマの免許を返しよったもんで、もうクルマには乗れへんのよのぅ」
運転免許を自主返納した為に普段の足が無くなり、こうして市の巡回バスを利用するようになったらしい。
聞いてもない事を色々と教えてくれるお婆さんたちに、こんなにも話して大丈夫かなぁと真実がお爺さんの方を覗くと、こめかみをヒクつかせ目の吊り上った魔王の様な顔が。
「喧しい言うとるやろ! ペラペラペラペラと婆どもめが!」
「おお怖っ!」
「ほれほれ、あんまり声を荒げるからお嬢ちゃんがビックリしちょろうが」
「ホント、何にでも声を張り上げれば済むと思って……みっちゃんが不憫だわ」
睨み付けるお爺さんなんてものともせずに反論までしだすお婆さんたち。
みっちゃんとは入院中のお婆さんの事だろう、どうやら知り合いらしい。他の乗客たちもクスクスとそのやり取りを見て笑みを漏らす。
もう先程までの急ブレーキによる騒ぎは収まり、次の騒ぎが起こっていると言っても良いだろう。その中に強制的に巻き込まれてしまった二人。
だが、それは何となく心暖まるものであった。と言うのも……
「で、昨日持ってったった煮物は平らげたのかや?」
「今朝、瓜がぎょうさん採れたもんで持ってっちゃるわ」
「帰ったら赤飯の用意をするけん、昼前に顔出しんしゃい」
お爺さんをイジるくらい仲が良いから、お婆さんが入院してもお爺さんをみんなでサポートしているようで、文句を言いながらもお礼を口にして呼ばれたお宅に行く約束を取り付けていた。
だが、そんな和やかな一面を見せつつ、シゲさんの倅は容赦しないと息巻くお爺さんであった。