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取るに足らない物語  作者: 秋久 麻衣
そろそろ寒くもない気がする
6/9

桜の一つもない景色

 いつも通りの公園で、いつも通りではない光景を作り上げる。それとも、これを繰り返していけば。これが自分にとってのいつも通りになるのだろうか。

 鉄錆が支配する寂れた公園で、誘われるままにベンチに腰掛ける。先客である少女は、やはりフードを目深に被ったまま隣を空けて待っていた。表情は分からないが、雰囲気は柔和で落ち着いている。自分にとっては非日常であっても、少女にとっては既に日常なのだろうか。

「これ」

 下げていた袋から、熱い缶を取り出して少女に渡す。少女はそれを受け取り、まじまじと見詰めた。

「ココアです」

 何やら不思議そうに、少女はそう鈴の音を鳴らした。

 少女はその背丈に見合わない、大きなパーカーを羽織っている。相応に大きいパーカーのせいで、横顔も少ししか見えない。大きなパーカーの袖から、僅かに細い指を覗かせて。ココアの缶は、少女が持つと大きく見えた。自分が持った時は、あんなに小さく思えたのに。

「にがいって言ってたから」

 少女の抱いている、不思議に対しての返答だ。前にコーヒーを渡した時は、にがいと言っていた。

 少女はこちらに顔を向ける。相変わらずフードで表情は見えないが、どうもぴんときていないらしい。

「あげるよ、それ」

 どうやら、少女の中では渡す事とあげる事がイコールで結び付いていないらしい。

「……ありがとうございます。私が甘い方が好きなの、よく分かりました。凄いです」

 両手でココアの缶を握り、少女はそう礼を言った。何やら感心したようで、しきりに頷いている。表情が見えなくとも、弾んだ声を聞いていれば想像する事ぐらいは出来る。

「あ、どうしよう……」

 と思ったら、急に不安げな声に変わった。

「私、私はまたこれしか持ってない……これ、もっとちゃんと考えれば良かった」

 少女の右手がパーカーのポケットを探り、使い捨てのカイロを取り出した。迷いながら、こちらをちらと見ている。

「別に、物が欲しい訳じゃないから」

 そのカイロだって、別段必要としている訳ではない。今はあまり、肌寒いとも思わない。気付けばいつも、季節は過ぎ去っているものだ。

「うしろ、うしろめたい、です」

 だが、少女はそう返してきた。後ろめたい。難しい言葉を知っているなと思いながら、それに込められた意味を考えてみる。

 一応は大人である自分が、少女に見返りを求めずに何かを差し出す。無償の行為は、本来当たり前でもある。これには損得の勘定がない。だが、少女にはその概念がない。

 無償の物などない。どちらがどれだけ得をするのか、損をするのか。そういった意味合いを、少女は無意識の内に考えている。だから後ろめたい。対等な物を返せないから、相手に損を押し付ける結果が見えているから。

「一人だけ飲むのも、後ろめたい事だから」

 悩んでいる少女に、そういう後ろめたさもあるのだと伝える。そして、自分用に買っておいた缶コーヒーのプルタブを開けた。

「それは、それだと大変です」

 神妙そうに少女は言う。

「じゃあ、あの。私もいただきます。これ、これは」

 少女が手に持ったカイロを、差し出そうとしては悩んでいる。

 まあ、この気温でカイロを渡されても正直困ってしまう。少女もその事に気付いているのだろう。

「それ、いつも持ってるけど。寒いの?」

 いらないと拒否するのもなんだか申し訳ない気持ちになる。かといって受け取るのもどうかと思い、そう質問していた。

 数週間、数日前までは確かに寒かったから、その延長線上にあるのかも知れない。

「私は寒いです。身体があまり暖かくありません。朝が大変です」

 子どもの体温は高いものだと思っていたが、それも人それぞれという事なのか。

 話をしながら、少女はやっとココア缶のプルタブを開けた。多分、こちらの意思を拾い上げたのだろう。

「でも、段々と暖かくなってきます。そうしたら、また次の寒い日までこれは使いません」

 そう言って、少女は使い捨てカイロをパーカーのポケットへ仕舞った。少女の部屋には、使い捨てカイロが箱で置いてあるのだろうか。少し気にはなったものの、あまり家の事を詮索したくはなかった。

 同じような不幸を感じ取るような子が、どんな家でどんな生活を送っているのか。何となく察しがついてしまうからだ。そうやって一方的に推し測る時点で、失礼だろうとは思うけれど。

「春が近いから、すぐ暖かくなるよ」

 季節感のない自分が、そんな事を言うのも変な話だろうが。

「春、春ですか。私がもっと小さい時に見た四年生さんは、凄く大きく見えました。私もそうなるのかな」

 春から四年生になる、という事だろうか。小さいとは思っていたが、改めて考えると不思議な光景だった。寂れた公園に、小学生と並んでベンチに座っている。

「あんまり変わらないよ。多分」

 少なくとも自分から見れば、大した違いはない。

「そうだと思います。私、時間が止まっているんだって。時々考えます」

 そう言って、少女はこちらを振り向く。缶を持っていない方の手でフードを僅かに上げ、整った顔とそこに刻まれた絶望を見せてくれる。

 少女にそれが刻まれた時、比喩ではなく時間は止まったのだろう。どこで何をしていようと、いつでもそこに帰ってきてしまう。楽しい時を幾ら過ごそうとも、その最果てにはいつもこれがある。

 だから、少女の時間は止まってしまった。

 だとすれば、俺の時間はいつ止まってしまったのだろう。

「いつもフードを? その、学校でも」

 少女はこくりと頷き、パーカーのファスナーを胸の辺りまで下げた。白いブラウスに青いセーターニットを合わせている。学校の制服だろうか。そして、少女はパーカーを少しはだけさせた。セーターニット、その右胸の所に校章が施されている。これを見せたかったのだろうか。

「そんなに先生がうるさくないのです。ずっとパーカーでも怒られません」

 見覚えのある校章だった。確か、近くにある私立の。何度かその制服を見た覚えがあった。自分の勤めているコンビニから、あまり離れていない場所に学校はある。深夜はともかく、朝方に見掛けたりしているのだろう。

 少女はいつもフードを目深に被っている。学校でも常にだ。教師もクラスメイトも、何となくその理由を察している。察した上で、踏み入る必要はないと割り切っている。自分だってそうだ。どうしたらいいのかなんて、分かる筈がない。

 少女はパーカーのファスナーを閉め、ぽんと自身の胸の叩く。

「プールとか大変だ」

 普段の授業はともかく、体育は全般的に大変そうだ。

「私は泳げないのです、大変です。フードは、プールを出たらパーカーを着るので大丈夫です」

 泳げない、はともかく。水から上がるとすぐにパーカーを着るという事だろうか。

「パーカー、濡れそう」

「私はプール用のパーカーを持っていきます」

 プール用パーカーだと、しれっと返されたが。これまで生きてきて初めて聞いた単語かも知れない。

「プール用があるんだ」

 その光景を想像してみようにも、うまく絵に出来なかった。想像の範疇にないという事だ。

「あります。ん……」

 少女は何か疑問が芽生えたのか、こちらの顔をちらと覗き込む。

 視線を合わせると、目の下の隈がよく見える。あまり眠れていないのだろうか。

「少し、楽しかったですか? ちょっとだけ優しい顔をしてました」

 そう言って、少女はちょっとどころではない優しい顔をする。その時だけは絶望を押しやって、穏やかな笑みが顔を彩っていた。

「……まあ、少し」

 少なくとも、つらい時間ではなかった。そう言えば、まともに誰かと会話をするなんて久し振りかも知れない。いつも、使い古された常套句しか吐き出していないから。

「それなら、それはとても良かったです」

 そう答え、少女はまた正面を向く。表情は見えなくなったが、ぱたぱたと動く細い足を見る限り、つらくはないのだろうと分かる。

 少女は足をぱたつかせたまま、缶ココアを傾けていた。それに倣い、こちらも缶コーヒーを傾ける。

 冬が過ぎようとしている。春が訪れる。

 新しい季節なんて、仕事をしている時は意識すらしない。気付けば追い付かれ、振り返る間もなく通り過ぎる。ましてやコンビニの夜勤だ。肉まんが始まった、終わった。おでんが始まった、終わった。その程度の認識でしか、季節を捉える術はない。

「新しい教室、どんなところかな」

 そんな、何気ない少女の問いが季節を運んでくる。鉄錆しかないこの公園に、僅かでしかなくとも桜の香りを。

 冬が過ぎ、春が訪れようとしていのだと。数年振りに考えたのだ。

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