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取るに足らない物語  作者: 秋久 麻衣
おわりのはじまり
3/9

後手ばかりの生

 現実離れした出来事を経験したからといって、劇的に世界が変わるなんて事はない。それこそ、度を越して現実から乖離していなければ。そう考えると、あの少女との遭遇は度を越した非現実ではなかった。

 暗い部屋に帰ったきた後も、熱を持ったままのカイロをどうすべきか悩んだだけで、やはりいつものように眠りについた。結局の所、日常は回っていくし回し続けなければいけない。今夜も夜勤だった。幾らかは眠っておかないと、社会の為に貢献出来ない。

 無数の歯車が滞りなく回転し続ける為に、時間と命を潤滑油のように注ぎ続ける。中には、才能や努力を注ぎ込める人もいるのだろうが。少なくとも自分が持ち得ていたのは、そんなに輝かしい物ではなかった。

 この世界は無条件に生きていける訳ではない。手札がどうであれ、貢献しなければいけないのだ。そこに自分の意思など介在しない。

 社会という枠組みで生きていくには何かにならなければいけない。強固な歯車になるか、歯車を守る潤滑油になるか。そういった夥しい量の人柱を経て、ようやっと社会は出来上がっている。誰しもが何かを捧げているのだ。持ち得る手札から、これから得る山札から、少ない手札をやりくりして。

 自分は、それがたまたま時間と命だっただけだ。他に出せる物がないのだから、仕方のない事だろう。

 出せる手札もなくなり、引ける山札もなくなってしまえば。晴れて一上がりという奴だ。多分、そう遠くはない。手札は既に尽きている。山札があとどれぐらいあるのかは、端から分からないけれど。

 ベッドに寝転がり、冷えきった掛け布団が心地の良い温度になるまで待つ。頭の中を走っていく言葉の群れを眺め、そういうものだろうと冷笑しながら。

 部屋の片隅には、暫く開いていないノートパソコンがある。文章を綴るのが好きだった。世界を作る事が好きだった。これならば、自分も何かになれるのではないのかと、そう錯覚してしまう程度には。

 築き上げた文字列は、何にもなれなかった。作者と同じく、何も。

 その手札しか持ち得ない自分にとって、それは世界の終わりに等しい。この手札で勝ちたいと後生大事に抱えてきた物は、何の数字も刻まれていなかったのだ。他の誰かの手札には、同じようでいて違うカードが握られている。その輝きを見る度に、どうしてこうも違うのかと泣きたくなる。今はもう、何も思わないけれど。何も思わないように、訓練したのだ。他人と自分、幸福と不幸、正常と異常を、全部切り離して。

 手札は残っていない。また、山札を引かないと。カードを出し続けないと。無数の歯車達の為に、貢献し続けないと。

 眠りに落ち、意識が断絶するまでの間は、ずっとそんな事を考えていた。

 眠ってしまえば、目が醒めてしまえば。言葉は奥の方へ逃げているだろうし、あのカイロも冷えきっているだろう。







 機械になっている自分を想像する。それが、一番しっくり来るからだ。

 いつものように清掃を済ませ、いつものように常套句を投げ掛ける。仕事をしている時の自分は、人の形をした自動販売機に過ぎない。もっとも、仕事をしていない時と大差はないのかも知れないが。求められてる事を返すだけの自動人形、そういう類いの物だ。そんな出来損ないの人形でも、コンビニの夜勤は勤まる。

 さしたる問題もなく仕事を済ませ、朝食代わりに袋を一つ下げて。寒空の下、どの道で帰ろうかと考える。

 浮かんできたのは、あの少女の事だ。寂れた公園で出会った、フードを目深に被った少女は。確か、こう言っていた。

「……次にしましょう、だっけ」

 額面通りに言葉を紐解けば、次があるという意味だ。少女は、またあの寂れた公園にいるのだろうか。一体、何の為に。自分とあの少女は、何の関係もないというのに。

 もし仮に、あの少女が自分と同じように。誰もいない公園を居場所としているのならば。何らかの興味を持っていてもおかしくはない。一人だと思っていた世界にもう一人いたら、物珍しく感じても不思議ではないからだ。或いは話しかけるというのも、選択としてはあるだろう。

 そう、選択出来る。道は幾つかあった。あの公園を通らないルートだって、自分は選択出来る。

 ならば、それが一番正しいのではないか。あの少女は次にと言った。その次が来なければ、日常は日常のままだ。

 あの公園にも、誰かを受け入れる余地があったという訳だ。固執する理由はない、公園は少女に譲ろう。

 道を決め、足を動かし始める。

 公園を通らない、けれどいつも通りの帰路についた。







 日々を過ごしていく内に、少女の事などすっかり忘れていた。貰ったカイロだって、どこかのタイミングで捨てている。同じように、あの時の思いもどこかに消えた。

 それでも一週間が過ぎるまでは、意識してあの公園を避けていた。

 一週間が過ぎてからは、あの公園を通らない事が当たり前となった。

 そしてもう一週間が過ぎる頃には、少女は記憶から消えた。

 少女の事を思い返したのは、その道に足を踏み入れてからだ。いつものように仕事を終え、薄ら暗い朝を歩いている時に、その道へ向かっている事に気付いた。記憶から消えていたからこそ、無意識に足を伸ばしてしまったのだろう。この道を歩いていけば、あの公園を通る事になる。

 公園の事を思い出し、そこでやっと少女の事を思い返したのだ。

 足を止め、片手で下げた袋を見遣る。いつも通りの朝食、安いおにぎり二つに缶コーヒーが一つだ。別に、必ずしも外で食べなければという制約はない。何となく、空虚な部屋で食べるよりもましな気がするだけで。

 公園を通って、誰もいなければまた腰を下ろそうか。年頃の子が、今もまだあそこにいるとは考えづらい。何せ、あの少女が次と言ってから三週間近くが経過しているのだ。一月は終わり、二月になってもいる。もうとっくに、次という言葉は消えている筈だ。自分の記憶から、少女の存在が消えてしまったように。

 引き返すのも面倒だと結論付け、再び足を動かす。

 あれからも、自分は変わらず時間と命をくべてきた。少女だってそれは同じだろう。公園で偶然出会った人の事など、真っ先に炉へ叩き込んでいる。

 だから何の警戒もせず、足を動かし続けた。そして、自分はいつも後手に回るしかないのだ。

 鉄錆にまみれ、冷えきった遊具の佇む公園、そのベンチに。フードを目深に被った人影が見えた時、改めてそんな言葉が思い起こされたのだった。

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