したいの在り方
気の抜けた電子音が、作り物のように眩しい店内に響く。人工物である以上、これは当然作り物でしかないのだが。
「いらっしゃいませ」
そんな常套句を、機械的に発しながら。勝手に開いていく自動ドアを横目で確認して、作り物の世界に入り込んだ客を見る。その間も、洗い物の手は止めない。
時計の針を見る。夜の十一時前、まだかろうじて夜と言える時間だろうか。二十四時間、いつでもサービスを提供する。こういったコンビニエンスストアの特色は、今やどこの店でも見掛けるようになった。どこでも、と言ってしまうと語弊があるのかも知れないが。
少なくとも、昔に比べれば増えた。いつの間にか二十四時間営業の旗を掲げている所も、幾つか見たことがある。
洗剤を染み込ませたペーパータオルを、軽く洗い流しただけのトレイに被せていく。油で汚れたフライヤー器具には、こうしておいた方が手間がない。この時期はこれ以外にも、おでんの器具も洗わなければいけないのだ。
ふと、もうすぐだろうと意識が訴える。頭のどこかで、 客の動きを追っていた。洗い物で汚れた手をざっと洗い、ペーパータオルで水気を拭う。備え付けられた鏡には、何の表情も浮かべていない男の顔が映っている。まるで死体みたいだ……機械のように仕事をこなす、人間の出来損ない。
まあ、二十も後半といった男が、こんな所で働いているのだ。名実ともに死体と表現しても相違ない。
そんな死人から目を背け、レジの方を振り返る。ちょうどその時、幾つかの商品を詰め込んだ籠がレジに置かれた。
背広の男性だ。二本の缶ビールに、弁当と。酒のつまみに、今缶コーヒーが追加された。
それらをレジに通しながら、常套句を何度も口にする。弁当を温めるのか、箸は何膳か。明らかに五十を過ぎているだろう相手に、年齢確認のボタンを押すように促したり。袋を分けるかどうかは、敢えて聞かなかった。当たり前の事を聞くなと、逆上されても困るからだ。
必要最低限の言葉を吐き、冷たい硬貨のやり取りも終える。
「ありがとうございました」
最後の常套句を、誰に向けるでもなく宙に放つ。感謝の気持ちなんてない。向こうもそれを求めていない。
そろそろ、油物を洗ってもいいだろう。その後にはおでんを一回空にして、廃棄と掃除を済ませなければ。
夜勤はまだ始まったばかり。眠らない死体が、黙って仕事を片付けるだけの時間だ。汚れのように染み付いた動きと言葉で、求められている事をこなすだけ。
「いらっしゃいませ」
また、いつもの常套句を放ち蛇口を捻った。
仕事と休憩だけのサイクルを終え、人工の太陽を後にする。いつでも快適な温度で、いつでも眩しい。ともすれば、ビニールハウスと表現した方が正しいのかも知れない。
仕事を終えた朝六時、肝心の太陽は、少し雲に隠れていた。一月が始まって大分経つ。水溜まりも凍り付く寒さだ。コート越しに突き刺さる冷気が、息を白く染めていた。
手に下げたビニール袋には、お決まりの商品が入っている。缶コーヒーと、安いおにぎりを二つだ。夜勤を終え、朝を迎えた時には大体これを買っている。腹を満たして、ただ眠るだけの食料、という訳だ。
ふとコンビニの中を振り返ると、朝のシフトである女性が笑顔で接客しているのが見えた。まあ、自分も彼女に接客して貰って、これをぶら下げている訳だが。
あんな風に、笑顔で接客が出来る人が少し羨ましい。いや、正確には少し違う。
嘘でも本当でも、自分は最近笑顔を浮かべたのだろうか。そこまで考えて、無いものねだりだと苦笑を浮かべる。
一応、これも笑顔にカウントされるのだろうか。
そんな下らない事を考えながら、足を動かし始めた。
アパートまでの帰り道は、幾つか候補があった。同じ事を繰り返すだけの日々に、少しでも変化を付けようと足掻いた結果だ。それも既に、同じ事の繰り返しになってしまったが。
今日は、あの公園を通って帰ろう。手に下げたビニール袋を一瞥し、これもそこで食べてしまおうと考える。そうすれば、ゴミを持ち帰らずに済む。帰り道にもある、コンビニのゴミ箱にお世話になろう。同郷ならぬ同職のよしみという奴で、大目に見てくれる事を期待する。家庭ゴミの持ち込みはご遠慮下さいとあるが、守っている人はいるのだろうか。少なくとも、自分は夜勤でゴミ箱を開ける時、いつもうんざりしている。いや、もう既にうんざりもしなくなったのか。昨夜はどうだったのか、意識して思い返さないと浮かんでこない。
そんな事を考えている内に、目的の公園に着いた。自分以外の、誰もいない公園だ。ビルとビルの狭間に取り残され、時間ごと錆び付いてしまったような。
狭い公園だ。名前も、見渡す限りはない。ブランコが二つ、滑り台が一つ、砂場が一つ、金網で組まれた赤茶色のゴミ箱が一つ。そのゴミ箱は、もう誰も存在を覚えていないのだろうか。溜まりに溜まったビニール袋達が、所狭しと雨水をこしらえていた。
青と鉄錆のフェンスに囲まれたその公園を、訪れる者はいない。少なくとも、朝六時という早朝には誰もいない。だが、その寂れた様子を見る限り、子ども達の遊び相手はしていないように見える。かといって、居場所を探す青年を受け止めているようにも見えない。
誰からも忘れられた公園、自分はそう考えている。
一つだけあるベンチの上を、軽く手で払う。気持ち程度に綺麗にしてから腰掛け、ビニール袋から缶コーヒーを取り出す。それはまだ熱を持っており、冷えた手によく馴染んだ。
缶のプルタブを開け、ぼやけた頭にカフェインを入れる。熱いコーヒーはいつもと変わらない味だったが。この感覚は好きだった。熱が染み込んでいくような、そんな感覚が。
一息吐いて、安いおにぎりを平らげたらアパートに戻ろう。どれだけ空虚だったとしても、あそこが自分の住居だ。この寒空の下、一眠りする訳にはいかないだろうし。
そう考え、缶コーヒーを一口含んだその時だった。
「あの……お隣、いいですか?」
遠慮がちな、それでいて此処にいますよと主張するような。
透明な、鈴を転がしたような、舌足らずな。どう聞いても幼げな声が、空っぽの頭に響く。
目の前には小柄な少女が、少し猫背気味の姿勢で立っていた。パーカーを羽織り、フードを目深に被っている。そう、小柄な少女だ。ベンチに座っている自分と、ちょうど目線が合うぐらいの。今でこそ真っ直ぐ向き合っているが、自分が同じように並んで立てば、目を合わせるのすら難しいのではないかと思ってしまう。
「えっと、お隣……」
また控え目に、少女が鈴の音を響かせる。自分に話し掛けていると気付くまで時間が掛かり、その間じっと姿を眺めてしまった。何も考えていなかった頭が、ゆっくりと目の前の光景を処理しようと動き出す。
フードを目深に被った少女が、困ったような笑顔を携えて小首を傾げた。