ルウを探して ~1~
朝日が昇り、また一日が始まる。
白く無機質な回廊を、マークは数冊の書籍を持って歩いていた。均一に並ぶ扉たちの中で、一際大きい扉の前に立ち止まる。
ここはルウ専用に造られた勉強部屋である。
後宮には男子禁制なので、男性の教師の場合、いつもここを使っているという。まだ見ぬルウの妹ラティナシアも、いずれはここで勉学を共にすると聞いている。
ルウの妹というのだから、ルウのように破天荒な姫なのだろうか。それとも、ルウとは間逆な性格をしているのだろうか。
考えていても仕方がない。後二年もすれば、ルウの妹もここで勉強するようになるのだから、それまで待てばいい。
マークは考えを打ち切り、軽く扉を叩いた。
「ルウ様、マークです。入りますよ?」
少し待ったが返事がない。
いつもならノックした瞬間に、扉を思いっきり開き、マークに圧し掛かってくるのに今日は特に何もない。
マークは首を傾げて、もう一度、扉を叩いたが変わらなかった。
「おかしいですね。いつもなら、ちゃんと部屋にいるはずなのに……」
「あら? 親衛隊さんですか?」
振り返ると、ルウの侍女が洗濯籠を持って立っていた。とても若くマークと年は変わらなく見える。確か名前は……。
「アンリさんでしたよね?」
「まあ、私の名前をご存知なのですか?」
アンリは少しだけ驚いたが、すぐに微笑を浮かべた。それに釣られてマークも笑顔になる。
「もちろん知っていますよ。ルウ様にお仕えする前から、城にいる人、全ての名前と顔を覚えましたから」
「そう、ですか……」
何か残念そうに俯くアンリに、マークは首を傾げた。いつもならここで褒められるのだが、さすがに若い人から見れば、気味が悪いことなのかもしれない。
しかし、マークは城を王族を守る親衛隊だ。もし敵が攻めてきたとして、誰が敵で誰が味方か一目で分からなければいけない。
マークは心の中で深く頷くと、顔を上げてアンリに向き直った。
「ところで、何か用があって声をかけたのではないのですか?」
マークの言葉に、アンリはハッとなり顔を上げた。
「そうでしたわ。親衛隊さん、姫様はお部屋にいらっしゃいませんよ。ティナ姫様のところにお見舞いに行っていますの」
「お見舞い? 確か、ティナ様といえば、第一王妃の長女でしたよね? 病気、なのですか?」
「大したことはございません。ただの風邪ですわ」
ころころと笑うアンリに、マークは目つきを鋭くして、声を荒げた。
「風邪を馬鹿にしてはいけません! 風邪で亡くなる方は少なくないんですよ!」
毎年、国の十分の一の人間が風邪で死んでいるのをマークは知っているし、マークの祖母もそれで亡くなっていたので、風邪の恐ろしさは目の当たりにしていた。
「……っ。すみ、ません」
今にも泣き出しそうになるアンリに、マークは我に返り、頭を深く下げた。
「いえ、こちらこそ本当に申し訳ありません。淑女を怒鳴るなど、男のすることではありませんでしたね」
「いえ、マーク様が悪いんじゃないのです。私が……」
「いや、僕がいけないのです!」
二人は顔を見合わせて、お互いの真剣な顔に噴き出して、笑った。
「クスクス。これでは、きりがありませんね」
「アハハ、そうですね。ところで、もう一つ、聞いてもいいですか」
「はい」
「どうして僕の名前をご存知なのかと」
その瞬間、アンリの顔は耳まで真っ赤に染まった。
それに気付いていないのか、マークは続ける。
「もしかして、僕がルウ様付けの親衛隊だからかなぁって、思ったんですよ。それ以外に思いつきません」
「そ、そう、です。えっと、他の年配の先輩方から、私と同じ年くらいの親衛隊のマーク様がいると、申して、おられて、その……あの……他意はまったくありません!」
最後の方の言葉を強調して言うと、マークはすんなりと納得した。
「やっぱり、そうでしたか。あ! そろそろ行かないと、訓練に遅れてしまいます。それでは、また会いましょう」
「え? また、お会いできるのですか?」
「もちろんですよ。お互い、ルウ様の側近ではないですか」
満面の笑みを浮かべるマークに、アンリは高潮させたままの頬に手を添えた。
「そうですね。それでは、またお会いしましょう」
手を振り去っていくマークの後姿を見送った後も、アンリは年配の先輩が様子を見にくるまでボウッとその場に立ち続けていた。
「何やっているんだい! こんなところで油を売っていないで、とっとと洗濯をしな!」
年配の先輩はそう言うと、アンリの持っていた洗濯籠を引ったくり、前を歩き始めた。
「先輩……」
「なんだい!」
怒鳴る年配の先輩も、アンリは気にもならなかった。
「マーク様って、本当に素敵な方ですね」
「何を言ってるんだい。そんな当たり前なことを言うんじゃないよ。さっさと行くよ」
鼻息を鳴らして再び歩き出す年配の先輩の言葉を聞き流して、アンリはマークの去った廊下をもう一度だけ見た。
「もう一度、お会いしたいです。マーク様……」
アンリは汚れた洗濯物の入った籠に顔を突っ込み、すぐに我に返ったのだった。