目覚め
日差しが閉じていた瞼に当たり、マークは眼を開いた。
「あれ、ここは……」
寮ではない。白い天井に汚れの姿はなく、清潔感が溢れている。一瞬、病院かと思ったが、横を向いてそれが間違いだと知る。
「ここは、僕の家? 何で、ここに」
身を起こそうとした瞬間、全身に拳で殴られる痛みが走り、布団の上に戻る。
「な、何で………」
マークの言葉の返事の変わりに、ドアがノックされた。
「失礼いたします」
入ってきたのは、シアルファ家専属のメイド、ラナロットだった。ラナロットはマークの父と幼馴染の関係で、マークにとっては乳母に等しい人だ。ふくよかな外見と、優しい顔付きの彼女を、シアルファ家の人間は全員が信頼していた。
「お目覚めでしたか、マーク坊ちゃん」
「ラナ、ロット。僕、どうして……」
ラナロットはマークの言葉には答えず、せっせと水瓶を変えたり、マークの汗を拭き取った。
「ラナ、ロット!」
強い口調で言うと、ようやくラナロットの手は止まり、気まずそうに両手を合わせて一歩下がった。
「申し訳ございません。坊ちゃんが眼を覚ましましたら、早急に城へ向かわせるようにと、仰せられましたので」
「何故、それをすぐに言わなかったのですか?」
「それは、坊ちゃんの怪我の具合が心配で……」
確かに、起き上がろうとしただけで全身に痛みが走るのでは、歩くこともままならないだろう。しかし、眼を覚ましたのならば、いかなくてはならない。
マークは一度、あの人に勘当されている身だ。そんな人間に敷居を跨がれては、面目も立たないだろう。
そう考えたら、起きなくてはいけない。無理をしてでも。
「っく……」
「いけません! もう少し、寝ていてください」
「い、や。僕が、行かなくっちゃ、ラナ、ロットたちに、迷惑が掛かる」
「坊ちゃん!」
ラナロットの悲痛の叫びはこの部屋に留まらなかった。
「うるさいぞ。ラナロット!」
「ん? マーク、なのか?」
ノックもせずに入ってきたのは、双子の兄弟シリウスとユランだ。同じ顔付きに、同じ黒髪黒眼をしている。唯一見分けるとしたら、弟ユランの方は髪が長く一つに縛っているところだ。
それ以外は全く同じ二人は、騎士である、紫色の制服と黒に似た紺色のマントを身に付けていた。
「何故、お前がここにいるのだ」
「ここは、俺たちの運動部屋だ。とっとと出て行くんだな」
敵意むき出しの二人に、マークはある種の規視感を覚えた。それを思い出す前に、マークは二人の兄に、両腕を捕まれ、ベットから引きずり落とされた。
「っ!」
「なんだ。お前、怪我しているのか?」
「騎士にもなれずに堕落した弟よ。兄の最後の情けを受けるんだな」
二人はマークの腕を掴んだまま、引き摺りながら扉に向かう。
「お止め下さい。坊ちゃん方!」
「何のつもりだ」
「そこを、どけ!」
扉の前に立ちはだかるラナロットに、二人は不機嫌さを増した。だが、ラナロットは真っ直ぐと二人の眼を見て言い放った。
「退きません! お二方、マーク坊ちゃんは、重体なのですよ。今、無理に身体を動かしては、治るものも治らなくなってしまいます」
「………」
「それがどうした! 騎士にもなれない人間の身体がどうなろうと、俺の知ったことじゃない」
「っ! それが、実の弟に言うセリフですか!」
「ああ、そうさ。弟だろうが、何だろうが、関係ないね。そうだろ、シリウス?」
同意を求めるように、ユランは横にいるシリウスに視線を送る。だが、シリウスは何か心痛な顔付きで、マークの事を見ていた。
「? シリウス」
「なあ、マーク」
「なん、ですか」
「お前はどうしたい?」
「え?」
「城に行きたいか、ここに残るかだ。好きな方を選べ」
シリウスの言葉に、ユランとラナロットは驚愕し、マークは唖然とした。
ここで、マークに選ばせることで、自分の意思だと再確認させ、この家から追い出せる大義名分を造ろうとしているのだろう。
それでも、マークの中にある答えは決まっている。
「城へ、行きたいです」
シリウスは小さく微笑み、マークの腕ではなく肩に手を回した。
「シリウス!?」
「ユラン。わたしはマークを城へ連れて行く。お前は留守番をしていてくれ」
「何言ってるんだよ。連れてくって、追い出すんじゃないのか?」
シリウスは眉を曲げて、首を傾げた。
「何を馬鹿な事を言っているんだ。マークはわたしたちの大切な弟ではないか。勘当されたからと言って、何を邪険にする必要があると言うのだ」
ユランは口を噤み、マークとシリウスから一歩、下がった。ラナロットは目尻に涙を溜めて感動している。
「マーク。玄関まで辛いだろうが、辛抱してくれ。それ以降は馬車で城へ向かう」
「あり、がとう。兄さん」
「兄弟なら、当たり前だろう?」
シリウスがあまりに当然のことの様に言うので、マークは俯いて歯を喰いしばった。一歩一歩、前に進むごとに身体中に打撲のような痛みが走るが、シリウスの言葉はそれを忘れさせる効果があった。
兄弟だから当たり前。
だが、マークは上の二人の兄弟と、下の妹とは、同じ血を引いていない。父の妹夫婦の子供、つまり従兄妹だ。
マークの両親はマークの一歳の誕生日の日に事故で亡くなった。雨の強い日に無理して山道で馬車を飛ばした為、転落死したのだ。馬車の中にはマークへの誕生日プレゼントが積まれていたという。
引き取り人はもちろん、父だったが、父は嫌がった。妹の夫は身元も分からない浮浪人。大切な妹の子だとはいえ、半分は汚らわしい血を受け継いだ子を、引き取る気にはならなかった。だが、シリウス達の母が、快く引き取ってしまった。
父は何度も、施設に入れろと言ったが、母は「大切な妹の子を施設に入れろって言うなんて、最低な騎士だね」と言っては、父の言い分を突っぱね続けた。
その影響か、シリウスとユランは父よりの考え方をしていると思っていたが、それは間違いだったのだと、今になって分かった。
(兄さん。ごめんなさい、でも、ありがとう)
顔の力を抜いたら、確実に涙が溢れてくるだろう。マークは必死になって下唇を噛み、堪えた。長年の間に積み重ねられていた、シリウスとの溝が埋まっていく。
それは心が破裂するような、胸が圧迫されるような感じがした。




