第三話 砦の戦い(1)
気が付けば、アストレイアがイオスと出会ってから季節が一つ変わってしまう、そんな時期になっていた。そろそろ木の葉も色づく季節なのかと思いつつ、アストレイアはやけに最近は日の流れが早いように感じてしまう。
「イオスのせいかしら」
口から零れたのは疑問符で終わりそうな言葉だったが、彼の訪問以外に生活の変化がないので、他には考えれなかった。
相変わらず食事や菓子を持ってくるイオスは、つい今日も先ほどまでアストレイアの家にいた。
そして前は料理を持ってきていたが、今はアストレイアの家で作っていることも多い。イオスは簡易の火起こしだけでは調理ができないと、アストレイアの小屋の外に小さなかまどを作り、さらに雨風にさらされないようにといろいろ勝手に増築していた。
その工事を行っていたのがとても暑い日だったので、倒れられては困るとアストレイアは水を注いで差し出したのだが、ひどく驚いた顔をされたのはよく覚えている。
その驚きは、何もない空間から水を作り出したことに対するものだったのか、それともアストレイアがそんなことを行ったから驚いたのか――問いただしてみたかったが、あまりにもいい笑顔を向けられたので顔を背けてしまい、聞くことは叶わなかった。
なんだか、いつも負けてばかりの気分だ。
そう思いながらも満腹のアストレイアは眠ろうかと思ったのだが、ふと入り口近くに見慣れないものが落ちていることに気がついた。
「……なにこれ」
自分のものではない落とし物がイオスのものであることはすぐに理解できた。強いていうならラズールのものである可能性もあるが、ラズールは馬だ。どう考えても人工的なこの落とし物を馬が自ら身につけたとは考えにくい。
「布に、文字の刺繍……お守り、かな?」
文字だということは理解できるのだが、アストレイアが知る文字とは少し違う。知っている文字もあるし、文法もほぼ同じなのだが所々違っている。
「わかる文字だけ拾い上げたら、お守り……だとは思うんだけど」
自信があるわけではないが、文字や形状からいっても間違いはないだろう。四百年の間に文字や文法に違いも生じたのかもしれない――そうは思うが、本当に間違っているだけなのではないだろうかという気もしている。
四百年前の軍でも、当時使われていた文字より古い時代の文字を使ったお守りは流行していた。そして、結構間違っていると学者に指摘されているのを聞いたことがある。
「……」
これは訂正のため差し直してもいいかもしれない。
しかし他人のものの刺繍を勝手に解くのはよくないだろう。
「でも新しいのを、私が……作れる?」
服を長い期間使うので、一応解れを直すための糸や針は用意している。
けれど刺繍など飾り縫いに関しては一切やったことがない。刺繍針も持っていないし、そもそもそんな経験はない。少し考え、文字が直っていようとも下手な仕上がりになるなら間違っているほうがマシかと思ったアストレイアは、文字の誤りは見つけなかったことにした。
それでも一瞬、一生懸命イオスの為に刺繍の練習している自分を想像しそうになる自分を、すでにはり倒したくはなった。何考えているんだ、と。
(まあ、このお守りは次来たときに渡せばいいか)
別にお守りに書かれた文字はその人がいいと思っていればそれでいいのだ。
正解や不正解なんて関係ない。気の持ちようにつながれば、それでいいのだ――。
しかし、それからしばらくイオスはやってこなかった。
(……いつも、どのくらいの間隔で来てる人だったっけ)
きちんと日付を付けていたわけではないのだが、今まで彼が訪問していた、二回分の期間くらいは間隔が開いただろうか?
「別に、待ち遠しいとか、そんなんじゃないんだけど……」
四百年を一人でいたのだ。今更寂しいなんて言いたくない。
そもそもイオスが来なくなることを自分は祈っていたはずだ、と、アストレイアは心の中で呟いた。
元々飽きたら来なくなると、最初から理解していた。彼の転属さえ願っていたはずだ。
しかし自分が寂しいと思っている可能性なんて考えなかったので、そう思わされただけで少し恨めしくなった。ずいぶん心を乱してくれる。変人のイオスのせいだ。最初から落ちて来なければよかったのに。
「……」
だんだんイオスのことが恨めしくなってきたアストレイアは、お守りを手に取った。
「べ、別に、もう来なくてもいいんだけど……これだけ返しておこうかな」
そうだ、これまで彼は勝手にきていたのだから、最後にこえを投げつけ、気分を晴らしてやろう。
そんなことを考えながら、アストレイアは勢いよくドアを開け放った。
その際に浮かんだ『買い物以外で人のいる場所に向かうのがいつぶりだろうか』などという考えは、すぐに思いつかなかったことにした。そして会いに行くんじゃない、なげつけにいくんだと、そう自分に言い聞かせた。