第一話 天災がもたらした、一つの出会い(3)
青年の治療(?)を、終えた後のことをアストレイアはあまり覚えてない。
ただ、とにかく疲れが溜まっていたので、そのまま眠ってしまったのだろうとは想像が出来る。
ベッドは譲ってしまっているし、布団も、そして結局毛布も青年にかけたために残っていない――となれば、部屋の端で壁にもたれかかる程度のことしか出来ないということも、察することができる。
だが、目覚めて一番に他人の顔が目に飛び込んでくるなんて……一瞬理解が追いつかなくなるのも、仕方がないことだろう。
「だ、誰……!?」
そう叫んで後ずさろうとし、アストレイアは勢いよく壁に頭を打ち付けた。
頭の中で派手な音が鳴った気がした。痛い。不老不死でも、痛いものは痛い。
響く頭の痛みを片手で押さえ『なんでこんな目に……』と思いながら、アストレイアはようやく状況を思い出した。
「だ、大丈夫……?」
「え、ええ。それより、お目覚めみたいね。ゆっくり休めたかしら?」
そうだ、自分は昨日、目の前の青年を拾ったのだった。
青年の表情は明らかにうろたえていた。
「あ、あぁ……それで、本当に大丈夫?」
「おかまいなく」
そう言いながら、ようやくアストレイアの頭の中も鮮明になってくる。
そういえば、確か青年だけでなく馬も拾ったはずだ――そう思うと、ちょうど馬がひと鳴きした。
……できれば、もう少し早く鳴いてくれれば、色々と気づけたかもしれない。
そう思いながらアストレイアは軽く咳払いをした。
(まあ、この人も元気そうな様子だから、とりあえずよしとするか)
多少は心配もしたが、これなら問題なさそうである。
元気だというのであれば、話は早い。
「目が覚めたなら、さっさと出て行きなさいよ。治療してあげたんだから感謝してよね」
「いや、その……やっぱり君が助けてくれたんだね?」
「そうよ。何か文句あるの?」
格好悪いところを見られていなければ、もっとスムーズに追い返せたかもしれない。
しかし、おおよそスマートとはいえない初対面を果たした以上、焦りが先行してアストレイアは必要以上につっけんどんな態度になってしまうことを自覚していた。しかし、すでに出てしまった言葉は今更どうすることもできない。なるようになってしまえ、というものだ。そもそも金銭のやりとり以外で人間と会話するのは久しぶりで、会話を成り立たせる方法もよく覚えていないのだ。
だから、仕方がない。仕方がないが、追い返せればそれでいい。
そう思いながらアストレイアは青年を睨んだ。
青年は目を瞬かせてから、しかしゆっくりとその表情を険しくした。
「はっきりとは覚えていないんだ。落石があって、それで馬が驚いて滑落した――その途中から、もう覚えていない。でも――」
「……」
傷が治りきらなかったにしろ、確かにあの高さから落ちているならこんな軽傷で済むわけがない。青年が不思議がるのも、自然なことだ。それは、アストレイアにも理解できる。
(理解はできるんだけど――治すことしか、考えてなかった)
しまったことをしたと思いつつ、アストレイアは視線を逸らした。
うまく誤魔化せることが、果たしてできるのだろうか? 心配だが、やるしかない。
「そ、その程度の怪我で済んでよかったじゃない」
「……」
「なによ。私、詳しいことは知らないわよ」
冷や汗をかく心臓は、これで誤魔化せなかったらどうしようと焦っていた。
しかし青年が黙っている以上、下手に口を開けば余計に墓穴を掘ることになりかねない。
早く諦めて――アストレイアは青年を睨んだが、青年は話を打ちきりはしなかった。
ただし、その言葉はアストレイアの想定外の言葉だった。
「もしかして、魔女の末裔……だったりする?」
「え……末裔……?」
「軍属以外の魔女にお目にかかるのは初めてだよ。君に、落下の衝撃を、和らげてもらった……のかな……?」
現在の世界に魔女がほぼ存在していないのは、アストレイアも知っている。
ただ、もう既に末裔扱いされるほど希少な存在という認識までは持っていなかった。
そして、そもそも自分が聖女と呼ばれる存在であることを、青年が知る由もないことにようやく気付いた。回復魔術も、一般的に『存在しない』とされているので、行使したとも思われていないだろう。
そうなれば、少しは心が落ち着いた。よかった、何も怪しまれてはいないようだ。
「……まあ、そんなところ」
なんだ、焦るだけ無駄だったではないか。
少し損をしたような気分になりながら、それでもアストレイアのやるべきことには変わりがなかった。
ばれていなかろうが、人と関わりたくないことにも変わりはない。
「とにかく! 治ったら早く出て行きなさいよ」
長居させるつもりはさらさらない。何のために森の奥に住んでいると思っているのだ。人間と関わりを極力減らすためではないか。しかし青年は尚も動かない。
「この包帯は……」
「へ、下手とか言わないでよね……!」
再び聞かれると思っていなかった方向に話が飛んだことで、アストレイアも再び叫んだ。
すでにほぼ解けているようにも見える包帯だが、それでも一生懸命巻いたのだ。助けられたからには見て見ぬふりをしてくれてもいいじゃないか。もしくは無言で外してくれていればいいじゃないか。そう、顔を背けたアストレイアには、またしても想定外の言葉が降ってきた。
「慣れないことまでしていもらって、本当にありがとう」
恐る恐る青年の方を見れば、青年は非常に穏やかな顔でアストレイアを見ていた。
アストレイアは頬が熱を持つのを感じた。
「べ、別に、目の前で死なれるのいやだっただけだし……あ、や、死にそうな怪我じゃなかったけど……」
「でも、なにもお礼も……」
「お礼とおもうなら、さっさと戻りなさいよ。この子だって、こんなところに入れられてるのもいやでしょうし!」
そして若干存在をわすれかけていた、けれどよくよく部屋を見れば異様に存在感を放っている馬を見た。馬は大人しく、我関せずという状態であった。
「ラズールのことも、君が助けてくれたんだね」
「いいから、早く帰りなさいよ」
ラズールというらしい青鹿毛の馬を見た青年を押し退けるようにして立ち上がり、部屋の隅においていた青年の荷物を手に取った。そして青年に投げつける。
「貴重品だと思ったもの、一応そこに入れてるから。ほかのは大体壊れてたわ。あんまり触ってないからしらないけど」
「ありがとう」
「ほら、さっさと出ていく!」
アストレイアが扉を開くと、空気を読んでかラズールが外に出た。
青年も立ち上がり、そして部屋の隅で乾かしていた衣服を手に取り手早く羽織り、荷物を手に取った。
アストレイアはようやく非常事態が終わりを告げる、と、長い息をついた。
「ここを真っ直ぐ下ったら、街道に出られるわ。街道に出るまではリリムの木が並んでいるから、外れないように気を付けて。轍はないから、迷ったらあとは知らないわよ」
「本当に、何から何までありがとう」
「……改めてお礼なんて、来たら追い返すからね」
青年は、少し申し訳なさそうな表情を浮かべていたが、やがて背を向けて裸馬に乗り、アストレイアが言った通りリリムの木に沿って去っていった。
それをアストレイアはほっとして見送った。
人に感謝されるなど一体いつ以来だっただろう。
そうは思うも、何百年も感覚を持っている自分が人と関わってもよいことなどないと、きっとない。
あの人はおかしい、呪われてるんじゃないか。
薄気味悪い、あの子、本当に聖女なの?
耳に残る言葉が思い出されて、アストレイアは唇を噛んだ。
(別に、私が自分で聖女だなんて、言ったわけじゃないのに)
やっぱり自分が人に関わると碌なことがないに決まっている。
そう思ったアストレイアは、翌日からはそれまで通りの、再び人と関わることの少ない生活に戻る……はずだった。
そう、戻るはずだった、のに。
「先日はありがとうございました」
「来るなっていったでしょ!!」
なんでやってきた、と、数日後の森には叫び声が響いていた――。