王都に行くお話(1)
それは諸々の功労賞ということで、イオスが特別休暇を与えられたとアストレイアが聞いた日のことだった。
「好きなだけ休みを取ってもいいって言われてるから、明日から旅行にいかないか? できれば、王都がいいんだけど」
「え?」
「両親たちが、アストレイアにすごく会いたがってるんだ」
「え? え?」
いろいろな意味で驚くアストレイアを前にイオスが取り出したのは、二枚の封筒だった。
「それは?」
「内緒にしてたんだけど、アストレイアに会いたいって手紙がとどいてるんだ。ほぼ毎日、両親や兄さん、義姉さんの誰かから。これは今日届いた分」
「……」
そのような手紙が届いていることなどアストレイアは聞いたこともないし、見たこともなかった。いや、手紙だけなら最近イオスのもとによく届くとスファレから聞いてはいた。
ただスファレがやたらにやついた笑みを浮かべていたので、アストレイアとしてはからかわれているのだと聞き流していたが、それが家族からの手紙であったことには驚いた。
しかしそんな驚くアストレイアを見るイオスの表情は、どこか申し訳なさそうにも見えた。
「どうしたの?」
「いや……その、申し出ておいてなんなんだけど」
「うん」
「会うのがまだ早いって思うようなら、普通の観光でもいいかなと思ってるから、とりあえず遠出はしてみないか? そうそう、長い休みはもらえないから」
「……」
その言葉で表情の原因が分かったアストレイアは眉を寄せた。
あまり人と話すことに慣れていないことを知った上で、急に両親に会ってほしいと言ったことを気にしているのだろう。それには心づもりがまだできていないのならばという気づかいもあるのかもしれない。
「……別に、無理じゃないよ」
同じ家に住むようになる前に、いつかは両親に会ってほしいとイオスに言われたことはある。
たしかに今日いきなり明日から王都に向かうと言われるとは思っていなかったし、その前には一応言ってほしいと頼んではいたが、いつかは来る話だと思っていた。
思わぬ唐突さによる緊張で返事が多少ぎこちなくはなってしまうが、それでも嫌ではない。
「そっか。ありがと」
「何でお礼なんて言うの」
「嬉しいから」
「……こんなことで喜ばなくていいと思うんだけど」
むしろ、イオスから言われなくとも一度挨拶はさせてもらわなければいけないと、アストレイアだって思ってはいるのだ。確かに初対面の人と話す際はまだ緊張するが、その機会が与えられるのは喜ばしいことである。
しかしアストレイアはそこまで考え、一つの不安要素を思いついてしまった。
(会いたい……っていうのは、好意的なことなのよ、ね? その……挨拶をせずに同居始めたって、そこを怒られる……とか、ないわよ、ね?)
少なくともイオスが笑みを浮かべているのだから、そのような可能性は低いはずだ。だが、手紙のやりとりだけでは相手の顔が見えていない。だからわからないことがあってもおかしくない。
ほかにも何を話せばいいのかということや、どう挨拶すればいいのだろうかなど、次々と浮かぶ不安を潰すべくアストレイアは必死で考えてはみたものの、残念ながらその答えは旅行の準備を終えるまでに見つけることはできなかった。
ただ、行かないといいう選択肢が頭に浮かぶこともなかった。
**
ゆっくりと話をしながら旅路を楽しみたいと言ったイオスの言葉で、王都までの旅路は馬車に乗って移動することになった。だから、ラズールは砦の街で留守番だ。
ただし馬車と言っても辻馬車ではなく、砦から王都への連絡便に便乗することになったので、最短で到着するとのことだった。
しかしその王都までの道のりは、アストレイアにとって非常に落ち着かないものになった。
それは、悩みが解決していないからというだけではない。
(眠い……)
王都に着いたのは砦の街を出てから三日目の夜だったが、旅立ちの日から今日までの間、アストレイアは朝までろくに寝つくことができなかった。昼の移動中、まどろんだり少し眠ったりすることはある。だが、そのくらいでは寝が足りていないのに、今日も宿ではまったく眠ることができそうになかった。
そして外が白み始める中、アストレイアは寝返りを打ちながらただ身もだえていた。
(どうして……どうして、寝るのがイオスと同室なの……!!)
いや、問うまでもなく周囲から見れば別室を用意する必要がないからだということは、アストレイアも分かっている。王都への連絡便に同乗していたため、昨日と一昨日は宿も連絡員と同じところを使っていた。その際に不思議がられることなど一切なかったし、むしろ初日などついでだからと二人の宿の手配もしてくれた連絡員は、当たり前のようにアストレイアとイオスを同室にしていたのだ。
(だって、その、一緒に住んでるんだし……それに、同じ部屋がいやっていうわけじゃないんだけど……!)
だが、イオスと同居しているからといってもアストレイアは同室で寝起きしているわけではない。たまにリビングで眠ってしまうことはあるが、イオスの部屋に入ったことはないし、逆にイオスもアストレイアの部屋に入ってはこない。
同棲というよりは本当に共同生活なのだ。
だから今の状況はあまりに心臓が跳ねすぎてしまう。
(心が休まらなさすぎて、やっぱり全然寝られないわ)
王都に到着すれば馬車と都合を合わせる必要がないので、今日はイオスがゆっくりできるところをと、少し豪華な宿を選んでくれている。このベッドも本来ならばとても眠りやすいものなのだろう。それを証明するようにイオスは隣のベッドでぐっすり眠っている。
アストレイアはその様子に対して少しだけ恨めしく思いつつ、ゆっくりと起き上がった。そして隣のベッドで眠るイオスを見る。寝返りを打ったのか、アストレイアから見えるのはイオスの後頭部だけだ。
「……」
ベッドから抜けだしたアストレイアはイオスが眠るベッドに手をつき、そっとその様子を覗きこんだ。元々夜目も効く上、少しずつ外が明るくなっているので、イオスが規則正しい穏やかな呼吸をしていることははっきりと見える。
そしてその様子をじっと眺めていると、はじめに抱いた恨めしさは徐々に不思議な気持ちへと変わっていった。
(朝まで、眺めていようかな)
そんなことを思っていると、急にアストレイアの腕が引っ張られた。
驚く声も出せずに布団の上に倒れ込んでしまったアストレイアの背には、もう一本の逞しい手が回っていた。
「まだ外は暗いよ。眠れないの?
「……起きてたの?」
「今、起きたところ」
その言葉は絶対に嘘であるとアストレイアは思ってしまった。
イオスの声はあまりにしっかりしすぎている。ぐっすりと眠っていると思っていたが、どうやら狸寝入りだったらしい。
そしていつから起きていたのだろう、観察していたことも気づかれていたのだろうかと思うと、どうにもこうにも顔が上げづらい。
「眠れない?」
「……少しだけ」
再度問われて、アストレイアは少しばつが悪い思いをしつつ、イオスに答えた。
アストレイアの答えを聞いたイオスは「そっか」と言いながら背に回していた手を頭へと移動させた。
「知ってる? こうやって頭を撫でられるとすごく眠れるんだよ」
「ん……」
そんなことはない――と、アストレイアは思っていた。
しかし本当に急に瞼が重くなった気がして、けれど驚く余裕もなく、少しずつ意識が遠ざかり始めてしまっていた。なんだか子どもにもどった気がするとぼんやり思いながらも、ただ、その優しい手の動きを感じていた。
「ごめん、無理をさせていたよね。でも、部屋ばかりはどうしようもなかったから」
「それはわかってる」
そして、寝不足はやっぱり気づかれていたのかとアストレイアは苦笑した。
けれど、それはイオスが悪いわけではない。
そもそもこの時代ではそこまで気に掛ける必要のないことなのだから、すこしばかり恨めしく思ってもイオスの謝罪など必要としていないし、むしろ合わせてもらってばかりなら申し訳なく思ってしまう。のんきに寝ている顔を見れば多少ずるいと妬みも生まれるが、それもどちらかといえば寝ていること自体よりも『一人だけどきどきさせられているのがずるい』という思いが強い。
しかしイオスはなおも言葉を続けた。
「本当は今日だけでもゆっくりさせてあげたほうがいいかなって思ったんだけど。でも……俺もあんまり寝れなかったから、そこはおあいこってことで見逃して」
その言葉の意味をアストレイアはしっかりと考えることができなかった。いかんせん、頭をなでる手が気持ちいい。距離が近すぎることに落ち着かなくなるよりも、安心してしまうことが自分でも不思議だと感じつつ、そのまま眠気に身を任せてしまった。
ただ、次に目が覚めた時、なぜか……いや、イオスが動かしてくれたのであろう結果、イオスが眠っていたほうのベッドの中にいたことには眠ってすっきりした頭も一気に沸騰した。
すでにイオスは起床しており本を読んでいたが「おはよう」とかけられた声に対しては枕にうつ伏すという反応しかできないほどに、羞恥にかられた。
(風邪ひかないように動かされただけだし、別に恥ずかしいこと……って、あんな子供みたいにいっぱい頭を撫でてもらってるのは年頃の女性としてどうっていうか、それならこの状態も……!!)
そんなパニックするアストレイアには、イオスの表情を窺う余裕などまったくなかった。