第七話 魔女の戦い、騎士の誓い(4)
イオスとアストレイアが二体のキマイラを倒した話は、すぐに町中の噂になった。
「武神と戦女神だとさ。おまえら、人間卒業してしまったのか」
「お言葉ですがスファレ隊長、神だと思ってくださるなら仕事の量減らしてください。神はあまり労働がお好きではないご様子でしたので」
「なにいってんだ、給料分の仕事をしろ、副隊長」
「むしろ残業代が足りてないって実状ですけど」
ため息をつきつつも「まあ、軍なのでしょうがない」とあきらめている様子にも見えるイオスは目の下にクマを作っていた。
二体のキマイラ討伐後、砦に戻る道中、偶然盗賊団に遭遇してしまった二人はそれも退治したのだが――その際に傷を負ったアストレイアは、結果的に療養することになった。とはいえ寝たきりではなく、部屋でくつろいでいるだけの日々ではあるのだが。
(……まあ、私自身の魔力が大きすぎて、やけどしちゃっただけなんだけど)
どうやら新たに体内に加わった友人の核は、今までの力を倍にするかのような力を秘めていた。竜が普通の人とはいえないと言ってた意味が、よくわかる気がした。
しかし、同じように働いていたイオスは療養するような傷は負わなかった。だが、盗賊団の後処理に追われるようになり、結果的にアストレイアより生命力が削られているようにも見える。
「まぁまぁ、落ち着けイオスフォライト。せめてもの慰めにと、嬢ちゃんの部屋での執務を許可してるんじゃないか」
「……」
「しかし嬢ちゃんがいなくなったときのイオスの慌てた様子、なかなか見物だったなぁ……まさか、キマイラの残党狩りにいってたなんて、俺も想像すらしてなかったけどよ」
「隊長、邪魔なんで部屋出て行ってください」
「はいはい、また後で来るよ」
そう言いながら去っていくスファレは、「それ終わったら宴の準備しとくからなぁ」と相も変わらず楽しそうだ。
そして部屋に二人きりになったとき、アストレイアはイオスに向かって呟いた。
「傷って、なかなか癒えないものね」
「痛む? 鎮痛剤、持ってこようか」
「ううん、痛みは特にないわ。……イオス、顔怖い」
少し寝不足が続きすぎているんだろうか?
それならば寝た方がいいと勧めようとすると、イオスは深いため息をついた。
「だから、無理するなっていったのに」
「仕方ないじゃない、魔力が上がってるなんて思わなかったんだもの」
「綺麗な手なんだから、大事にしないといけないよ」
イオスは書類から目を上げていない。
書類を片づけているスピードも変わらないから、とても自然な様子である。だが、アストレイアの頬はそれだけで火照ってしまう。
(……なんで、そんなさらっと言うの!!)
それにそんなことを言われれば、手を握っていてほしいと頼んだことが思い出され……アストレイアは思わず膝に顔を埋めてしまった。
勢いというのは恐ろしい。なんであんなことを言えたのかと、今になって思ってしまう。
(だいたい、イオスと一緒にいたいから不死解きたいって……あれもう私からの告白だったじゃない!! なんでそんな普通にしてるの! 返事はどこよ返事は!!)
あのときの勢いはどこに行ったんだろう。
そう、アストレイアは顔を伏せたまま乾いた笑いを漏らしてしまう。
(というかあれでも告白って思ってもらえてないのかもしれないし……あれ以上の告白ってどう言えばいいの、っていうかどのタイミングで言えばいいの……! もう、最低すぎる……!)
穴があれば埋まりたい、ついでに顔の火照りをさます氷もほしい――そう、アストレイアがひとり悶えていると、イスが動く音がした。
「イオス? お仕事は?」
「ん、休憩」
ゆっくりと背筋をのばすイオスは、そのままアストレイアの隣までやってきた。
「お隣、おじゃましても?」
「今更聞くの?」
「それもそうだね」
「……」
「……」
そして、沈黙が訪れた。
(ちょとまって……これ、気まずい!!)
今までこう言うときはなにを話していただろう、と、アストレイアは必死で記憶を引っ張り出そうとした。しかし出てくる記憶は、たいがいイオスから話しかけてもらった記憶ばかりだ。自分から話題を出した記憶はほとんどない。
(そうよ、たいていイオスが……なのに、なにもしゃべらないって、話題はもう尽きたってこと……?)
それは、イヤだ。
「あのね」
「あのさ」
しかしいざ意を決して口を開けば、それは見事にイオスと同じタイミングだった。思わず二人して固まり、そのまま互いに顔を見合わせて笑った。
「お先にどうぞ?」
「いや、アストレイアが先に……いや、やっぱり俺が先でもいい?」
「うん、もちろん」
話題があったわけではない。
沈黙していたように思ったが、それも気のせいだったんだろう――そう思ったが、再び立ち上がったイオスにアストレイアは目を丸くした。
「あれ、話があるんじゃなかったの?」
「うん、大事な話なんだけど……その、格好というか、形式も大事かなって」
「?」
一体なにを言っているのか。
アストレイアが状況を理解できないままイオスを眺めっていると、イオスはアストレイアの前で膝を折った。そしてアストレイアの怪我をしていない……指輪をしている右の手を取った。
「申し上げます、アストレイア様。私に、貴女の隣で貴女を守る剣になることをお許しいただけませんでしょうか?」
「……」
「だめかな?」
困り顔をあげたイオスに、アストレイアは完全に固まってしまった。
しかしその顔を見つめているうちに、ようやく事態を理解した。
(ちょっと待って。譲るんじゃなかった……!)
答えは一つしかないはずなのに、それでもいざ返事をするとなればうまく声にすることができはしない。おかしい。こんな予定ではなかったはずなのに!!
「き、騎士の誓いを受けるなんて、思わなかったわ」
違う、そうじゃない!
声に出してから、なんてことを私は言うのだとアストレイアは自身に突っ込む。
よろしくお願いします、それで十分なはずだというのに……どうしてそれが言えないのか。
今すぐ馬鹿な自分を張り倒したい。イオスが手を離してしまう前に、ちゃんと答えなければ――
「一応、告白してたつもりだったんだけど。やっぱり気づかれてなかったんだ、あれ」
「え、いつ!?」
そんな記憶はない。
アストレイアのあまりの驚きに、イオスは苦笑した。
「……悔しいから、内緒」
「…………。じゃあ私も内緒にしとく」
「何が?」
「内緒!!」
私だってとっくに告白してるつもりだった――なんて、悔しいから誰が言うものか。
だいたい今はそれより先に、ちゃんと返事をしなければならない。
アストレイアは真っ赤になりながらもイオスの声をもう一度思い直し、そして咳払いを見せた。
「ねえ、イオス。もう少し欲張ってもいいかしら?」
「俺が叶えられることなら、なんなりと」
「では、遠慮なく。……貴方が剣になるなら、私は盾となりましょう。守られるだけなんて、私の性格に合ってないでしょう?」
アストレイアの言葉に、イオスは面食らった様子だった。
アストレイアはそれを見て笑ってしまった。
「断る理由はないかな。でも、怪我には注意してね」
「そればっかりね。でも、それは貴方も一緒のことよ?」
そうして互いに笑い合った。
「なら、元気になったらこんどこそ刺繍糸を買いに行こう。お守り、縫い直してくれるんだよね?」
「そうね。期待しないでもらえると助かるけど……」
「それは無理な相談かな。――と、ああ、それから、アストレイアに手紙が届いていたよ」
自分宛の手紙など、アストレイアには身に覚えがない。
封書を渡されたが、あいにくやっぱり読めない文字だ。
「……ごめん、読んでくれる?」
封を切った手紙を、アストレイアはイオスに手渡した。
イオスはそれを丁寧に開き、音読した。
「『あのときのやみつきスープはもう食べてしまったから、今度来るときは山菜を倍にしてあげるので、さきに連絡をいれること』。なに、これ?」
「あ、忘れてた」
そういえば、スープを置いておいてほしいといっていたのに、そのまま帰ってきてしまっていた。ただ、キマイラの噂が行商人経由にでも伝わったのだろう。
申し訳ないことをしたと思いつつも、スープが腐ってしまわなかったことには安堵した。
「ねえ、イオス。すっごくまずいスープ、食べに行かない?」
「……まずいの?」
「うん、とっても。びっくりして心臓飛び出るって思うくらいマズイ。でも、元気な老夫婦と出会ったのよ」
イオスを誘ったのは、ただ巻き添えにしたいと思ったからというだけではない。
どうせなら一緒の思い出を作ることができればいい、そう思ったからだ。
「ちょっと元気がよすぎるけど、いい人たちよ?」
「それは……たのしみ、かな?」
少し引きつった笑顔のイオスは、けれどやがて緩やかなものに変わった。
膝をついていた彼は立ち上がり、アストレイアの隣に座り、それからゆっくりともたれかかった。
「まずいの我慢するから、ちょっとだけ休憩させて」
「ちょっとだけね」
「うん、ちょっとだけ」
甘えてくるのは珍しいなと思いつつ、すぐに寝息を立て始めたイオスを見てアストレイアも心が温かくなった。安心されていることが、心地いい。
(……なんだか、私も眠くなってしまったかも)
初めて見るイオスの寝顔をもう少し見ていたいような気もするが、規則正しい寝息は眠りを誘う。もったいないな、そう思うが、やがてアストレイアは眠気に身を任せることにした。
(起きても、幸せな時間は続くもの)
投げ出された手に自分の手を重ね、アストレイアもゆっくりと目を閉じた。