第七話 魔女の戦い、騎士の誓い(2)
泉に到着したアストレイアは、イオスに少し離れていてもらうように伝えた。
そして泉の縁で足を折ったアストレイアは、水の上に魔力を流し込み、複雑な魔法陣を水面に描く。何度も描いたそれは数百年の時を経ても難しいものではなかった。
やがて完成した図が光を帯び、線に沿って水が垂直に跳ね上がる。
アストレイアも立ち上がり、両手を掲げた。
(……今度こそ、成功させる)
「我が声に、お答えください」
アストレイアの言葉で泉全体が輝き、水しぶきはさらに高くまで舞い上がる。そして弾けるように辺りに飛び散った。
ここまでは、過去に見た通りだ。問題は、ここからだ。
アストレイアはまっすぐに、その泉の上を見つめた。
輝く泉の上には、黒い影が現れていた。
あれは、求めていた竜か――?
その影は霧が霧散するように、ヴェールを脱ぐかのようにその正体を徐々に露わにした。
「やぁやぁ、人間の小娘。直接あうのは初めてだな」
それは、とても妖艶な美女だった。
白い肌と髪に赤い瞳と頬紅の色がよく映えている。
ただし角や長い瞳孔が、人でないことを示していた。
「あなたが……竜?」
「いかにも。竜の姿では狭いかろうて、このような小振りな姿を使っているが……美しさには変わりなかろう?」
ここは森だ。決して狭くはないはずだ。
それを狭いというのだから、本来は本当に大きな姿をしているのだろう。
しかし、本当に呼べるとは……そう、目を見開いているアストレイアに竜は笑った。
「我の血をその身に取り込み、生き残った小娘が森で隠居暮らしを始めた時には『つまらんことをし始めた』と思ったが、ここ数日はずいぶん楽しませてもらったよ」
「……その言い方、もしかして、ずっと見てたの?」
「ずっと、とは語弊があるな。我もそこまで暇ではない。が、まあ、暇つぶしには見ていたよ。暇つぶしでもしようと思わねば、わざわざ人に血を分け与えたりせぬよ」
そうして湖面をゆっくりと歩く竜は、やがてアストレイアの正面にたった。
「あなたの気まぐれで、この国は救われた、と」
「そう、固い声を出すな。その命を賭して、私を呼ぼうとした国、そして救おうとした者たち。その結末、見届けるくらいはいいだろう? 今回の呼び出しに応じたのも、小娘がおもしろいことを見せてくれたからな、その礼じゃ」
「……」
なぜ呼び出せなかったのか、なぜ、呼び出せたのか。
その根本的な原因がわかったアストレイアは深くため息をついた。
まさか、竜を面白がらせることができるか否かが理由など、誰が思っていただろうか?
「まあ、興味がでるのも理解してくれ。人間が普段神と呼んでいる我らの力の断片を手に入れ、使いこなすことができるのか。また、その後はどうするのかと興味が沸いた。ほかの奴らからは我らの力を人に与えるなどとうるさく言われたが、まぁ、悪くはない判断だったと思っておる」
竜はにやりと笑い、そして告げる。
「人間は実におもしろい。特に、ここ最近の小娘の動向はおもしろかった。だから、私も退屈しのぎの礼に、お前の願いを一つだけかなえよう。ただしできる範囲で、とは付け加えるがね」
「……なんか、ずるいわね。神様っていう存在は。思いのままのようで気にくわないわ」
「思いのままの神の心を動かせる人間という存在もまた、ずるいと私はおもうがね。――さあ、小娘。望みを告げてみよ」
やや芝居がかった様子であるのは、竜にとってはいつも通りのことなのだろうか?
しかし、この竜は嘘はつかない。圧倒的な力をもっていて、退屈しのぎをしている竜が、嘘をつくはずもない。
アストレイアは、ただ一つの望みを口にした。
「私を、不老不死から解放する方法を教えて」
「それは、今すぐ命を落とすことも含めてよいのか?」
「!」
それは、考えてもいないことだった。
四百年、身体の加齢は止まっている。つまり、再び時が動き出したとき――急激な身体の変化が起きても、不思議ではない。
(朽ちる、ということ?)
しかし戸惑うのはほんの数秒のことだった。
「落ち着いて」
「イオス」
「大丈夫。この神様、退屈しのぎをするのに、そんなつまらない結末になるようなこと、すると思う?」
いつの間にか真後ろにたっていたイオスの手が肩にかかり、アストレイアは驚いた。竜は大笑いした。
「あっはは、冷静じゃの、若者よ。そこの年だけ無駄に食った小娘とは随分な違いだ」
だまされたのか? からかわれたのか?
そう眉間にしわを刻んだアストレイアに向かって、竜はおかしそうに続けた。
「だが、それは間違いであり、正解だ。もう一度我が血を飲め。我は今、自分を傷つけて血は与える気分ではないが、その魔石にも我の血が染みていることだろう。その魔石を飲むがよい。試練の再来だ」
その魔石、というのはアストレイアのペンダントだった。
かつて、竜の血を飲み、その命を落とした友人の核。
アストレイアは驚き、そしてペンダントをつかんだ。
「覚悟はよいか? 一応、別れの言葉を告げる時間をとってもかまわんよ。私は急ぎではないからな」
「……」
アストレイアは、イオスを見上げた。
ただうなずいたイオスに、アストレイアもうなずき返す。
そして再び正面を向いた。
「別れの言葉もいらないし、むしろそれが方法なら安心よ。友人の応援も、きっともらえると思うから」
「そうか。ならば、究極の運試しをしてみるがよい。我はここで見ているとしよう」
そうして腰を下ろした竜に、アストレイアは一礼した。
そしてペンダントから石をはずし、数秒間見つめていた。
「イオス、手、借りてもいい?」
「ああ」
これで、しっかり戻ってくる道は見つけられる。
大丈夫だ――そう、願ったアストレイアは魔石を口に含んだ。