第六話 魔女が憧れていた世界(1)
四百年前のことである。
帝国軍に攻め入れられた王国の状況は悪く、前線はいつまでもつかわからない状況だった。
王国は多くの兵を失い、首都にも冷たい風が吹き荒れていた。
そんなとき、王都で秘密裏に古代より禁術とされていた召喚術を行おうとしていた魔術師の一団が存在した。
召喚術が禁術とされているのはそもそもの成功率の低さもあるが、術者に跳ね返る反動の高さ、そして何より異界からの使者は力を貸すことなく、術者の命を奪い、そしてそのまま異界へ還るとされているからだ。
それでも王国が異界の使者の力に頼ろうとしたのは、一筋の光、可能性に頼らざるを得なかったからだ。
そして呼び出されたのは白い鱗に覆われた竜だった。
息を飲む周囲に、状況を悟った白竜は笑い飛ばして自らの血を分け与えた。
――その血を飲み、なおも生きながらえることができるなら、その者は人を超える力をもつことになるだろう。ただし、耐えられぬものは灰へと還るだろう。
そう言い残した竜は、そのまま異界へと戻っていった。
その後、多くの者が血を飲んだ。そして、多くの者が命を落とした。
血も残りがわずかとなり希望の光が闇に包まれかけた時、最後の一人が血を飲んだ。
(――それが、私)
アストレイアの持つ魔石の主であった友人も、竜の血によって命を落としている。
アストレイアより先に血を飲んだ友人は、最期にアストレイアに言葉を残した。
『私が世界を平和にするから、その時は祝杯を掲げましょう』、と。
「……死ぬ方法を探すために召喚術を行使したい、って。あの子には言えないかな」
かつては人々を守るためにと行使され、そして友の命を奪う原因ともなった召喚術。
不老不死になることは誰も予想していなかったことではあるが、今からアストレイアが行おうとしていることは当時とは逆だ。遠回しに言えば……死ねるようになる、死ぬために召喚術を行使するのだ。そのことに対し複雑な……後ろめたい感情がないわけではない。
それは、以前召喚を行った時も同じだった。
けれど、手掛かりとして考えられるのは、もう竜を呼ぶしか残されていない。
後ろめたい思いはあるが、それしかないんだと、自分に言い聞かせた。
そしてある程度砦の街から離れたところで、アストレイアは空から降りた。
ほとんど魔力が尽きかけている中、落下しても死なないとはいえ、召喚術を行使するためには最低限の魔力を残しておかなければいけない。
召喚は魔力の量で決まるわけではない。全くないとなれば不可能だが、魔力量だけで成功か否かが決まるのであれば、魔力量が竜の血により増えているアストレイアが失敗するわけがなかった。
(召喚は最低限、呼び出すための陣を水面に刻めればいいはず。失敗している原因があるなら、何か別のものがあるはず……なのよ、ね)
召喚に関しては、できるだけ当時を再現するように努めようとはした。
しかし成功したという当時のものは捧げものなども特になく、ただ水面に魔法陣を描いただけ――という、古来からのものだった。
(試せることは、何百回、何千回と試したわ。……でも、できていない)
何が足りないのか、運がないだけなのか。
しかし、それが分からずとも今のアストレイアには先に進むしか道がない。
新月だけあり、森の中は真っ暗だった。
それでも永い時を森の中で過ごしていたアストレイアには道くらいなら分かる暗さだ。
最悪見えなくなっても風をつかって道を掴むことだってできる。
ただ、決意したにも関わらず、歩いていれば不安も少しずつ膨らんでくる。
本当に出来るのか、今度こそ呼べるのか? そこに、解決法はみつかるのか?
そう思えば歩調は早まり、そのままいつしか駆けだした。
駆けだした、といっても普段の走る速度とは比べ物にならないものだ。
それでも少しでも早く、召喚ができる場所に辿りつきたい。
そんな道中、アストレイアの耳には激しく葉のすれる音が聞こえた。
それはまるで獣が道をかき分けて進むような音だった。
しかし獣にしては悠長な音にも聞こえ、アストレイアは思わず歩みを止めた。
何かがいるのは分かるが、それは一体何なのか。
しかし、これは人のように聞こえる気もする――そう思いながら音に近づき、そして本当に暗闇の中、本当に人影が低木の間から姿を現し、思わず短い悲鳴を上げた。
「うわっ、そこに誰かいるのかい!?」
はいつくばっている相手は初老の女性で、アストレイアのことは見えていない様子だった。
灯りがなければ無理もない――そう思いつつ、アストレイアは「いますよ」と、心臓を落ち着かせながら答えた。そして相手の様子をよく見る。
「……あの、貴女……足、怪我しているんですか?」
「ああ、ちょっと、落ちてね」
「……」
こんな時間に、こんな場所。
明らかに、想定外の事態にまきこまれているのだろう。
「……手、貸しましょうか。片足は平気ですよね」
「いいのかい? だが、あんたも急いで帰らなきゃいけないだろう」
「いえ、急ぎの用はございませんので」
本当は急いでいる。とても急いでいる。
だが、この場所に怪我をした老女を一人放置しておくのは気が引ける。この辺りに魔物の気配は感じられないが、一般の野生動物ならその辺りをうろついていてもおかしくない。
老女も他に方法はなかったのだろう、一旦は窺う素振りをみせたものの、「そうかい、悪いね」とすぐにアストレイアの申し出を受け入れた。本当に困っていたのだろう。
「お住まいは砦のほうですか?」
「いや、反対方向だよ。ここからそう遠くはない。そこに、じいさんと住んでるんだよ」
「反対?」
それなら目的地と同じ方面なので都合はいいが、珍しいところに住んでる人もいたものだ。
ここを抜けても村までは相当距離がある。この近くというのなら、利便性の良い場所ではないだろう。自分のような生活感のない生活を送るならまだしも、普通の人間ならば「何を不便なことをしているのだろう」と思わずにはいられない。
しかし老女もそんな空気はすぐに感じ取ったらしい。
「なぁに、どこだって住めば都だ。それより、肩を貸してくれ……って、あんた、おもったより背が高いんだね」
「……あの、おぶりましょうか?」
「そうかい? 悪いねぇ」
やっぱり悪いと思ってい無さそうな老女の声に、アストレイアは乾いた笑みを漏らしてしまった。おかしい、先ほどまで自分は一生を左右する決断に迫られていたはずなのに。
(……でも、やっぱり置いてはいけないわよね)
自分の未来を左右することではあったが、老女のような緊急事態に面しているわけではない。そう思えば、
ただ、少しだけ思っていたより老女が重かったのは計算外だ。
小柄に見えていたが、人というものはこのような重みをしていたものだろうか。
(……でも、まずいわ。このおばあさんでこの重さなら……私を運んだイオス、相当重いって思ったんじゃないかしら)
恥ずかしさだけに気を取られていたが、とんでもないことに気付いてしまった。
アストレイアは頭を抱えたくなったが、老女のことを両腕で支えている今、そんな動作はできやしない。
「まあ、そう遠くはないさ、年寄りでも歩いてこれる程度の距離だからね」
その老女の言葉を信じ、アストレイアは一歩一歩前に進んだ。