第五話 流れない血が流れていること(2)
治癒の力。
それは、この世界には存在しない、対価のない回復魔術のことを指しているのだろう。
アストレイアが行った魔術は患部を自身に移すだけのものであり、不死でもない限り命の危険を伴う治癒方法だ。だから、治癒の力などというものではない。
しかし想定外のことを言われたことに、アストレイアは返答に詰まった。
どう説明すればいいのだろうか? しかし答えないアストレイアのかわりにイオスが言葉を続ける。
「ずっと、不思議には思ってたんだ。俺の怪我も、モルガとエルバの怪我も……治癒の力を行使して、助けてくれてた……?」
「……」
「どうして森の中で過ごしていたのか、わからなかったんだ。理由があるっていうことは察しがついたけど……それだけの力だ、人に知られたら、悪用される恐れも高いし、君自身の身も危ない」
「……」
「だから身を危険から遠ざけるために、森にいたんだね。特異な力は……それも生命に関わるような力であれば、よからぬ輩が近づいても、おかしくない」
勘違いされていることが、うれしくて、悲しい。
気持ち悪いと思われなかったことは、心の底から安堵している。
しかし、その通りだと言うことがアストレイアにはどうしてもできなかった。
(……さっき、私、気づかれたと思ってほっとしていたんだわ。だって、これでもう悩まなくて済むって思ったんだもの――)
自分が考えなければいけないことから、逃げようとした。
そんな自分と、今、本当のことを話せない自分に腹が立って、悔しくなった。たとえ話でも尋ねようとした、さっきの自分がどこかへ消えてしまった。
イオスは少しだけ返答を待っているようだったが、ひざを床につき、無言を貫くアストレイアを見上げるかたちをとった。
アストレイアが下を向いていても、視界の端にイオスが映った。
「もし、よかったら……もう、この街に移住してしまわないか?」
ひざを折ったイオスが告げた言葉は、アストレイアの想像していないものだった。
「砦の中でずっと暮らすのは、その、立場上難しいと思う。でも、街なら家も借りれるし、何かあれば協力もできるし」
自信の持つ力が、本当に治癒の力であればその手を喜びとっただろう。
けれど、そうじゃない。
アストレイアは唇を咬み、指先に力を込めて強く握った。
「ここには、俺もいるから。俺じゃ、頼りに、ならないかな?」
最後は少しおどけた様子でいうイオスに、アストレイアは首を振った。
頼りにならないんじゃない。頼れない理由があるだけで。
「少し、疲れたよね。ちょっと、テナンの様子をみてくるから、ゆっくり休んでて」
最後にアストレイアの髪を撫でたイオスは、部屋を出る前に「おやすみ」と一言添えてドアを閉めた。
遠ざかる足音を聞きながら、アストレイアはゆっくりと顔を上げた。
「……ほんと、甘やかされてるなぁ」
その声は少しかすれていたが、自身の耳にはしっかりと届いた。
イオスは、とても穏やかで、あるがままを個性として受け止めるんだと改めて認識した。彼の勘違いではあるが、治癒の力と勘違いされている回復魔術についても「隠さねばならないこと」という認識はありそうなのに、イオス自身が特別視している様子はない。
そんな彼なら、もしかすれば不老不死も個性の一つくらいの認識でうけいれてくれるかもしれない。
そう期待する反面、それを自らが受け入れるかと考えたとき……答えは否、だ。
(このまま甘えて、一時の幸せを享受することもできる。でも……覚悟がないまま、それをすれば……私は、絶対後悔する)
そしてそれは長々と続ければ続けるほど、抜け出すことも難しくなるだろう。
(私が本当に望む状況を得るには、不死の呪いを解くしかない)
アストレイアもかつてはその方法を探し、各地を渡り歩いた。
しかし不死を求める記述があれども、不死になった記録など一切出てこなかった。
(今もなお、不死の人間がいなければ解く方法なんてみつからないかもしれない)
探すのを諦めたのは、これ以上絶望したくなかったからだ。
そして森に入ったのは、かつて救ったはずの人々からは気味悪がられ、仲間は年老い、一人だけ時間に取り残され、その解決方法はみつからない。そんな状況を、人々が時を過ごす中で直視したくなかったからだ。
「……いえ……可能性があることは、まだ、一つだけある。……私が不老不死になった、あの儀式が再現できるなら……ヒントを得られるかもしれない」
それは、かつても試みたことはある。
森に入ってからも、幾夜も試み、失敗を重ねた、古代の禁術。
(もう一度、試してみる……?)
それを行うのを諦めたのも、儀式が成功する兆候さえ得られなかったからだ。
全く反応しない水面に、何度心を砕かれたかわからない。
それでも今は、もう一度だけ試してみたい。
「それで、だめだったら。ここにはいられないってことだもの」
アストレイアは、ゆっくりと立ち上がった。
膝が笑っている自覚はある。それでもじっとしてはいられなかった。
(空をよく映す、おおきな池……確か、南方にあったはずだわ)
窓枠に足をかけ、風を自身に呼びこんだ。
ビリビリと身体が痛む感覚はあるが、心が痛いときに比べたら痛みだとも思わない。
そして目を見開いたと同時、アストレイアはその場から飛び立った。