第四話 暖かな光が集まる場所(8)
友が安らかに眠れるよう、その想いを引き継ぐ誓いから始まった鎮魂祭は、厳粛で、軍そのものの精神を現すものだった。
そして、その後。
場所を移して始まった宴会は、先程のことがまるで夢であったかのように感じてしまうほど、雰囲気が異なる……いわば、どんちゃん騒ぎになっていた。
あまりの温度差にアストレイアが驚いていると、グラスを手にしたイオスがアストレイアのもとにやってきた。
「鎮魂祭と酒宴を一緒にやるのは、しんみりした涙を友に見せないようにっていうところからはじまったらしい」
「そうなの……って、イオス。私のこれ、ジュースじゃない」
「お気に召さなかったかな?」
「……宴席なのに……っていってもアルコールだめっていうんでしょ」
反論は笑顔で肯定され、アストレイアはため息をついた。
砦に戻る前に主役と言われていた通り、アストレイアは現在酒宴の会場の上座にある、おそろしく上等だろうソファーに腰かけていた。
ただ、この室内にはほとんど椅子やテーブルはない。
宴会は、普段の椅子やテーブルを使わず、床に上等な敷物を広げ、その上で各自がくつろいでいる状況だ。料理や酒も足つきのトレイに並べられている。
ソファに座っているアストレイアには一通りの食事が適量に配された皿が手近なテーブルに置かれているので立つ必要もないのだが、もしあの中に入って料理をとるとなれば、なかなか大変だ……と、思わずにはいられないほど賑やかになっている。
「足りないものがあれば、取ってくるよ。何がいい?」
「や、まだ大丈夫だから。それよりイオスも座ったら? イオスも主役でしょう」
「まあ、ね。でも一応、ここのほとんどの人間の上司になるから」
「そう。……ただ、あなたの上司はあそこで遠慮なく飲んでるように見えるんだけど、見間違いかしら?」
大樽の前で、たった今「朝まで飲むぞー!」と宣言していたのは、間違いなくスファレだ。
隊長がああいう状態なのだから構わないだろうと目で促すと、イオスも苦笑した。
「座るくらいいいんじゃない?」
「そうだね」
「私はともかく、イオスはお酒、飲まなくてもいいの?」
「やめておくよ。隊長が潰れたら、部屋まで運ばないといけないし」
上手に逃げられたなと思いつつ、アストレイアも「そう」と流した。
主役といわれても、特に挨拶もなにもなくてよかった。そう思いながら皿からパンを手に取った。チキンハムが挟まったそれは、しっとりしたパンとよく合っている。
「でも、主役っていわれたから何か挨拶でもあるのかと思ったけど――いい席でご飯食べるだけでよかったわ」
「まぁね。ああ、あとは……ほら、きた」
イオスが向いた方向をアストレイアも見ると、そちらには楽器を持った人々が宴席に入ってきた。彼らは色とりどりの衣装を纏っている。
しかしその中の何人かは楽器を持っていなかった。
「歌の披露?」
アストレイアの問いに、イオスは首を振った。
「いや、踊るんだよ」
その言葉の直後、笛の音が響き渡った。
すると酒をあおっていた人々のうち数人は立ち上がり、部屋の広い場所へと足を進める。
そして音楽が始まるとともに、楽団と一緒に入ってきた人々と踊り始めた。
独特な音楽だが、リズムは明るく、気分は高揚していくようだった。
そのうちノリよく手拍子していた人が踊りの輪に加わり、輪の中から皆を煽って場をより盛り上げて行く。
アストレイアも思わず手拍子に加わった。
「お嬢さん、お嬢さんも加わりません?」
「っひゃ!?」
完全に踊りのほうに見入っていたアストレイアは、すぐ近くにモルガがやってきていたことに気付かなかった。モルガは既にだいぶ酒を飲んだ様子で、表情がだいぶへにゃりとしていた。
「こんな時じゃなきゃ、踊る機会もありませんし、一曲いかがですか!」
「や、あの、わからないし、その」
「なに、あそこで踊ってる連中は全部踊りの嗜みなんてない奴らばっかですって! 皆、好き放題に踊ってるだけですから!」
完全に酔っぱらっているモルガを制すように、イオスが「彼女は病み上がりだぞ」と口をはさんだのだが、すでにその時アストレイアの腕はモルガによって引っ張られ、身体はソファから離れていた。
「ちょ、ちょっと!」
そして走るモルガによって引っ張られ続けたアストレイアが踊りの輪の中に加えられてしまったとき、音楽が一瞬止まった。
だがその静寂はすぐに打ち破られ、辺りにはどっと歓声が沸きあがった。
「よ、待ってました!」
「魔女の嬢ちゃん、今回はありがとなぁ!!」
「飲め、食え、踊れ――!」
この部屋の中の全員から注目されている。
これは、とんでもなく恥ずかしい。こんなに恥ずかしいのは何百年ぶりだ。そうわなわなと震えるも、このまま元の席に戻ってしまってはこの場の雰囲気を台無しにすることは目に見えている。
(やーらーれーたっ!!)
だが、降りられないならもう踊るしか選択肢はない。
踊るのは皆自由だと言っていた。ならば、アストレイアの知っている踊りを、無理やりここで流れるリズムに合わせて踊るしかないだろう。
(私が創作するより、ずっとマシなはず……! 失敗したって、誰もわからないはずだし……!)
アストレイアが舞ったのは、剣舞の巫女の舞だ。
アストレイア自身には剣術の心得はないし、記憶も随分古いものというだけあっておぼろげだが、それでもかつての友人――今、アストレイアの青いペンダントになってしまっている魔女と共に、武運を祈る舞として懸命に稽古したものだ。
(ここの皆に、これからもご武運がありますように――)
そう祈れば、アストレイアの目つきも変わった。
しかし、その舞があまりに周囲の視線をくぎ付けにしたこともあり、一曲終わった途端、アストレイアが登場した時以上の歓声がその場を支配した。
そうなると、次も舞わざるを得なくなり――結果、そのまま三曲連続でアストレイアは舞い続けた。
「……さすがに、疲れたかも」
「びっくりした。踊るの、得意だったんだ」
「得意じゃないけど……あそこでなにもせずに降りるの、無理だったでしょ」
席に戻った際に少し口をとがらせて言えば、イオスは「ごめんごめん、もうちょっと止めればよかったね」と、あまり悪いと思っていない様子で謝罪を口にする。
(まあ、でも驚かれるのも当然か。森の中の一人暮らしで踊ることなんて、まずないものね)
それに、場が盛り上がったのならよかったという一言に尽きるというものだ。
「お疲れ様でした、お嬢さん。これ、飲み物です」
「ありがとう」
「いやあ、しかし盛り上がった! 最高の余興だよ」
大喜びのモルガの足を踏んづけてやろうかと真剣に思ったが、立つのも億劫な状態だ。
昼の運動も合わせて、筋肉痛は確定だろう。
「ご飯、あんまり食べられなかったわ」
「それは失礼、今からおいしそうなものをとってくるよ」
「ここにもたくさんあるから結構よ。いっぱい食べるから、邪魔しないでね」
むしろ手近にあるものから食べないともったいない。
しかしあまりに喉が乾いてしまっているので、まずは飲み物を――そう思ってアストレイアは一気にグラスを傾け、次の瞬間違和感に気付いた。
勢いよく口に含んだのは、間違いなく酒だった。そしてそれはアストレイアが想像していたものより、ずっと濃いものだ。
意図してない衝撃に出会うも、口から出すことはせず、なんとか飲みこむ。
そんなアストレイアをモルガは「いい飲みっぷりですな!」とはやし立てた。
(こんの……酔っ払い!! 何で勝手にグラスかえるのよ!!)
「きみ、大丈夫? それ、もしかして……」
「ええ、とっても美味しいお酒だったけど……ちょっと、一気に飲むものじゃなかったわね」
青筋を浮かべながらも、アストレイアはできるだけ穏便な言葉を選んだ。ただ、声色はそうはいかなかったが。さすがに飲んですぐに変化が現れるものではないと思うが、この飲み方は良くない。水を飲んだ方がいいのか、どうだろうか? ぼうっと考えていると、アストレイアの腕は再びつかまれた。
また、モルガか!
「もう踊らないわよ!」
「ちがう、こっちに来て」
「なんですか副隊長、主役がどこに逃げるんですー? 逃避行ですかー?」
腕を掴んだのはモルガではなく、イオスだった。
モルガは完全に酔っぱらった調子でグラスを掲げているだけだ。イオスはそれを見て深いため息をついた。
「酔っ払いに絡まれたら大変だから、ちょっと避難させてもらうよ」
「へえ、大変ですねぇ。いってらっしゃい、お酒なくなるまでに帰ってきたほうがいいですよー?」
呂律も怪しくなってきているモルガに、アストレイアも怒りが徐々に薄れてきた。むしろ心配になってきたという方が正しい気がする。
「ねえ、イオス。モルガ、大丈夫なの? 完全に出来上がってるけど」
「……まだ潰れてない人間も多いし、大丈夫だろ」
「あれで本当に大丈夫、なのかしら……」
上官だから飲まないと言っていたのに、放置して本当に大丈夫なのだろうか。
しかし「まぁ、隊長もいるし」と、イオスは歩調を緩めることはしなかった。その様子から、恐らく何を言っても無駄だと判断したアストレイアは「その隊長が怪しいといっていたのは誰だったかしら」と問うのは止めにした。もう、なるようになってしまえばいいのだろう。
イオスに連れられて登ったのは、砦の三階にある広いバルコニーだった。
「昼間のところほど高くないけど、まぁ、夜景くらいは見える。これ、水」
「ありがとう」
もらった水で口直しをしながら、アストレイアは手すりにもたれかかった。
「綺麗ね」
「ついでに、上空も見てみるといいよ」
「え?」
「今日はちょうど新月だし。森だと、木に邪魔されてあんまり見えなかっただろうから」
イオスの言葉にアストレイアは首を上向けた。
すると空には数々の星が浮かび上がっていた。
「きれい」
「せっかくここに来てくれているんだし、森では見れないもの、見ておかないと損だろう?」
そのイオスの言葉に、アストレイアは一つ思い出したことがある。
そうだ、ここに来るきっかけとなった、あのお守りは――確か――。
「ねぇ、イオス。凄く……凄く言いにくいことなのだけど、いいかしら?」
「え? あ、あぁ。どうしたんだ?」
「貴方の持っているお守り、お守りの言葉、間違ってるわよ」
「……はい?」
「だから。貴方が持ってるお守りよ。それ。昔の文字でしょう? 間違ってるわ。それだと何のご利益もなさそうよ」
ずっと大事にしているのであれば、意味がないものだと告げるのも気の毒な気はする。
が、まったくよく分からない物をもっているというのも気の毒だ。そんなアストレイアの指摘に、イオスは何度か目を瞬かせた。
「えっと……それだけ?」
「他に、何か?」
アストレイアが首を傾げると、イオスは肩を揺らして笑い始めた。
そしてそれは徐々に大きくなり、やがて膝までついてしまうのだからアストレイアは驚いた。イオスは酒を飲んではいなかったはずなのに、もう酔っぱらってしまったのだろうか?
しかし、イオスは笑うだけ笑うと、やがてゆっくりと立ち上がった。
「随分改まった様子だったから、びっくりしたのに。それだけ、かぁ」
「もう、なんなのよ」
「いや、ごめん。なんか、ちょっと期待しすぎた」
なんの期待だ。アストレイアが眉を寄せると、イオスは「ごめん」と軽く謝る。
「君は正しい文字、知ってるんだ」
「そうじゃないと指摘できないわ」
「じゃあ、教えてよ。いや、やっぱり……そうだね――その、指輪のお礼で、修正お願いできないかな?」
イオスの突然の申し出に、今度はアストレイアが面食らってしまった。
「……文字はわかるけど、私、刺繍下手よ? 他に頼んだほうがいいんじゃない?」
「大丈夫。それに、俺の方が多分下手だよ」
「指輪にふさわしい対価になると思わないわ」
「俺が思うから良いんだ」
「でも」
「それとも、やりたくない?」
やりたいか、やりたくないかと問われればやりたくない。
どう考えても仕上がるものは指輪の対価になり得るとは思えなかった。
だが、同時に他に指輪の礼を今の自分ができるかと考える。そうなれば、何も思いつかない。
「本当に、そんなことでいいの?」
「引き受けてくれるなら。そんなことじゃなくて、それがいい」
「それなら……わかったわ」
アストレイアの言葉に、イオスははにかんだような笑顔を見せた。
その顔をみたアストレイアは思わず星に夢中なように振る舞って顔をそむけた。
なんだか直視できなかった。
そして星を見ながら、刺繍が出来上がるまでは、もう少しだけここにいる理由ができたとほっとした。いつ、ここを去るかという問題から逃げ出し、解決を先送りにしただけだということはわかっている。けれど、もう少しだけここにいたい。そう、強く思ったのだ。
「明日、糸と針、買に行こうか」
「そうね。あと……出来れば一発本番は怖いから、練習用の布もほしいかな」
「わかった、一緒に買っておこう。ついでに、また美味しい食事でも食べて帰ることにしようか」
「それは名案ね」
そう、笑いあった時だった。
ぱたぱたと軽い足音が、徐々に二人の側へと近づいてきた。
それは大人のものではなさそうで、この場には少し不釣り合いなものだった。
やがて見えた人影はやはり背の低い子どものもので、その影は二人を見るなり速度を上げて近づいてきた。
「こんばんは、イオス副隊長に魔女のお姉さん」
そうして現れた子供は、とても無邪気な表情をしていた。