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第四話  暖かな光が集まる場所(7)

 アストレイアも宴、というものを知らないわけではない。

 とくに祝いの席というものは酒を楽しむ席……だったような気がする。

 祝い事がなにかより、とにかく酒と料理を楽しむところだという認識しかアストレイアには残っていない。


 だがら砦に戻った途端、大勢の女性たちに囲まれることは想像していなかった。


「ちょ、何!?」

「おかえりなさいませ、お待ちしておりました! では、今から私たちがお着替えの手伝いをさせていただきますね!」

「はい!?」


 何がどうなってそうなるの!?

 アストレイアは助けを求めてイオスを見たが、イオスはただただ笑みをうかべるだけで「じゃあ、またあとで」と去ってしまう。


「だめですよ、お嬢様。お着替えに殿方がいては邪魔になるだけですから」

「そうですよ、そうですよ。むしろ、私たちの力で驚かすほどのお着替えになるよう、努めさせていただきますからね」

「では、まずお風呂からですね。すでに沸かしておりますので、私たちが全力でお手伝いさせていただきますわ」


 ずいずいずいと前にくる女性達に、アストレイアは怯んでしまった。

 なんだ、これは。いまから拷問でも始まるというのか。

 だが、腕を掴まれ風呂場へと導かれる中、一つだけ叫ばずにはいられなかった。


「無理、ちょ、お風呂くらい一人で入らせて――!!」


 絶対に、絶対にそれだけは最低でも譲れない。

 アストレイアの心からの叫びは、それだけが認められた。

 あくまで――それだけ、だった。



 女性の支度に時間がかかるというのは、アストレイアも噂では聞いたことがある。

 しかし自分には全く関係ない話だと思っていたのだが――今は、関係ない話であってほしかったという願望に変わっている。


「お肌がきれいでいらっしゃるから、お化粧は薄い方がいいですね。紅を差すくらい、かしら?」


 化粧など、人生で一度もしたことがない。


「服はどのようなものがお好みですか? 綺麗なものから可愛らしいものまで、色々集めてはみたのですが、せっかくですからめかし込みましょうね」


 服など、軍以外の私服は着やすいものしか着たことがない。


「髪型は、いかがなさいますか? なびく方がお似合いでしょうか? それとも、まとめた方がいいでしょうか?」


 もはや、髪型など気にしたことなどなかった。

 だから、アストレイアに言えることはただ一つ。全てお任せします、ということだけだ。

 その言葉を聞いた女性たちが上げた歓声に「失敗したかもしれない」と思ったが、もう、アストレイアにはどうすることもできなかった。

 そして諸々の準備が終わったころには、既に力がつきかけていた。


 酒宴というのは楽しいものではなかったのだろうか。

 こんなに疲れるものであっただろうか。

 全ての準備が整い、女性たちが歓声を上げたとき、アストレイアの中ではいろいろなものが尽きかけている気がしていた。


「これで、お祝いの席も完璧ですわ」

「そうです、そうです。調理班も気合いをいれておりましたから、食事も楽しんでくださいね!」


 女性たちの声が好意的なので、白目になりそうな気分になりながらも、アストレイアは辛うじて笑顔を保っていた。

 準備のための時間はかなり見積もられていたらしく、まだしばらく時間があるからと女性たちは席を外すようだった。アストレイアは助かったと一息ついた。悪い人達でないということはよくわかるのだが、勢いについて行けない。

 しかししばらくすると一人の女性がアストレイアのもとに戻ってきた。


 忘れものだろうかとアストレイアは思ったが、女性がトレイに茶の用意をしているのを見て、納得した。


「お疲れ様でした」

「ありがとうございます。喉、乾いていたんです」

「お嬢さまは大人しい御方ですのに、みなさん、元気ですからね」


 控えめに笑う女性に、アストレイアも苦笑で返した。


「お茶菓子もあるのですが、召し上がられますか?」

「ありがとうございます。おいしそうな焼き菓子ですね」


 見たところ一口サイズでどっしりした生地の上に果実を乗せ焼いている菓子のようだが、アストレイアには詳しい名称はわからなかった。ただ、バターの香りが漂いおいしそうだと思わされる。


「こちら、夫がとても好んでいた菓子なんです」

「旦那様が、ですか?」

「ええ。――お嬢様には、イオス様と共に夫の敵をとっていただきましたこと、とても、とても……感謝して……」


 女性の途切れた言葉に、アストレイアは気が付いた。

 この人の夫はキマイラに殺されたのだ、と。


 軍の被害情報いついては詳しく聞いていなかった。

 しかし一か月も被害が続いているとなれば、殉職者が出ていてもおかしくはない。


「今日の宴は、夫も喜んでいると思います。騎士は平和を守る者であれ――それは、夫の願いでした。それが、みなさんのおかげで成し得たのでしたら……ようやく、ようやく皆様の笑顔があふれるのですから」

「……そうであれば、とても嬉しく思います」


 女性の言葉が本心なのか、強がりなのか、アストレイアには判断できなかった。

 しかし、それに似たような記憶はアストレイアにも刻まれている。だからこそ、かける言葉は思い浮かばなかった。ただ、女性も返答を求めていたようではない。

「あとで食器は片付けますから」と、その場を後にした女性が閉めた扉を、アストレイアは入れられた茶を飲みながらじっと見つめた。


「……そりゃ、全部が円満解決なんてこと、なんて難しいか」


 キマイラを見たことのない者が、対処の仕方がわかるわけもない。

 辛うじて逃げ通せたとしても、傷の具合に寄れば治癒が難しいこともあっただろう。いや、あったからこそ今の女性がそのようなことを言っていたのだ。


(今の女性の心も、吐きだしたことで少しは晴れたなら……いいのだけど……)


 ただ、その恨みや後悔はアストレイアが引き受けられるものではない。

 時は、傷を癒やしてくれるのだろうか――? そんなことを考えていると、カップの中はからっぽになってしまっていた。

 もう少し味わえばよかった、そう思っているとドアがノックされた。


「どうぞ」

「入るね」


 それは、イオスの声だった。

 先程の女性が食器を下げに来たのかと思い少し緊張したのだが、そうでなかったことに気が抜けた。

 そう、気が抜けたのだが、現れたイオスを見てアストレイアは固まった。


「…………」

「うん、どうかした?」

「いや……イオス、よね?」

「うん、イオスだけど」


 声を聞けば間違いなくイオスだということははっきりわかる。

 しかしながら、アストレイアはどうも昼間一緒に肉にかぶりついていた人物と同じ人物には見えなかった。礼服なのだろう、黒い軍服は以前見たものより細かい刺繍も飾りも増えている。なにより……いわゆる「きちんとした格好」のイオスは、いつもにも増して……


(ちがっ、いつもにも増して、って何!?)


 何を考えかけた、と、かぶりを振ったアストレイアにイオスは首を傾げた。


「どうしたの?」

「ううん、ちょっと。……ねえ、もしかして宴会ってすごく形式ばってるの? 私、マナーはわからないわ」

「ああ、それなら大丈夫。こんな格好してるのは、最初に鎮魂祭があるからなんだ。その後は無礼講もいいところ。この制服だって、酒にまみれるかもしれないからね」


 そう肩をすくめて言ったイオスは、けれど少しだけ寂しそうにつぶやいた。


「少し前に、軍で死者が出てるんだ」

「それ、さっき聞いたわ。お茶をいれてくれたの、奥さんだったから」

「そっか」


 ドアをしめて部屋に足を進めたイオスはそのまま窓辺までまっすぐ歩き、茜色に色づき始めた空を見上げた。


「人を守るための美談、になるんだと思う。でも、俺はできれば軍人も守れる軍人になりたい。散る美談なんて、残された方は悲しいのはわかってるから」

「……強いわね」

「口だけにならないようにって、努力はしてるけど、実現は難しいよね。でも、それはしなくちゃいけない」


 窓の外に向けていた体を反転させ、ふっと息を抜いたイオスに、アストレイアは微笑んだ。


「あなたなら……きっとできるわ」

「本当にそう思う?」

「そう思えない男に『強い』なんて形容詞をつけるほど、私は言葉の安売りなんてしないわよ」

「じゃあ、失望されないように頑張るよ」


 軽口のように、けれど約束されたそれにアストレイアも頷いた。


「でも、自分のこともちゃんと考えてね」


 イオスだから大丈夫だろう。そう思う反面、自身の過去と重ね合わせてしまえば、その言葉はどうしても出てきてしまった。

 イオスは少しだけ目を丸くしたが、やがて頷き、微笑んだ。


「では、いきますか、お嬢さま」

「あら、エスコートしてくれるの?」

「お嫌でなければ、だけどね」


 そして演技がかった互いの言葉に、顔を見合わせて笑ってしまった。

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かつて聖女と呼ばれた魔女は、
紙書籍・電子書籍ともに2018年3月12日に発売します。
【書籍版公式ページ】にて 表紙、人物紹介を公開していただいています。ぜひご覧ください。
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