第四話 暖かな光が集まる場所(6)
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「じゃあ嬢ちゃん、今度は酒が飲める万全の体調で来いよな。二人でイオスを潰そうぜ」
アストレイアに対して、店主はイオスから券と代金を受け取りながら豪快に笑った。
次があるかどうか……いや、ないと思ったアストレイアは曖昧に笑ってそれに応える。
店を出ると既に何人かの客が列をなしており、昼飯時の時間になっていたのだと気付かされた。
「お昼ご飯の時間、ちょっと早かったから、夜までにおなかすいちゃうかもしれないんじゃない?」
「そのくらいの方が良いよ。今日は夜も豪華だから、腹は減らしてた方がいいと思う」
「いつも豪華だと思うけど……特別メニューなの?」
アストレイアの質問に、イオスはにこにこと笑っていた。
笑顔からは肯定の意がくみ取れるのだが、どうも違和感がある。
(言えないことじゃないでしょ、それ)
もしかして悪い意味での特別メニューなのだろうか。例えば、腹を減らしていなければ食べられないメニューなどだったら、確かにちょっと口にはできないかもしれない。いや、しかし例え訓練食でも四百年前の戦中時よりは美味しいはずだ。そう、アストレイアは信じることにした。
イオスは比較的人の少ない道を歩いていた。
のんびりと穏やかな風が吹き、砦とは少し違った鳥のさえずりも聞こえている。
「平和ね」
「ああ。キマイラがいたときもこんな感じではあったけど、同じ景色でも落ち着いて見れるよね。欠伸だってためらわないし」
「欠伸しててこけたりしたらだめだからね」
制服に砂でもついたら格好が悪い。
そう思いながらアストレイアが言うと、気を付けるよ、と、気の抜けた声が聞こえてきた。
徐々に街中から離れ、石畳を進み、階段を登っていく。
一体何があるのだろうと思いつつ、途中で若干息も上がりそうになる。息一つ乱さないイオスに負けじと弱音は口にしたいが、普段なら歩かずに飛んでいるようなところだ。少し筋肉が衰えてしまっているのかもしれない。
(……明日、筋肉痛にならなければいいんだけど)
怪我ではないので、不老不死でも筋肉痛は避けられない。
せめて明日にこればいい、身体は若い時のままなのだから――などと思っていると、イオスがゆっくりと振り返った。
「大丈夫? 休憩しようか? それとも、やっぱり少し厳しいかな」
「だ、大丈夫。休憩なんて、なくても」
そう言うも、言葉自体が途切れていれば説得力がないのはわかっている。
だからといっても、今の場所は休憩にふさわしいところじゃない。
しかしそんなことを言えば抱き上げられる可能性も排除できない。そんな恥ずかしいこと、絶対に避けたい。人の目に触れるかもしれない場所で、絶対に避けていかねばならない選択肢だ。
「イオスが止まるなら、私、先に行くよ!」
「わかった、じゃあ、行こっか」
アストレイアのペースで歩けるようにだろう、イオスはアストレイアの斜め後ろをせかさず歩く。かといってアストレイアも疲れたと思われたくないので、必死で足を動かした。
一段、一段と進んでいるときはあまり高いところまできたようには感じなかった。しかし、一度後ろを向くと下に続いている階段の数に驚いた。
飛べばすぐに終わってしまうような気にもとめない高さだが、こうやって自分の足で上るとこんなにも大変だったのか――そう、思わずにはいられなかった。
そして前をむき直し、一つずつ階段を再度登り始めた。
そして、ついに続く階段がなくなった。
「登り切ったぁ……」
「お疲れ様」
「つ、疲れてない!」
反射的に訂正を入れたが、息を切らせて膝を押さえる姿で反論すれば、それが強がりでしかないということは明らかだろう。
それでも、涼しい顔をしたイオスに疲れたとはいえなかった。
「ここ……何があるの?」
登り切った階段の上は胸より少し低いくらいの高さの石壁があるのとと、座れるように椅子代わりとテーブル代わりの大きめの石が置いてあった。石は白く、しかしながら目に痛いような色では無く、綺麗な空間だ。しかしそのほかには特に何があるというわけではない。
とりあえずは座りたいかもしれない……そう思いながらも登り切ったところで立ち尽くすアストレイアを追い越したイオスは、そのまま壁際までまっすぐ進んだ。
そしてアストレイアを手招きした。
「ちょっとだけ、こっちに来て」
イオスの髪が風になびく様子を見ながら、随分気持ちよさそうだなとアストレイアは思いつつ、その招きに応じた。
そしてイオスと並び、石壁に手をつき……そして、驚いた。
「……!」
「ここ、街が一望できるんだ」
元々の地形の関係もあるのだろう、今立っている場所は思っていたよりも高いばしょだった。そして、城壁の内部が全てみえるかのようだった。
「すごい」
短く単純な言葉だが、アストレイアにはその言葉しか出すことができなかった。
高さからいえば普段自分が飛んでいる高さより低いはずだ。しかし、街中をこうして見下ろすことは初めてだ。見たことのない光景に、アストレイアはただただ目を丸くする。
「街を歩いていれば大きい建物ばかりなのに、ここから見れば全てミニチュアで、なんだか不思議な気分になるよ」
「よく、来るの?」
「着任して、街のことを知ろうとしてすぐに見つけたかな。人の動きや雰囲気がわかるから、ここは好きだなって思ったんだ。やっぱり、自分の守る街のことは知りたいから」
まだ全然知らないけどね、と、付け加えながらも街を見下ろすイオスの表情は穏やかだった。この街のことを気に入ったんだろうな、と、容易に想像ができる。
しかし、だ。
「ねえ、何でイオスは何度もお礼に来たの?」
そんなに街が気に入っているなら、森にわざわざ足を運ぶなど面倒なだけだろう。
確かにアストレイアの自宅は他人から見れば生活できるものには見えない、ただの小屋に見えるかもしれない。けれど何度も来ているのなら、生活に事足りているらしいということは想像で来ただろう。
それに、改めて考えれば勘違いする人も出てくるような状況だと思う。
「初めは、本当にお礼をしに行っただけのつもりだったんだ」
「言ってたわね。でも、お礼なら一度でよかったじゃない」
「うん。でも、怒られるかもしれないけど……似てると思ったんだ」
「……似てる?」
イオスが持つ理由なんて想像もできなかったが、告げられても尚疑問が深まる言葉にアストレイアは首を傾げた。誰に? 何と? 色々渦巻く中でイオスの言葉を待った。
「最初、すごい俺のこと追い返そうとしてるのに、なんだか寂しそうに見えた気がして」
「え?」
いや、違う。最初は本気で追い返そうとしていたはずだ。
「俺も最初は何の表情かよくわからなかった。でも砦についたとき、ようやく子供の時の俺に似てた気がして」
「イオスに?」
いや、似てないだろう。
アストレイアには自分がイオスに似ているなんて、一辺たりとも思えなかった。
自分はイオス程おせっかいじゃないし、面倒見がいいわけじゃない。
自分はイオス程、慕われる部下がいるわけでも、軽口が叩ける上司がいるわけでもない。
自分はイオス程、明確に守りたいものを持っているわけじゃない。
眉を寄せたアストレイアに構うことなく、イオスは言葉を続けた。
「俺、三人兄弟の末っ子で、一人だけ年が離れてて。兄さんたちは家にいないし、両親も殆ど家にいないし。皆が忙しいのはわかるし、無理を言っちゃいけないのもわかってる。だから文句の一つもいったことがないし、逆に皆を誇らなきゃいけないことだと思ってたんだ」
「……」
「でも、一人でいるには家が広すぎて。話聞いてほしいけど、俺はわがままを言わないいい子だって褒められるから、余計に言えなくて。そうしなきゃいけないって思ってるのに、そうあるべきだって思ってるのに、本当はそうしたくないって、ずっと変な気分だったんだ」
森が、広すぎると思ったことはなかった。
誰にも関わらずに生きるには森しかないと思ったからだ。だから、きっとちょうどいい場所だったはずだ。そのおかげで、イオスが落ちてくるまではあの場所にはこれまで人がよりつくことすらなかったのだから。
話を聞いてほしいなんて思ったことはないはずだ。話をすれば、年を重ねなくなった自分が周囲からどう見られているのか、聞こえてくるかもしれない。
買い物に行くのは、必要に迫られた時だけ。それは、長くいれば覚えられてしまう。だから誰かと話すことなんて、必要としていなかった。
そう否定する言葉が一気に頭の中に浮かび上がると同時に、イオスの言葉に「そうだよね」と答える自分がいることに気付かないふりをするのも無理だった。
本気でイオスを追い返したいなら、魔術も使えたはずだ。
食事のおいしそうな香りに魅かれたのも否定できない。
イオスがつくったかまどだって破壊すれば、きっと再び彼が来ることはなかったはずだ。本気で彼を怒らせるようなことをすれば、問題なく希望がかなったはずだった。
けれど、それができなかったのは――どんなに自分で否定していても、イオスが来るのを、楽しみにしていたからだ。
(……私、本当に中途半端、なのね)
自分が一番否定していたことを、四百近くも年下の青年に言われた言葉に納得させられるとは。そう思うと苦笑しか零れなかった。
「何があってあの場所に住んでるのか、全然わからない。だからおせっかいだとは思ったんだ。でも、だから、もしかしてって、気になって……」
「……やっぱり、イオスと私は違うわ。イオスは、私よりずっと賢いもの」
けれど、どうだろう。
本当は人と話をしたかったなんて、そんなことに気づいてしまったからといって、一体何が変わるだろう。
もしも、自分のことを話せば、イオスは今まで通り接してくれるだろうか?
いや、それよりも……周囲から取り残される自分に、耐えられるだろうか?
(言えない、絶対に)
気づかせてくれて、ありがとう。
気づかせないでいてくれたほうが、うれしかった。
相反する思いに、アストレイアの指先には力が籠もった。
私は、これからどうすればいいのだろう? もっと話をしたいといえば、しばらくはごまかせることだとは思っている。けれど年をとらないことなんて、いつかは隠しきれなくなることだろう。ならば、話をしたいんだと気づいた瞬間にここから離れるべきなのだろうか? そうならば、気づかないまま森に逃げ帰るほうが、よほどよかった。
「……ごめん、やっぱり余計なことだったかな」
「イオスは悪くない。ただ、私が馬鹿なだけだもの」
ずっと現実をみてこなかったツケが回ってきただけだ。イオスは悪くない。
そう思い、アストレイアは手と腕に力を加え、石壁に身体を乗り上げさせた。
風が正面から吹き込み、少しだけ目が細くなる。ここから見えるところに、答えが落ちていればいいのに。身体をひねり、石壁に座ったまま、アストレイアはそんなことを思ってしまった。
「きみは馬鹿じゃないよ。強いて言うなら、馬鹿がつくほどお人好しだとは思うけどね」
「結局それって馬鹿じゃない」
「ちがうよ。それより、少しだけ手、貸してくれる?」
「手?」
何に使うんだ、と思いながらもアストレイアは素直に右手を差し出した。
いまさら握手でもするんだろうか? と、思いながらもイオスが両手をアストレイアの手に近づける様子を見、その手の甲から傷が消えていることに気がついた。
「手、直ったのね」
「かすり傷だったからね」
「よかった」
「怪我っていうほどの怪我じゃなかったからね、……ああ、でも怪我っていったら、それも理由だったよ。最初、あんなに嫌そうなのに苦手な包帯、一生懸命巻いてくれる子って、興味わいた……と、出来た」
「え? できた?」
「うん」
そう言いながら離れて行く手を見たアストレイアは、自分の指に光るなにかがついていることに気が付いた。目を瞬かせ、それが見間違いでないらしいことに気付くと、今度は顔の正面に自らの手を近づける。
そこには青い石がついたリングがはめられていた。
「これ」
「なんか、似合いそうだって思ったから。お店の人には、指のサイズわからないならやめたほうがいいって言われたんだけど、この辺りじゃリングって魔除けの意味もあるらしいから」
アクセサリーなんて、魔石のペンダントを除くとつけたことがない。
褒美としてもらったものは、全て換金につかっているだけだ。しかし、だからこそわかる。
「た、高そう」
「……それは言わないでほしいかな」
「でも、私なにもお返しとかできないし」
「似合うと思ったんだよ。魔石の色と、おんなじだったし」
頭をかいて髪を乱しながらいうイオスは、珍しく口調が早かった。
その様子がいつもと違って少しおかしくて、アストレイアは小さく吹きだした。
「……気に入りそう?」
「うん。嬉しいよ。ありがとう、大事にする」
「その言葉なら、うれしい」
その時、一羽の鳥が特徴的な鳴き声を上げながらこちらへ近づいてきた。
アストレイアが急なことに驚いていると、その鳥はイオスの正面まで迷わず突き進み、そこでバサバサと羽を羽ばたかせていた。それはどう見てもイオスに用事があると、全身で訴えていた。
そんな鳥にイオスは苦笑しつつ、ポケットから取り出した干し肉を一つ与えた。すると鳥は用事は済んだとばかりに飛び去ってしまった。目で追っていくと、それは砦に向かっているようだった。
「残念、そろそろいい時間らしい。砦に戻るようにって指令がきたよ。あれ、隊長からの伝言なんだ」
「そういえば……遅くなるって言われてたわね?」
「うん。あと、今夜は豪華な食事っていってたの、覚えてる?」
「え、ええ」
その二つに何の関連があるのだろう?
いまいち結びつけられないアストレイアに、イオスはいたずらっぽい表情を浮かべた。
「宴だよ。キマイラ討伐の、ね」
「え?」
「さて、主役を連れ帰らないと怒られちゃうな」
言葉を飲み込めていなかったアストレイアを抱き上げるように石壁から下ろしたイオスは、やはり楽しそうなままだった。