第四話 暖かな光が集まる場所(4)
「街中にでたら、ちょっと驚くかもしれない」
「驚く?」
「ああ。でも、悪いことじゃないから」
そんな曖昧な言葉を不思議に思いながら、アストレイアは街の中に出た。
砦からしばらくは広場のようなところが続いていたが、やがて一気に商店が並ぶ通りに出た。
買い物客に菜を売る店主、それからその様子を隣の店から覗く威勢のいい魚売りの声。
それらが一気に耳に入ってきた。
「今日は久々に海のほうから干物が来てるぞ! ほら、ご祝儀価格で買ってけ!」
「あはは、それだといつもより高ぇから買ぇねぇなァ」
「何おう、俺の店は常にお客様価格だぞ? そっちの菜っ葉よりも腹膨れるだろうが」
「菜がなけりゃ食もすすまないだろうが!」
「あはは、違いねぇ」
冗談交じりの店主たちのやりとりは軽快で、アストレイアが普段買い物に行く町よりも賑やかで、街の気質を現している気がした。
「しばらく、キマイラでみんな緊張していたから。開放的になってるんだ」
「なら……よかったわね」
「なんか、そのいい方だと他人事みたいだよ」
しかしそう指摘されても、アストレイアは反応しづらい。
勝手に気に食わないから倒しただけ、それが結果的に恩恵になったといっても、じゃあどういう反応をすればいいのだという話である。
「でも、そうも言ってられなくなるよ」
「え?」
「今にわかるよ」
そうイオスが言った直後、魚売りの男性がイオスの方を見るなり驚いた顔を見せた。
「副隊長さんじゃないですか! 何してるんですか、こんなところで!」
「今日は休みなんだよ」
「休みなら先に言っといてくださいよ、美味い飯ごちそうしますよ! 副隊長さんの活躍でこの街は救われたようなもの……って、もしかしてそちらのお嬢さん! 副隊長と一緒に戦われた?」
「……」
イオスはニコニコしているだけで、アストレイアも反応できずにいたのだが、それでも男性は感極まったように両手を合わせた。
「干物、干物もっていってくださいよ! って、あれか、もしかして二人で出かけなさるんで? それなら邪魔になるな、じゃあ、砦に届けておきますよ!」
「おま、抜け駆けずるいぞ! 副隊長さんにお嬢さん、うちの野菜も美味しいですからね、パンにはさんで食べるのが最高! うちからも届けておきますよ」
競うように二人に話かける店主たちの間から、今度は一人の恰幅の良い女性が割って入った。
「あんたたち、忘れてないかい? いいお酒、おくっとくよ。甘いやつのがいいかい?」
そう言いながら瓶を掲げる女性は酒屋なのだろう。
「あ、ありがとうございます……」
「なぁに、祝いの品にゃ困らないからね! それよ、街中を見られるならあんまり邪魔しちゃ、野暮ってもんだい。ねぇ?」
「な……」
「そうだそうだ、まぁ、楽しんできてくだせぇ」
「砦にはちゃんと預けておきますんでね!」
野暮って何! そう、アストレイアが反論する間もなく各々店に戻ってしまう。
わなわなと震えてしまうが、「じゃあ、行こう」というイオスは全く動揺していなかった。
(な、なんでそんな平然としてるのよ……!)
また自分一人が焦ってしまったのかと眉を寄せたアストレイアは、けれどそれを表に出すのも悔しいので何事もなかったかのように「そうね」とだけ口にした。
イオスはきちんとしているし、優しい人なんだと思う。アストレイアの想定外のことを言ってはいつでも余裕しゃくしゃくといった雰囲気で腹が立つのに、それでもその隣の居心地は悪くない。
「……なんか、イオスはずるい」
「うん?」
「なんでもない」
何が、と問われれば上手く説明できない。
ただ、一緒の時代に生きていればもっと色々話せたのかと思うと、残念だという想いが浮かんでくるのはほぼ否定できない。
(ほんと、助けなきゃよかった)
本心から助かってほしくなかったというわけじゃない。
ただ、ずるいと思ってしまって、悪態をつきたくなってしまうのだ。
しかし、そもそも瀕死の状態から助けたあとなら、あの場で放っていたとしても問題はなかったはずだ。あるとすれば風邪を引く程度のものだっただろうか。それをできなかった自分が、今の状況を引き起こしているだけだ。イオスのせいとも言いきれない。
(結局、私が中途半端なのよね)
四百年前、力を得た代償で不労不死になってしまったことを帳消しにしたいわけではない。
イオスたちが生きている世界は、あの時の自分がいなければ築くことができなくなっていたかもしれない。今を笑って過ごしている人がいることが、嬉しい。
それでも世界に一人取り残されることが分かっている以上、親しくなることは、別れがつらくなるだけだ。
「ねえ」
「わ、」
「……もしかして、歩くの久しぶりだから、もう疲れた?」
上の空の状態だったことに気付かれたアストレイアは、眉を寄せた。
「そんな心配ないわよ」
「ならいいけど、歩くの久しぶりでしょう。無理そうなら言ってくれて構わないから」
「例え疲れても、言ったら何が起こるかわからないから言わない」
抱え上げられるのはごめんだ――そう、言外で思っただけでアストレイアの頬は熱を持った。ちょっとまって、何を考えているの! そう、慌てて自分で打ち消した。
「ああ、誘っといて悪いんだけど、ちょっと装飾店寄ってもいい? 遠回りにはならないから」
内心焦るアストレイアに気付かなかったらしいイオスは、前を向いたまま思い出したようにそう言った。
「どうぞ?」
しかし、見える範囲に装飾店で買うようなものをイオスはつけていないように見える。それなのに、一体何を買うのだろう? そもそも装飾店なんてアストレイアには馴染のない店だ。せっかく寄るのだったら、イオスの用事が済むまではゆっくり見てみてもいい。そんな風に思っていたが、イオスが寄った装飾店というのは、実にキラキラとした世界であった。
小さな石のついたリングは繊細な台座に収められているし、ネックレスの鎖はよもすると切れてしまうのではないかと思わされるし、花を象ったブローチだって、触れば欠けてしまうのではないかと思わずにはいられない。
(こ、こんなお店、よく平然と入れるわね……!?)
煌びやかだとしか、アストレイアには言えない場所だ。
まるでお話の中のお姫様のための店――そう、思わずにはいられなかった。
しかし、そこで一つの疑問が沸く。
お姫様にしか用事がなさそうなこの店に、一体イオスは何の用事があるというのか。
既に用事は店員に伝えていたらしく、店員はイオスの顔を見るなり奥に引っ込んだままだ。
(……何だろう、凄く気になる)
アクセサリーに目をやるも、アストレイアは気もそぞろになりながら、イオスの用事が終わるのを待った。微妙に店員とのやり取りが聞こえず、その様子は良く分からない。
「おまたせ、行こうか」
「ええ」
小さな紙袋を持った心なしかイオスの機嫌は良さそうだった。
一体何を買ったのだろう? そう思っていると、イオスは「ちょっと止まってもいい?」とアストレイアに許可を求めてから足を止めた。そして袋から一つの箱を取り出た。中にはペンダントが収まっていた。
「これ。魔石、ペンダントにしてもらったんだ」
「ああ、そうだったの」
「やっぱり自分で加工するのは、難しそうだったから」
細いワイヤ―で赤い魔石を囲うようにしたそれは、アストレイアの持っているもののデザインにもよく似ている。魔石はあまりにも固くカッティングも難しいため、このままのデザインが使用されるのは昔から一般的だった。
「店主はなんて宝石名のか、すごく不思議がってたよ。内緒っていったら、秘蔵の品だと勘違いされたし」
そう苦笑したイオスはそれをつけると、石を衣服の中に収め、箱を再び紙袋の中に戻した。
「箱も袋も邪魔にならない? すぐに身に付けるなら、包装なしもらえばよかったのに」
「ま、それもそうなんだけどね。用事も終わったし、お肉、食べに行こうか。ここからすぐそばなんだ」
「ねえ、今気づいたんだけど……そこ、マナーに厳しかったり、しないわよね?」
装飾店は外から見ても明らかに高級感が漂っている。
そしてこの場所も、それが浮かない程度には品のある通りになっている。
最初に小売業の店主たちと話をした、親しみやすさとは少し雰囲気が違っている。
しかし、イオスは笑った。
「一本通りが違えば雰囲気が違うし……それに、多分真逆だと思う」
「え?」
「店に入ればわかると思うよ。お腹の準備は万全かな?」
からかうようにかけられた言葉に、アストレイアはイオスの腹に拳をいれた。
しかしイオスは笑うばかりで、全く動きはしてくれなかった。