第四話 暖かな光が集まる場所(3)
デートという単語を知らないわけではない。
四百年前は逢引きという言葉や逢瀬という言葉で彩られていた行為を指すのだろう。
しかし、だ。
「え、それって……、……なに?」
それが自分への誘いになると、うまく変換処理ができなかった。
デート。デート。デート。
……何度も頭の中で反芻させ、ようやくアストレイアは合点がいった。
「ひょっとして、イオス……いま、頭、強く打った?」
それしか理由はないだろう。
それなら安静にしていなければならない――そう思っていたが、イオスは軽く首を振った。
「全然」
「じゃあ…………なに?」
「いや、そろそろ暇してるかなって思って。元気かどうか様子みてから誘おうかなと思ってたたら驚かされたし、意趣返し、かな?」
青年男性が首を傾けてもかわいらしくない――と言いたかったが、それは言えなかった。
憎らしいことだが、イオスのそれはひどく似合っていた。おそらく自分がやるより似合っているだろうなとアストレイアには想像できる。
しかし、それはそれで面白くない。もちろん何よりも一瞬焦らせられたことが一番悔しくもあたのだが。
「…………出かけるって、どこに?」
「街。そんなに混まない場所、しってるから。結構おいしい店なんだけど」
「あのね、私がご飯ばっかりにつられると思わないでくれる?」
確かに何度も食欲に負けてはきたが、この悔しさの中でそんな誘いにはのらないんだから。そう思うアストレイアに、イオスは小さく悩むようにうなった。
「これ、昨日きみがおいしそうに食べてたクッキーなんだけど」
「…………」
負けない。
これはいままで負けてきたパターンだが、いまの怒りの中ではまだ耐えられる。のどから手がでるくらい欲しいものだが、まだ我慢できるレベルだ。
「あと、これ。モルガとエルバが、優待券くれてて……けっこうがっつりした肉料理なんだけど、串焼きがとてもおいしくて」
「……くしやき?」
「ああ。分厚い肉を炭火であぶるんだ。焼きたてすぐに食べるんだけど、肉汁もおいしいよ」
そうして頭の中で分厚い肉を思い浮かべ、しかしすぐに振りかぶった。
だめだ、こうやっていろいろ釣られた結果がこの滞在まで続いてしまったのではないか。
本当に踏ん切りをつけるなら、イオスに腹を立てている素振りを見せている今が逃せない。このまま、怒って帰った風にしてしまえばいい。
「悪いけど、」
「あの二人、きみが食べるの好きだって聞いて買ってきてくれたから、いかないと悲しむんじゃないかな」
「……。それ、ずるくない?」
行かなくても誰の迷惑にもならなければ、それはそれでかまわないとは思う。だが、礼を用意してくれた相手を悲しませるなど、アストレイアにはわかっていてる上でできることではなかった。
「――ねえ、イオス。行きたいところあるんだけど」
「どこ?」
「その優待券のお礼。ちゃんといわないといけないでしょう。あの二人のところ、案内してよ」
そう返答したアストレイアにイオスは笑った。
その表情に「また負けた」と一瞬思ってしまったが、今回に限ってはイオスに負けたわけではない。モルガとエルバというイレギュラーな善意があったから、想定とははずれてしまっただけだ。
しかしどうせイオスはまた腹立つことを言ってくれるはずだ。チャンスはこれからだって、あるはずだ。
「こっちだよ」
そういいながら先導するイオスにアストレイアは続いた。
イオスの足取りはしっかりしたものだが、アストレイアを気遣ってだろう、少しゆっくりとした速度だった。だから今までは窓からしか見れなかった風景を、ゆっくりと見ることもできた。
「興味深そうだね」
「草花が森とは種類が違うみたいだから。あと、すごく丁寧に手入れされてるのね」
「この街の要だからって、町の人たちの好意でね。とてもありがたいことだよ」
「慕われてるのね」
好意というからには自主的なものなのだろう。
木々の様子からは短期間ではなく、長い年月をかけて作られた庭であることはよくわかる。それだけの長期間市民から愛されている騎士団となれば、その誠実さが予想できた。
(そりゃ、身体張ってキマイラとも戦うような人たちだもん。当然、か)
アストレイアはうらやましいなとどこかで思うも、その思いはすぐに追い払った。そしてそのまま小鳥の声を聞きながらまっすぐ歩いていると、しばらくしてイオスが足を止めた。
目的地についたのだろうか? そういえば、どう礼を伝えるか考えていなかったな……とストレイアは思ったが、そこにいたのはスファレだった。
「こんなところでなにやってんだ、イオスフォライト。おまえ今日休暇だろう? 暇なら手伝うか?」
「お疲れさまです、隊長。休暇ですので、仕事はしませんよ」
挨拶代わりの言葉を軽く流したイオスに、スファレは肩をすくめた。
「と、お嬢さん。もう加減はいいのか?」
「おかげさまで。お久しぶり」
自分にとっては上官ではないと、アストレイアは堂々としたままスファレに答えた。
「本当は見舞いしたほうがいいかなと思ったんだが、女性の休む部屋に入るのはどうかと思ってな」
「だったら見舞いの品でもくれればよかったのに。食事は美味しいけど、とても暇だったわ」
「ああ、確かにそうだなぁ」
そして豪快に笑うスファレは「まあ、元気そうで何よりだ」と続けた。
「正直だいぶ出しゃばりな魔女だと思っていたが、イオスフォライトの話だと相当戦闘慣れしてるって話じゃないか。へんぴなところにすんでるって話なのに、どこで磨いてたんだ?」
「内緒よ」
「はは、そりゃイオスファライトも知らないことを俺に教えれるわけねぇな」
そうからかうように言ったスファレは、ゆっくりと頭を垂れた。
「貴殿の助けがあったからこそ、二人の隊員を失わずにすんだと聞いている。本当に、感謝がつきない」
「やめてよ」
そういえば数日前にこのやりとりをイオスともしたような気がする、と思いながらアストレイアは一歩引いた。なんとなく、これは
「じゃあ、代わりに教えてくれないいか? イオスフォライトの戦闘、どうだったよ? こいつ、必死だったからところどころしか覚えてないっていってな。一応あの魔獣の弱点はわかったみたいだが、お嬢さんの戦闘も『魔術はからっきしですから、何してたのか俺にはわかりません』っていって何にも役に立たないんだよ」
「……私だって必死だったわよ」
「まぁ、イオスフォライトが覚えてないっていうんだから、無理もないとは思うがな。たった二人で立ち向かったんだ。ただ、何かあれば教えてくれ」
それだけ聞くと、あっさりとスファレは引いた。
すでにイオスが根回しをおえていてくれたことにほっとしつつも、同時にそれだけイオスは信頼されているのだなとも感じた。
(……その信頼を利用させたのは、悪い気がするけど)
それでも、必要なところは伝えてくれているのだと思えば、取引代金の代わりだとおもってもらおうとアストレイアは思った。次にもしもキマイラがでても、役立つ情報なら残すことに越したことはない。
「隊長、彼女も病み上がりですので」
「ああ、そうだな。で、その病み上がりの彼女連れてどこに行こうってんだ」
「気晴らしです」
うまい具合に話を反らしつつ一礼したイオスは、そのままアストレイアを誘導した。
しかしその背中に「時間、遅れないようになー?」と、後ろから声がかかる。
「今日、なにかあるの? 時間、ないんじゃないの?」
休暇だともいわれていたが、演習でもするのだろうか?
しかしイオスは「大したことないよ」というだけだ。上官の指示で大したことがないというのなら、掃除当番でもあたっているのだろうか? いや、掃除は大事な仕事だが……副隊長が掃除当番をやるのだろうか? アストレイアの中にはいろいろと疑問が沸くが、結局は考えることはやめた。イオスがかまわないといっているのなら、多分かまわないことなのだろう。
「あ、それより。モルガとエルバ、いたよ」
イオスが指差す先を見ると、そこには先日倒れていた二名の騎士がいた。
どちらがモルガかエルバかわからないが、アストレイアはひとまず軽く頭を下げた。
騎士もアストレイアとイオスの姿に気づき――そして、弾かれたようにピシっと姿勢を正したあとにすぐに駆け寄ってきた。
「先日は、ご迷惑をおかけいたしました!」
「救援、本当にありがとうございました!」
口々にそういう騎士の勢いに、アストレイアは一瞬怯んだ。ただし一歩下がろうとしたのは、イオスの手に遮られてできなかった。
「モルガ、エルバ。彼女が驚いてる。あまり、声が大きいと驚かれるよ」
「「し、失礼いたしました!」」
しかしその声もまだ大きい。そして視線は合わない。
もしかして緊張しているのだろうか? そう思いながらアストレイアは首を傾げ、そして驚きすぎて礼が言えてなかったことを思い出した。
「あの、優待券、ありがとうございました。お肉、楽しみです」
その言葉に二人の騎士は顔を見合わせ、ほっとした様子を見せた。
「すみません、こんなところで女性が喜ぶものはあまり思いつかなくて」
片方の、騎士の言葉に「モルガが言う通りなんです」と、もう一人の騎士も頷いている。
「繊細な菓子とも考えたのですが、なにぶんどれが美味しいのかわからなくて。でも、そこは絶対に美味しいと思うので、楽しんできてください。もし、たりなければ私共にツケておいてくださって構いませんから」
冗談っぽく言う、おそらくエルバだろう騎士にアストレイアも微笑んだ。
「ありがとうございます。では、遠慮なく」
そう言うと、モルガの方が「あー……」といって頭を抱え、そのまま地面にうずくまった。
「モルガ、どうしたんだ?」
「なんで俺、こんな可愛い子に俺助けられてしまったんだ……。これじゃナンパできないじゃないですか。むしろ可憐なお嬢さんを助けたかった」
「……何馬鹿なこと言ってるんだ」
「馬鹿なことって! むさい中で出会いもなく暮らしている俺の気持ち、副隊長にはわからないでしょう!?」
「環境だけなら俺もおなじはずだろう」
「だけど副隊長はそうやって……って、痛ッ!」
「お前本当に馬鹿だな、かっこ悪いだろうが!」
呆れた調子でため息をついたイオスにかみついたモルガの頭には、見事なエルバの拳骨が落とされた。それはとても綺麗な音を立てていた。
(……痛そうな音ね)
頭を押さえて蹲るモルガをよそに、エルバは「この馬鹿には言い聞かせておきますから、いってらっしゃいませ」と笑顔を浮かべている。若干、青筋が立っているように見えなくもない。
「……じゃあ、任せるよ。ああ、あと準備も頼む」
「心得ています。では、楽しんできてください」
そういいながら手を振るエルバも、最初の堅苦しさは随分抜けていた。
砦の内部の者同士では、本来アットホームな環境なのかもしれない。
「けど……副隊長って、本当に呼ばれているのね。若そうなのに」
「若そう……っていうか、若造だけどね。ここは、あまり上級幹部はいないから」
きっとそれだけではないのだろうが、イオスが言葉を濁したのでそれ以上尋ねることはしなかった。濁した理由が軍の内規に触れることなのか、それとも前にイオスが言っていた言いたくないことなのかはわからなかった。しかし、いずれにしても尋ねるのは野暮というものだろう。
「ちなみにいくつなの?」
「いくつに見える?」
「……二十そこそこ?」
「じゃあ、二十そこそこで」
「なにそれ」
「きみは……いや、やめておこう。女性に年齢を聞くのは野暮って、食堂のお姉さんが言ってたから」
そのお姉様とやらに素晴らしい教えを伝えてくれた、と、アストレイアは深く頷いた。