第四話 暖かな光が集まる場所(2)
風呂というものは、四百年の間に随分進化していたらしい。
別の場所で沸かせた湯を保温し、それを利用する――そうすることで、常にコックを開けばお湯が出てくる状態というのは魔術でもないのに、と、驚きだった。
もちろん無限に湯があふれるわけではなく、温水器の湯がなくなるまでではあるらしいのだが……
(灯りを付ける方法も、食べ物の調理方法も、本当に……色々かわっているのね)
想像していたより快適だった風呂から上がり、適当タオルで髪とほかほかになった身体をふきとった。そして風呂に入る前に押し付けらえれた替えに着替えると、随分さっぱりとしたような気がした。結果は同じはずなのだが、浄化魔術とは雰囲気が全く違う。風呂というのも案外悪くないもの……なのかもしれない。
その後脱衣所から出ると、そこには約束通り車いすを用意したイオスがいた。
木の車輪でガタガタいうそれで部屋まで戻ると、すでに食事も用意されていた。
「焼き立てのミートパイ。それで、こっちがフィッシュサンド。最後にこれがフルーツのデニッシュね。どれもなかなかおいしいよ。きみがいいっていうなら、大丈夫だとは思うんだけど……無理そうならすぐにスープ用意するから」
ミートパイというものはアストレイアは見たことがなかった。しかし半分が紙袋に包まれていることから、パンのように手づかみで食べても大丈夫なものらしいことは察することができた。食べやすい食べ物でよかったと思うも、人に見られながら食べるのは食べにくい。
そう思っていると、イオスもどこからとりだしたのか、パンを手に取っていた。
そして出窓に腰かけてそれを頬張った。
「……行儀、わるいんじゃない?」
「きみって、そういうの気にする方だっけ?」
「しないけど、珍しいと思ったのよ」
「ここ、案外風が気持ちいいなって思って」
そういいながら、イオスは外を眺めていた。
随分綺麗な横顔をしているな、などと一瞬思ったアストレイアは、何を考えているの!とばかりに自分の頬を軽くたたくと、目の前からミートパイを手に取った。
そしてそれにかぶりつき――そのまま口を離すことなく、一気に止まらずに食べてしまった。そしてなくなったことに気付いてから、いつの間にかイオスが自分の方を向いて居たことに気が付いた。
「おかわり、先に頼んでこようか?」
「け、けっこうです!」
行儀が良いつもりはなかったが、あまりに品がないのも格好が悪い。
そう思いつつ、フィッシュサンドのほうは意識的にゆっくりと食べた。こちらも、とても美味しい一品だった。
「まだ、あんまり体調よくないよね」
「……まあ、ちょっと戻るのは面倒かな」
飛んできたから近いだけで、普通に歩けば時間もかかる。
馬に乗れはしないし、そもそも馬を借りれば返しにこなくてはいけなくなる。
しかし、そう考えてふと思いついた。
(ケーキっていったけど、それだけじゃ報酬はまだ十分あまりがあるわよね?)
それでは報酬がわりにイオスに送ってもらうのはどうだろう?
そう思いついたアストレイアは、イオスに提案しようとし――いつの間にか立ち上がっていたイオスを見上げる形となった。そしてイオスはアストレイアより先に提案した。
「じゃあ、しばらくここで療養するといいよ。衣食住は完璧だから」
「え……」
「あ、ごめん。ちょっとそろそろ会議始まる時間だから、またあとで来るよ」
そう言ったイオスは「一応ドアの向こうに衛兵がいるから用事があれば伝えてね」と言葉を残して去って行く。
そしてドアが閉まり、足音が遠ざかってから――ようやくアストレイアの頭は何を言われたかを理解した。
「……って、終わったら帰るって私が決めたんじゃない!」
そう思ったアストレイアは多少ふらつきつつも窓の方へとゆっくり向かう。しかし、そこで気がついた。
(ここ、二階だった……!!)
残念ながら普通に飛び降りるほどの魔力も体力も残ってはいない。
そしてイオスが先ほど見ていたのはこの高さの確認だったのかと、思わず勘ぐってしまった。
「だいたい、一方的に滞在を決めるなんて監禁まがいだとしか…………」
そう、文句を言いながら部屋に向き直り………そして、最後にフルーツデニッシュと目が合った。
「………………」
テーブルに戻り、車椅子に再度腰掛け、それからゆっくりとパイを食べながら、アストレイアは思った。
(ま、まぁ、怪我が治るまで、なら…………いいよね?)
しかし、そんな思いはたった四日後には反転した。
「……暇だわ」
森で何をしていたということはないのだが、部屋の中に閉じこもるというのはアストレイアの性分には全くもって合わなかった。まず、狭くて天井が低い。いや、部屋としては広いし天井も高いのだろう。だが森と比べれば激しく狭い。食事はおいしいし、風呂もわるくはない。だが、慣れない圧迫感が甚だしい。そしてもう一つは、なにも暇つぶしになるものがないことだ。
森であればいつまで昼寝していても特に何を思うこともなかったが、寝ることしかない中での昼寝というのは非常につらい。娯楽として本が何冊か差し入れられはしたが、アストレイアの知る文字ではない。すでに自分が知る文字は古書扱いということだろうか。いや、古書どころか古代書か? などと考えながらも、変に伝わる恐れがあるので言えはしない。
それに、何より。
まだ数日だというのに、ここにこのまま根付いてしまいそうな気がして怖かった。
ならば、どうするか。
「そうだ、逃走しよう」
身体の調子は思っていたよりもだいぶよくなっている。
完全回復には程遠い魔力のほうも、日常生活に使うくらいなら支障はなさそうだ。風をコントロールすれば飛び降りたとしても衝撃を和らげることはできるだろう。
(でも、こんなに早く回復するなんて……もしかして、ご飯のおかげ?)
試しに右手首をくるりと回すも、小さな風を起こした程度なら手が痺れることもなかった。これなら平気だ。脱出さえすれば、あとは歩いて帰ればいい。
そう思ったアストレイアは朝食を平らげた後、一人になった部屋で勢いよく窓枠に足をかけた。
一応書き置き程度はしておこうかと思ったが、自分の書ける文字が古すぎるので諦めた。
(それに、あんまり丁寧にするとまたイオスも来ちゃうかもしれないし。礼を告げない、失礼なくらいのほうが、まだ、ね)
そう自分に言い聞かせたアストレイアは窓から飛び降りた。
――だが、まさかその下にイオスがいるなんてこと、想像なんてしていなかった。
「ちょっ!!」
「わっ、」
飛び込むことは避けようと全力で自分の身体を浮かそうとしたが、そもそも時間的な余裕がなければそれも難しいことで。また、イオスもイオスのほうからアストレイアを受け止めるような体制をとるものだから、アストレイアだけで状況を変えられるものではなかった。
アストレイアには想定外の衝撃が走るも、それはイオスだって同じだっただろう。
「いたた…………もう、何なの……」
「もう、随分元気になったんだね。さすがに空から降ってくるとは思わなかった」
「い、イオスがいなければ、華麗に着地していたわよ……っていうか、下ろして!!」
なんで抱き上げられている状態なのだ、どれだけ筋力があるのだと、アストレイアは焦りつつもイオスに抗議した。顔の近さは横抱きのときとどちらが近いか――など、考えるだけで火を吹きそうだ。
「下ろす代わりに、一つ聞いていい?」
「なに」
「元気なんだね?」
まるで心配性な保護者のような尋ねかたに、アストレイアは深くため息をついた。
「元気も元気。もう森に戻っても全然平気だから病室にこもってる理由がないのよ」
「じゃあ、今からデートをしよう」
「だから帰る――って、はい?」
相当ひどい聞き間違いをしたのだろうか? やはりとっていた休息が長すぎたのだろうか――そう、アストレイアが引きつった表情を浮かべると、イオスはアストレイアをおろし、そしてそのまま騎士が忠誠を誓うように、その手をとってもう一度繰り返した。
「私と、デートしませんか?」