第四話 暖かな光が集まる場所(1)
ピヨピヨと、森の中で聞いていたような平和な音がアストレイアの耳に届いた。
ふわりと優しい風が肌を撫で、それから暖かい布団に包まれている、そんな感覚――を、感じるはずがないのに! そう、アストレイアは驚き目を見開いた。
まず目に入ったのは、白い天井だ。
少なくとも自分の家ではないし、記憶の中で最後にいたはずの森でもない。
起きあがろうとするも、身体のあちこちが痛み、早々にあきらめた。
我慢できないほどの痛みではないが、これくらいならもう少し安静にすればふつうに歩けるようになる。日常的な魔術を使えるようになるまでは、十日ほどだろうか。
(さすがに禁術使ったあげく、遠慮なしに残存魔力ぶちまけたらこうなる、か)
やはり私はずいぶん人間離れしているらしい、と自虐的に感じながらもアストレイアは再び考えた。
(そんなことより、ここは本当にどこなのかな? 砦……だとは思うんだけど)
例え砦でなくとも、おそらくイオスが運んで込んでくれたことは間違いない。しかしそれならばイオスはどこにいるのだろう? 寝顔は見て欲しくはないのでこの場にいなくて正解だとは思うのだが、彼以外に状況を尋ねることができないのも事実である。ちょっとこの状況、どういうことですか。
(一応ドアの向こう側に人はいそうな気配もするけど……大きな声を出すのも億劫だわ)
いや、より正確にいうなら声も出すのも億劫といったところだろうか。
どうせそのうち誰かが入ってくるだろうし、誰も来ないまま回復すれば自分で歩き回ればいい。そう結論づけたアストレイアは再び目を閉じて眠ろうとした。いままで呑気に寝られたのだ、ここに自分を害しようとしている人間はいないだろう。
しかしドアの向こう側で人の気配は、やがて話し声に変わってしまった。
(……寝れない)
人の話し声がするところで眠ることにアストレイアは慣れていない。
それに――その聞こえてきた声が、どう考えても知っている声だった。イオスだ。
アストレイアは痛む身体を起こそうと、ゆっくりと身体の向きを変えたのだが、その時に少しふらついた。結果、イオスによってドアが開かれた時には若干ベッドから落ちそうな体制になってしまっていた。
「大丈夫!?」
「だ、大丈夫よ、少し床が気になっただけだから」
ずいぶん酷いいいわけだとは自分でも思う。床が気になるなんて、一体どんな趣味をしているのか。
しかし現れたイオスには絶対『大丈夫でない』とは言いたくなかった。
(言い訳をした以上は、大丈夫なところをみせないとね)
アストレイアは見栄と根性でゆっくりと起き上がり、ヘッドボードにもたれながらも起きあがった。
「おはよう、イオス。私、寝てたみたいね」
「その様子なら、元気そうで安心したよ。きみ、丸二日寝てたから」
「……二日?」
そんなに寝ていたつもりはなかったが、相当疲れていたらしい。
「お昼、食べる? ミルクスープなら、飲めるかな?」
「胃は元気だから、何でも食べれるわ。……多分だけど」
「そう、よかった。肉や魚のほうがいい?」
「……なんでも」
「じゃあ、後で何かよさそうなものを頼んでくるよ」
イオスはそう言うと、ベッド脇にある木製のスツールに腰掛けた。
「……あの人たち、どうなったの?」
「モルガとエルバだね。 一応療養はしているけど、元気だよ。一部記憶が曖昧なところはあるけど、明後日からは実務にも復帰だ」
「そう。よかったわ」
あそこまで回復させていれば大丈夫だろうとは思っていたが、改めて状況を聞くと安堵する。記憶が曖昧なところも、あの状況をいくらでもごまかせる――そんな気がした。
ただし、それはイオスがなにを言わなければ、で、あるのだが。
「安心して。聞かないし、言わない。きみが言いたくないことは」
「……」
「ただ、感謝しているのは、知ってほしいと思う。ありがとう」
「ちょっと、やめてよ」
座ったままではあるものの深々と頭を下げるイオスをアストレイアはあわてて止めた。ひどく恥ずかしい。
顔を上げたイオスは柔らかく微笑んでいるだけだ。
その様子にアストレイアは視線をさまよわせてしまう。
なにをいえばいい、答えはどこにある? だが、そうしていると小さく笑うような音が聞こえ、アストレイアはイオスをにらんだ。
残念ながらイオスは「なにも知りません」といった調子の、先ほどと変わらぬ微笑んだだけの様子だった。
しかし目をあわせたことで「なにかあるのか」とばかりに目で促されたきもした。
「……本当に、なにも聞かないのね」
「聞いてもかまわないの?」
「答えないけど」
「答えないだけならいいけど、聞いたらどこかいっちゃいそうだから」
「……」
否定は、できない。
「それに、大きな問題じゃないだろ?」
しかし、大きな問題でないとはいえない。
何百年も生きた魔女――そんなもの、気持ち悪いに決まっている。
答えに窮していると、イオスはゆったりと続けた。
「誰にだっていいたくないことの一つや二つある。俺もいいたくないことってあるし」
「イオスにも?」
意外だ、とばかりに目を見開いたアストレイアにイオスは苦笑していた。
イオスも人間であるのだから、いいたくないことの一つや二つあってもおかしくないとは思う。
むしろないほうがおかしい。ただ、改めて言われると不思議な感じがした。
「他の人からすれば大したことないことかもしれないけど、俺にとっては重要なことがあるよ」
「そう……よね……」
触れてほしくない部分は誰にしてもある。
わかっているはずなのに、他の人との流れを共有できないことは、どう口にしたら良いかわからなかった。
「……ねえ、イオス。ケーキ食べたい」
「いいよ、買ってくる」
「……あ、お金」
一応、四百年前の報酬としての金銀財宝がアストレイアにはそれなりにある。
生活費がかからなかったので、労働をしなくても換金さえすれば今でも買い物に苦労はない。
けれど家を出た時はすぐに帰るつもりだったので、それらは全て自宅に置きっぱなしだ。
イオスは軽く首を振った。
「心配しなくて大丈夫。たくさん経費があまってるから」
「経費?」
「キマイラ討伐に向けた軍事費の予算、でたばっかりだったんだ。でも、今は療養費に転用されてるよ」
「……」
それは、何よりです。
しかし税金なのだからあまり無茶な要求はできないな、とアストレイアは考えた。
許される範囲は、騎士の月給くらいまでだろうか? 月給がいくらかは知らないが、ケーキくらいは許されるはずだ……多分。
「でも、見ていた感じだと……私がいなくても、イオス一人で倒せたかもしれないわね」
かすり傷ひとつ負っていない様子を見れば、お世辞抜きで可能だったと思っている。
いままでの戦闘時にも彼がいれば、どれだけ戦況がかわっていたかと思わされる。
しかしイオスは首を振った。
「それは無理かな。怪我を負った二人をかばっての戦闘なんて到底できなかっただろうし、戦い方だって聞いてなければわからなかった。何せ、キマイラはあの姿だし、皮膚の固さも知らされてなかったし、心臓のありかなんて想定できないから」
「……」
でも、それだって……と言おうとして、アストレイアは言葉を飲みこんだ。
もしもなど仮定の言葉に意味はない。今あることだけが事実なのだからと思えば、イオスの言っていることは正しい。
「だから、ありがとう」
「……どういたしまして」
思うところがないわけではないが、いまのイオスに言い勝てる気はしなかった。
だから、渋々ながらそう言ったのだが、イオスはそれを聞いて満足そうに立ち上がった。
「さて、一応、話は済んだかな。ケーキは昼食を頼んでから今から買ってくるけど、その前に……きみ、お風呂にはいりたいよね?」
「は?」
風呂? 何故そんな選択肢が出るのだとアストレイアは首を傾げた。
「別にそんなことないわ」
「でも寝汗だってかいてるだろうし、今は一番風呂が沸いてるよ。誰も邪魔しないし、うち鍵もちゃんとあるし。着替えもしたいだろ?」
「いや、別に……」
確かに多少髪がごわついている気もしなくはない。
いまの体調で浄化魔術など使えないので、これを解消するには風呂に入る必要があるのはわかっている。
いや、そもそもイオスは浄化魔術など知らないはずなのでそう言っているのだろうが……アストレイアとしては非常に面倒くさい。面倒だからこそ浄化魔術で済ませていたのに、何百年ぶりの風呂にはいらなくてはいけないのか。
「お風呂に入らなくても死なないから平気」
「もしかして、歩けない? さっきよろけてたし」
「……」
やはり、ベッドから転がり落ちそうだったことはばれていたらしい。
いや、あれは落ちそうになっていたわけじゃない。ただ、床を見ていただけなのだ。
「全く歩けないわけじゃない?」
「歩けるわ」
「うーん……じゃあ、俺が浴場までは運ぶよ」
「え?」
運ぶって、何。
そうアストレイアが問い返す前にイオスがとても近くにいることに気が付いた。
思わず後ずさりそうになるも、アストレイアの反応よりもイオスの行動の方が早かった。
「ちょ、」
「わ、大丈夫、落とさないから」
「大丈夫じゃないって!!」
「君が風呂に入ってる間に、車いすは用意しておくから」
それがあるなら今用意するべきだろう。それなのに、一体なにやってんのこの人!!
そうアストレイアが叫びたくなるのも無理はない。
(横抱きって何! ど、どこの世界のお姫様よ!!)
そんなことされるのは自分のキャラじゃないとばかりに反抗を試みる。
しかし暴れるアストレイアを押さえるためにか、イオスの力は強くなるばかりでバタつくことも難しくなる。
(も、もう、お風呂場でもどこでもいいから早く降ろして……!!)
心臓が痛いほどに脈打つのを感じながら、アストレイアは心のそこから強く願った。