第三話 砦の戦い(7)
何が起こったのか、いや、どうしてこうなったのかはわかっている。
わかっているはずなのに、理解をしていなかった。
中途半端な悲鳴を上げつつ硬直したアストレイアは、しかし次の瞬間大声で叫んだ。
「ぎゃあああああ……!?」
それはとても女性らしいとは到底いえない。
しかしそんなことを気にする余裕などアストレイアにはなかった。
とりあえず退いて! とばかりに、両腕でイオスを押すと同時に足がばたつく。そしてその結果、イオスから「ぐっ、」と本気で苦しそうな声が上がった。
「……あ、ごめん」
「い、いや。大丈夫そうで、よかった……」
ゆっくりと体を起こしながらもわき腹を押さえているイオスを見てアストレイアは冷静になった。そして割と本気で申し訳なく思った。少なくとも、自分がやったことであるにもかかわらず、若干引いてしまう。
「……大丈夫?」
「ああ、平気だ」
いや、絶対大丈夫じゃないだろう。
口元が若干わなわなとしているし、声だって平静を装おうとして失敗している。
しかしそれは指摘しなかった。いや、指摘したところで今更時を巻き戻せるわけではないし、そもそもあの状況かなら絶対再び同じことをしでかす自信がある。
気づかなかったことにしよう。そう思うことにしたアストレイアは咳払いをしてからゆっくりと立ち上がった。
しかしそのとき、ふと気がついてしまった。
「イオス、あなた、手を怪我してる」
「ああ……これはたいしたことないよ」
「そんなことは聞いてないわ。キマイラからの攻撃? ほかにも怪我してるところ、あるんじゃないの!?」
キマイラからの攻撃は十二分に気をつけねば、命にも関わる恐れがある――そう、伝えたつもりだったのに! まさか見ていない間に、ほかにも怪我をしているのではないだろうか?
そう心配しつつ、アストレイアは訪ねるも、イオスははっきりとした返事をしない。
まさか、本当に……? それなら、無理矢理衣服を剥ぎ取ってでも見る必要だって生じるかもしれない――。
しかし、そんなアストレイアの不穏な空気を感じてだろうか。
イオスは頬を引きつらせ、随分と不器用な無理矢理作った笑みでアストレイアに答えた。
「……さっき、爆発の前。君頭打たないように、っておもったんだけど、ちょっと、かばいそこねたっていうだけなんだ」
「……」
「いや、でもよかった。なんか危なさそうって思ったら、本当に爆発したから。驚いた」
驚いたのは結構だが、これは、聞いてはいけないことだった。
間違いなく、聞いてはいけないことだった。
(かばわれたのに怪我させた上に攻撃加えて、私、一体どんな暴れん坊よ!?)
これはあまりにひどいと、アストレイアの表情は引きつった。
色々気付かなかったことにしたかったが、あまりに無理がある。
「…………ちょっと、待って」
そう言うとアストレイアは上着を口で引き裂き、細いリボンを一本作る。
そして無言でイオスの手をとり、そこに巻く。
「……」
包帯のつもりだった。だが、出来映えはひどいとしか言えないものだった。
イオスの包帯を失敗した前科があるにも関わらず、その後練習していなければ当然といえば当然の結果だ。
「…………」
これは、ほどいた方がいいのだろうか?
むしろ、これをどうすればいいのだろうか。
「今度、巻き方教えようか?」
「……で、できるならイオスがやってくれたらいいのよ!」
かける言葉にも困っただろうイオスに気を遣わせてしまった。
そう思うといたたまれない気持ちになりながら、アストレイアはそっぽを向いた。
そうだ、できる人がやればいい。どうせ、自分には不要なことなのだから。
「…………」
「あのさ」
「……何?」
「ありがとう」
不格好なままの手当を直さないままに言うイオスに、アストレイアの頬は熱くなった。
しかしそれは必死で誤魔化した。
「最後の最後で道連れにしようなんて、あのキマイラ、ホント最悪だったわね!」
そして顔が見られないように、キマイラがいた場所までまっすぐ進む。しかし、足が少し痺れていた。魔力不足を全身が叫んでいるからだろうか? それとも、キマイラの毒がまわっているからだろうか? いずれにしても、できるだけ早く休まなければいけないだろう。
しかしそれでも、せっかくイオスが討伐したキマイラをそのまま放置していくわけにもいかない。
煤焼けた土から、アストレイアは一つの灰を摘み上げた。
それからそれをコンコンと叩き、中から親指の爪ほどの、濃い赤の結晶を手にした。
「それは?」
「キマイラの核。宝石みたいでしょう? 大きな魔物じゃなければ、こんなに立派なのは見つからないでしょうけど」
アストレイアはそれをイオスに手渡した。
「一応魔石だから、今の世の中では希少な品よ」
「……どうやって使うんだ?」
「あの禍々しいものからの戦勝品って思うと微妙かもしれないけど、それだけ強い力を持ってる石よ。キマイラの魔石は、炎の加護があるから、身に付けていれば多少の火の粉じゃ怪我しなくなるわ」
そういいながら、アストレイアは自らの衣服の中からペンダントを取り出した。
それはキマイラの赤いものとは違い、蒼い色をしたものだった
「これは魔物からのものじゃないけどね。かつて私の友人だった魔女が残したものよ」
「……魔女も、魔石を残すのか?」
「ええ。これが、私達の力の源なのよね」
そう言いながらアストレイアはペンダントをしまった。
「捨てようと思うなら、数日間水に入れておくといいわ。すぐに消えはしないけど、火の加護は水に弱い。そのうちなくなるわ」
「なくす意味は、あるのか?」
「ええ。……やりようによっては、キマイラの性質を持った合成獣を作れなくもない、ことかしら。現在じゃただの宝石にしか見えないだろうし、技術もないと思うけど、そんな可能性は考えられるわね」
魔石は役立つと同時に危険なものである。
それを伝えても大丈夫だと思ったからこそ、アストレイアはイオスに託したのだ。
イオスは短く息を飲んだが、「わかった」とだけ口にした。それで返事は十分だ。
「それより、あの二人の騎士だけど、治療はおえて……あ、あれ?」
中途半端に言葉を途切れさせてしまったアストレイアは、そのまま地に膝をついた。
気持ちが悪い。足が揺れる。まずい、完全なオーバーワークだ。空っぽのはずの胃から何かがせりあがってくる感覚に思わず手で口を覆うも、嘔吐感は止まらない。
もしも実際に吐けたなら、それはそれで楽になれたのかもしれない。
しかしせり上がってくる何かは体を修復しようとする不死の能力が勝手に押しとどめようとして、とにかく暴れ続けている。
苦しい、苦しい、苦しい。
荒い息で、しかしなんとか落ち着こうと必死に地面にしがみついた。
イオスの声がどんどん遠くなるのを感じながら、アストレイアの視界は徐々に黒く塗りつぶされた。