第三話 砦の戦い(6)
「……イオス、随分強いのね」
それは、アストレイアがイオスの戦う姿を初めてみた素直な感想だった。
騎士なのだからある程度強いだろうということはわかっていた。
けれど、想像よりずっと強い。
圧倒的な攻撃力を持つキマイラが相手ならば、ほぼ防戦であることに代わりはない。しかしキマイラからの攻撃を交わし、ギリギリのところからアストレイアが示した弱点の首をねらっている。
それも限界を見極めた上で、だ。
「……」
決して倒しておけるようにというのは、見栄ではなかったのだと思い知った。
騎士二人が壊滅状況に追い込まれる相手を、一人で背負っても戦い続けられる。それが自分の家に竈を作っていた人物と同じだとは、アストレイアの中ではどうも結びつかなかった。
(時間稼ぎというより、本気で狙いにいってるのね)
けれどそんなイオスを見て、少しだけ口元が緩んでしまった。
やってくれるじゃない。
口は動いたが、それは音にはならなかった。
しかし、この状況ならば何が一番効果的だろうか? 自分がおとりになるつもりだったが、これならこのまま奇襲を仕掛けた方がいいだろう。イオスは完全にキマイラの気を引いてくれている。
(……失敗してもこっちにスイッチできるような、大がかりな魔術を使うしかないわね)
そう考えたアストレイアは足で地面に文様を描いた。
そして精神を集中させ、呼吸を魔力の波にあわせた。体内の魔力はかなり消耗してしまっている。だからいつも以上に絞り出すような魔力操作が必要だ。
チリチリと身体のあちこちが痛み始めるが、このチャンスに二度目はない。
アストレイアは手を空に向かって掲げた。
すると次の瞬間、宙に何本もの氷柱が現れた。
鋭い切っ先を持つ無数のそれらはキマイラにまっすぐ向かった。
同時にアストレイアは今度は素早く左手を動かし、イオスの周囲に氷壁を立て、氷柱からガードした。
イオスはそれとほぼ同時に初期地点から後ろへ飛び跳ね離脱した。
キマイラには何本もの氷柱が突き刺さった。
しかし、それは首では無く、首を庇った尾であった。多量の氷柱が刺さった尾は、ぼろりとその場に落下した。
(致命傷にはならなかったか!)
直後、鼓膜を切り裂くような叫び声が響きわたった。キマイラは身体を左右に振るい、完全に痛みに意識をもっていかれている様子であった。
(倒せなかったけど、邪魔な尾はクリア、動きは鈍くなったはず)
逆に怒りで攻撃力が増す恐れもあるが、これで攻撃しやすくなったのなら、最低限の合格ラインは突破だろう。キマイラの標的もイオスからアストレイアに移っていた。
「おまたせ、イオス。あの二人は回復しはじめてる。このキマイラを倒して岐路を確保すればもう平気よ」
「……残念だ、戻ってくるまでに倒しておくつもりだったんだけど。でも、懸念がなくなったのは、本当にうれしい。ありがとう」
冗談とも本気ともつかない言葉に、アストレイアは口角を上げた。
「おいしいところは任せるわ。狙ってね?」
そう言うなり、アストレイアはキマイラに向かって踏み込んだ。
いくつもの細かな、しかし途切れないキマイラの口から吐きだされる炎の玉がアストレイアに襲いかかるが、アストレイアもいくつもの氷の盾を出現させて凌いでいく。当たれば砕け、そして消えてしまうる使い捨ての状態だが、アストレイアが移動しているのでそれで十分だった。
しかし、徐々にキマイラの攻撃も激しさを増している。相手も集中をしだしたということか。
(でも、これでイオスはもっと狙いやすくなるはずね)
ただ、アストレイアとて防戦一方のつもりはない。少しでもダメージを与えようと、同時に氷で矢を複数本精製し、それでキマイラの首筋を狙った。だが、それはキマイラの連続した炎の吐きだしによって阻止される。それでもアストレイアは再び氷の矢を放ってゆく。
(大きな氷柱ならあのくらいの炎も突破できそうなものだけど、大きな氷柱を作るほど残存魔力がないのよね)
しかし、そんなことを思ったのも一瞬だ。
連続した攻撃に激高したらしいキマイラが大きく砲口しようとする姿を見、目的は達成されたと理解した。
直後、キマイラの動きが完全に止まった。
それは一瞬だった。しかしその次の瞬間には声とはいえない声があたりを切り裂いた。
そこでアストレイアが見たのは、キマイラの喉元から剣を貫いているイオスの姿だ。
それは、まるで物語に出てくる勇者のような、挿し絵のひとこまのような、そんな風に感じてしまった。だから、一瞬気づくのが遅れた。
うなっていたキマイラが、その倒れる直前に瞳を光らせたことに。
まずい。
なにが起こるか分かったわけではない。
ただ、何かが起こるのはわかった。次の瞬間、キマイラは今までとは比べものにならない雄叫びをあげた。
距離をとらないとと思うが、一度気を緩めてしまったせいで足が上手く動かない。
明らかな魔力を使いすぎて、身体がいうことをきかなくなっている……その状態に舌打ちした。
(最悪、どうにでもなる。それでも再生するところを人にみられたくはないし、だいたいあの場所だったらイオスが危ない――!)
そう思ったアストレイアの身体は、そのとき自らの意志とは関係ない力によって後方へ移動した。
それに気づいたのと、人の身体に包まれていると感じたのは、いったいどちらが先だっただろうか。
視界は真っ暗闇でゼロ。顔には衣類の感触。
「伏せる!!」
その声にはじかれ、アストレイアは両手を広げ、前に突き出した。
倒れたキマイラから急速な温度上昇が感じられる。
だったら、と、氷の盾を作ることをイメージし、ありったけ残った魔力を注ぎ込んだ。
その直後、ただならぬ轟音と地鳴り、それから断末魔のような叫びがあたりを支配した。
氷がはじかれ割れる音を聞き、皮膚が熱風が起こったことを伝えてくえる。
自爆だ、と、気づいたのは背中に大地の感触を感じてからだ。
(終わった……)
今度こそ、緊張を解いても大丈夫なはずだ。
最初に騎士を保護するために作った氷壁も、割れる音はしていなかった。
そこで安堵のため息をつきかけたアストレイアだが、一つ忘れていたことを思い出した。
今、どうして仰向けで寝そべっているのだっけ、と。
「大丈夫?」
「ひっ……!?」
イオスの顔がすぐそばにあったことのほうが、キマイラと対峙したときより、心臓が飛び出るくらい驚いた。