第三話 砦の戦い(4)
「実際のところ、あの魔物……キマイラが森のどのあたりを住処としているのかはわからない。正確には住処なんてないのかもしれない。いつも現れる方向はバラバラで、こうやって巡回して探してる。いまも、それなりの人数を森に投入しているんだけど、いかんせん広すぎるし、全員が入れば街の治安もだけどいざ見つかっても発見の合図に気付けない」
「たしかに、連絡手段が開発されればいいんだけど、難しそうね。イオスも巡回してて、私をみつけたの?」
「ああ。当番じゃないけど、休憩時間はできるだけ回ってる。俺のところには隊長が飼ってる鳥が知らせにくることになってるから。ラズールもキマイラのにおいが嫌いなのか、相当探したがってるし」
森の入り口付近で速度を落としたイオスはゆっくりと口を開いた。
「そういえば、ラズールってスピードもあるのに、スタミナもすごいのね。私がいままで見た馬よりも大きいし」
「良い子だよ。ただ、なかなか他の人には懐かないはずなんだけど、君に助けられたの、この子もわかってるんだろうね。賢いから」
「そうなの? 人懐こそうに思ってたけど……というのはおいといて。ここは、私と出会った場所とは違うわね」
「ああ。ここの近くに今の当番が巡回に出ているはずだから、先に紹介しつつ説明してもいいかと思ったんだ」
「……紹介、か」
自分を使えと言った以上、アストレイアも嫌だとは言わない。
しかし、どう挨拶をすればいいのかわからない。スファレに対してはあちらの行動も大概だったので気にもしなかったが……改めて自己紹介となると、正直困る。『通りすがりの魔女ですが』で、大丈夫なものだろうか。
「いや、通りすがり……ではないか」
「どうかした?」
「……なんでもないわ」
言葉が出ないなら、最低限として手伝うことになった旨を伝えられればそれでいいだろうか? あとはイオスがなんなりとしてくれる……そう思いながら、アストレイアは周囲を見回した。
道らしい道ではないので馬車は通れないだろうが、どこも馬が通れない場所はなさそうで、捜索はこのまま馬上でも続行できそうだ。
「でも、戦い辛い場所よね。キマイラが暴れれば、木々をなぎ倒されるでしょうし。……一部が焼けてるそこの場所、以前戦闘でもあったのかしら?」
「ああ。十日前、ここで一度戦いになった。トドメはさせなかった、と、聞いている」
「イオスは間に合わなかったの?」
「ここに出たときは砦の正反対にも魔物が出たって連絡が入って、隊長と別れて向かうことになったから。俺が向かった方は難敵ではなかったけど、出たタイミングが最悪だ」
悔しそうに言うイオスに、アストレイアは何も言えなかった。
強い魔物が森にやってきて、逃げ出した魔物が他の場所で暴れることは、昔からままあることだ。まだイオスがキマイラに出会えていないのは、前回だけでなく毎度運の悪い理由がはいっているのかもしれない。
ただラズールから飛び降り、そして焼け焦げた跡、そしてその辺りの土に手を触れさせた。
「……やっぱり、この焦げ跡ならキマイラね。見目の様子から間違いないとは思ってたけど」
「わかるものなのか?」
「ええ。クサイ魔力が残っているもの。汚い話になるけど、こういうのって動物の排泄物とにたようなものだから、特徴的でわかるのよ」
一応糞を触った訳ではないのだが、その例えをしてからアストレイアは「もう少し別の言い方はなかったのか」と自分で思ってしまった。その理論で言えばその汚物を素手で触っていることになる。
(いや、だってとてもクサイし! ああ、でも人間の魔力をそんな風に思ったことないんだけど……)
やっぱり別の言い方ををすればよかったと服で手を払いながら、アストレイアは咳払いをした。
だめだ、考えるな。大体そんなことを気にするなど悠長なことをしている場合でない。
「とはいえ、キマイラがどういう場所で過ごすかは私にもわからない。個体差がありすぎるのよ。だから、見つけるヒントは私も知らない。地道に探して、やっつけちゃいましょ」
「……あの、一つ聞いていい?」
「なに?」
「君は『書物でキマイラを見た』って言ってたよね?」
「……」
完全に油断してしまっていた、としか言えない突っ込みにアストレイアは頬をひきつらせた。本で魔力のニオイまで見分けられるか? ……どう考えても、無理だ。標本がついていたといえば辛うじて……いや、魔力の残骸の標本がついた魔術書なんて見たことはない。
(迂闊すぎるでしょう、私の口……!)
警戒しているはずなのに、まったく、滑りやすすぎる。
人と喋ることがなかったせいで、つい、うっかり……などと、自分に言い訳をしても仕方ない。仕方がないのだが、事態はこまったままだ。ここはどんな誤魔化しに走るべきか……そう考えていると、いつのまにやら馬から降りていたイオスの手が頭に触れた。
「……」
ぽんぽんと、そのまま軽く数度触れるとイオスの手は離れていった。
「他にも詳しいことがあるなら、キマイラのこと、もう少し詳しく分かるなら聞いてもいいか? 有利になる戦い方も、出来れば知りたい。他には、俺から上手く話すから」
「……」
どこで知ったのか、という追撃はイオスの口からは出なかった。
伏せたがっていることを察してくれている。そう思うと、ありがたいはずなのだがなんだか悔しくもある。
「……えい」
「わっ」
拳をぐっとイオスの体につきだして八つ当たりをしてみるも、イオスは驚いた声をだしたものの、バランスを崩すことは一切なかった。鍛えているのはいいことだと思うが、少しくらいはよろけてくれてもいいのに――そう思うと、余計に悔しくも感じた。やるんじゃなかった。
だが、それ以上のことは後回しだ。
「キマイラの炎は、ただの炎じゃないわ。毒性を帯びている……というのは知ってる?」
「ああ。傷を受けたものは範囲は狭くとも火傷が重傷化し、高熱が続いている」
その言葉にアストレイアも頷いた。
「毒は治癒しないことはないけど、薬はないから時間がかかる。あとは……精神にも負の感情を埋め込むこともあるわ。だから負傷者の経過観察は怠らないこと。そして知っての通り、攻撃に関してはとにかく派手で迂闊に近づけない。キマイラの身体を覆う皮膚は鋼のように硬い。……けど、首は想像以上に柔らかいはずよ」
「首?」
「ええ。キマイラ自身は自身の毒に耐性があるんでしょうけど、それでも毒を吐き続ける喉を持つ以上、毒の影響で柔らかくなっているのだと思うわ。そしてそこからあなたの持つような剣であれば、正面からなら心臓も貫けるでしょうね」
アストレイアは地面に図解を示し、イオスに伝えた。
「首も刎ねられないこともないんだけど、ちょっとぶよっとしていて逃げられやすい。だから危険だけど、隙をついて正面に入れれば勝機は十分よ。ただ、問題は簡単に近づけないことね」
「炎もやっかいだけど、尾も相当に面倒だと聞いている」
「そうね。おとりを使うのが、理想的でしょうね」
「おとり、か……」
あまり納得はしていない様子ではあるが、恐らくイオスの中にもその作戦は考えられていたのあろう。
了承は得られていないが、アストレイアはそのまま言葉を続けた。
「キマイラは弱そうな、もしくは弱っている相手も狙うけど、とにかく挑発に乗りやすいから、邪魔で鬱陶しい相手のほうにターゲットが行きやすい。おとりをうまく機能させるなら、軍団で立ち向かうより少数精鋭のほうが理想ね。多いとタゲが散っちゃうから」
「精鋭、か」
「言うは易しというものでもあるけど、やるしかないわね」
おとりは自分やるつもりだ――そう、アストレイアは思っている。
(私なら、たとえへまして毒をもらっても『痛い』くらいで済んじゃうものね)
今言ってしまえば、また渋い顔をされるだろうから、これは実際に戦い始めてからどさくさに紛れて伝えてもいいだろう。イオスが譲らないタイプであろうことはなんとなく理解している。
だが、今回は見てもらって構わないだろう。
イオスはまだキマイラと対峙したことがないのだし、キマイラの攻撃パターンを覚えてもらう意味でも、アストレイアのほうがいいはずだ。もっとも、ほかに適任な騎士がいても自分が役を担うつもりでいるし、そもそも再びキマイラが現れないことのほうが理想なのだが。
「あと、もうひとつだけ知りたいことがあるんだ。キマイラは移動しつつも、この森から離れずにいる。ただ、森の中では一定の場所にいるわけじゃない。この理由、きみにはわかる?」
「……それは、食料庫が目の前にあるって思ってるんでしょう。いえ、食料どころか、おやつの扱いかもしれないけれどね」
四百年前頃の記憶でも、キマイラに故郷を襲われたという知り合いは何人かいた。なす術のない中、容赦なく襲われる……その、無念。聞いただけの話だが、思い出しただけで苦しくなる。
アストレイアは険しくなるイオスの表情に、息を吐いた。
(この顔……イオスもその回答を想像はしてたってことね)
だからこそ、時間をみつけては必死に探そうとしているのだろう。
「あまり粘り強くて追い払い続けても、よその村に行く危険が生まれるだけだわ。早急に片づけましょう」
「ああ」
そのためにもキマイラ探しと、戦場になるだろう森の雰囲気を覚えなければ。あとはイオスの仲間と合流して、本格的に作戦を考えれば――そう思っていたそのとき、アストレイアの背には急激に悪寒が駆け上った。直後、ラズールが荒々しく鳴く。
(近くで、なにかが、起きている)
それはアストレイアだけではなく、イオスも感じていた。
アストレイアはあたりを見回し、それからゆっくりと目を閉じた。
どっちの方向、なにがある……そう念じ、自分を中心に世界を探るように足下から気を分散させる。
そうしていると、瞼の裏にひどい光景が映った。
「二人、ひどいけが、してる……! キマイラから撤退中、追いつかれる……!」
その声を聞いた途端、イオスはアストレイアをラズールに乗せた。
「方角は!」
「あっち! このまままっすぐ!」
「いくぞっ、舌、噛むなよ……!」
なんてことだ――
早急にとは思っていたが、やはりタイミングは悪すぎる。
それも、こんな最悪の状況で訪れるなんて、と、嘆かずにはいられなかった。