守の剣、愛の弓
東の国にある、十数年前から魚が名産として有名になった海辺の村。村自体は発展しないものの、週にニ、三度異国の商人が訪れては魚を買って帰る。取引に応じるのは、都から越してきた数人の若者と、廃れていたその村を救った紡木という女性、そして西の国から勉強のために渡ってきたヴィアスという青年だ。年の者が多いその村で力を合わせやってきた。
都から来た若者は初め、異国語を話せる者、少し理解できる者、さっぱり分からない者と様々だった。しかし皆、紡木とヴィアスの指導により今では立派に交渉できるようになっている。またヴィアスも、東の言葉を楽に話せるようになっていた。
昔から排他的であった東の国も、今では異国との交流もかなり盛んに執り行われ、異国人に対する偏見も少なくなった。特にその村では、異国人であるヴィアスが住み込みよく村のことを手伝っていたので、一切の偏見なく対等な人間として関わっていた。だから、紡木とヴィアスの娘で間も無く十ニになる明日香に対しても、純粋な東の者とは少し異なる容姿をしていたが、皆親しく接してくれていた。
「お母さん、森行ってくるね!」
少女は玄関で草履を履くと、弓を手に取り矢の入っている筒を肩にかけ、室内に向かって叫んだ。奥からは、髪を一つにまとめた女性が駆け足で少女の側までやってくる。
「楓也君と?」
「そうだよ。入り口で待ち合わせしてる」
「気をつけてね、明日香。日が暮れる前には帰ってくるのよ。それと、無闇に弓を引いてはダメよ。弓を扱う時は十分に注意しなさい」
そう言いながら女性は、頭の上で一つに結われた明日香という少女の黒髪を軽く梳いて微笑む。明日香は女性の忠告に対し、少し嫌そうな表情をする。
「もう、分かってるよ。行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい。森の奥まで行っちゃだめだからね」
明日香は母に背を向け駆け出し、不機嫌に眉をしかめた。
「いちいちうるさいんだよ、お母さんは」
そう小声で吐き捨てると、さらに明日香は足を早めるのだった。
森の入り口には、先ほど言っていた楓也という少年が既に来ていたらしく、明日香を見つけると嬉しそうに手を振った。明日香も機嫌を取り戻し、口元に笑みを浮かべて手を振り返す。
「ごめん遅くなって」
「ううん、僕も今来たところ」
二人は並んで森に入った。明日香の方が楓也より少し背が高く、会話の様子からも明日香の方がニ、三歳年上であることが伺える。しかし二人は幼い頃から一緒にいたのだろう、とても仲よさげに森の中を歩んでいた。また、慣れているのだろうか、足元の悪い道も難なく進んでいく。時折明日香が弓を気にして歩きづらそうにしていると、楓也がすぐさま手を貸し、互いに助け合っていた。やがて、森の中でも少し開けた場所に出ると、二人は足を止める。
「ねぇ、楓也。たまには木の上から下にある的を狙うっていうのはどう?」
「いいけど、気をつけてよ。怪我すると明日香ちゃん、お母さんに怒られるだろ」
「いいのよ、お母さんは過保護なんだから。弓だってぜーんぜん教えてくれないし。でも、楓也が特訓に付き合ってくれるおかげで、上達したと思うんだ。もしかしたらもう、お母さんよりも上手になったかも」
満面の笑みを楓也に向けると、明日香は早速、手頃な木を見つけ登り始めた。
「楓也の方はどうなの。お父さんに剣を習ってるんでしょう」
明日香は的確に足を乗せる場所、手をかける場所を見定めながら、下で待つ楓也に声をかけた。楓也は順調に登る明日香を見上げながら、苦笑する。
「まだまだ、木の棒で素振りをさせてもらうだけだよ。真剣は愚か、模造刀すら持たせてもらえない」
「やっぱり、うちの両親て無駄に厳しいんだよ。お母さんも私が弓を習い始めたときそうだったもの。まずは紐でしっかり形を覚えなさいなんて言ってさー。でも、楓也も私と特訓したら、きっとすぐに上達してお父さんを倒せるようになるよ。一緒に頑張って、そして都に行こうね」
太めの枝に腰掛け、楓也を見下ろして右手拳を向ける。楓也もそれに応えるよう、強く握った拳を明日香に向けた。
「約束。明日香ちゃんのご両親に認めてもらって、一緒に都へ行く!」
楓也が真剣な表情で叫んだ。
「もちろん! こんなちっぽけな村で収まる私たちじゃないことを、見せつけよう」
明日香も声を張り上げた。そして視線をかわすと、楓也は脇に抱えていた丸い板を明日香の登った木から少し離れた場所に設置した。
「ありがとう、楓也。私も俯角から射るのは初めてだから少し離れた場所で素振りしてて」
「了解。窓の位置を変えて欲しいときにはまた呼んで」
そうして二人は、互いに特訓を開始した。静かな森に、二人の息遣いがこだまする。そうして太陽は徐々に傾き、木々の隙間へ消え始めた頃、楓也が異変に気付いた。
「明日香ちゃん、ちょっといい」
「なに、時間ならまだ少し」
「そうじゃなくて、変な音が聞こえるんだ」
楓也が音という単語を発した瞬間、明日香は真剣な表情に変わる。
「森に、侵入者?」
「断定はできない。けど、村の人とは違う、わずかに金属がこすれるような、奇妙な音が混ざった足音」
楓也はさらに意識を聴覚に集中させる。そしてある一角を指差した。
「あっち、太陽とは逆の東方向」
「分かった」
明日香は楓也が示した方向を凝視した。木々の隙間、背後からの光を受け影と化す森の景色に目を凝らし、隅々まで観察する。そして微かに揺れるものを見つけた。それは自然に反した、人の動き。そしてそこは、普段村人が立ち寄るような場所ではなく、むしろ近寄らぬよう避けているような森の深い場所であった。
まるで、人目を避け隠れるようにして行動しているかのような、怪しい影。
明日香はその光景を目に焼き付けると、素早く木を降りて、的に刺さった矢を回収した。
「明日香ちゃん、どうする気」
「いい機会だわ。私の実力をお母さんに知らしめる……」
「まさか、一人で行く気?」
明日香は小さく頷くと、心を落ち着けるかのように深く息を吸い込んだ。
「それはだめだ、あまりにも危険すぎる。僕が明日香ちゃんのご両親を呼んで」
「待って!」
駆け出そうとした楓也を明日香は制した。その声は僅かに震えている。
「お願い待って、私の力を、確かめたいの。頼りたくない、私だってできるってことを見せつけたい。それにお母さんもお父さんも、護身で多少武器が扱える程度なんだよ。相手が本当に危険なやつだったら、二人でもきっと無理。だから私が様子を見てくる。別に、真正面から勝負を挑もうってわけじゃないから、だから、日が沈んでも私が戻って来なかったら、人を呼んで」
明日香は怪しい影があった方向から目を離し楓也に視線を投げかける。苦しそうな、しかし決意に満ちた瞳で見つめられ、楓也は何も言えなくなる。
「いいね、楓也」
歯を食いしばり、どうにか胸にわだかまる感情を抑え、楓也は言った。
「分かった」
「ありがとう、楓也」
口元を僅かに緩めると、すぐに明日香は目的の方角へ向き直った。そして体制を低くすると、弓を片手に、早足で森の奥深くへと消えていく。
楓也は明日香が走り去る足音に耳をすませながら、苦痛に肩を震わせた。
楓也は気づいていたのだ。明日香の言葉に言い訳が混ざっていたことに。そして明日香をやすやすと見送ってはいけなかったことに。
今の明日香は、事態の危険性をよく理解していたはずである。しかし、母に対する反感が明日香に危険な行動をとらせた。確実に、すぐさま両親を頼る方が良かったに決まっている。それを明日香は分かっていて、つまらない言い訳を重ね、反抗心を抱えたまま明日香は走り去ったのだ。
しかし楓也は、自身が明日香についていくことこそ無謀だとも気づいていた。まだ楓也には力が足りない。明日香にすら、勝てないだろう。修行期間が短すぎる。自分は、助けを呼びに行くので精一杯だ。かと言って、明日香は良いというわけではない。彼女もまた、焦るばかりでまだその力は完成されていなかった。
止められらなかった自分にどうしようもなく嫌気がさす。それでも楓也は、明日香に危険な行動をとらせる強い感情の訳を知っていたから、止められなかった。自分は明日香を信じたい。信じなければならない。明日香だって無謀であることは気づいている。楓也は全てを知って、その上で彼女の瞳の強い感情を信じることしかできなかった。
何においても、自分は力不足だ。
楓也はうな垂れた。そしてただじっと、背中に太陽の熱を感じていた。
あの光が途絶えなお明日香の声が聞こえなければ、自分は走り出すのだと。
そしてあまりにも容易く想像できた最悪の事態が訪れた。
玄関の戸が、激しく叩かれる。何か嫌な予感を胸に精神を落ち着けていた女性は、長い髪を簪でまとめ、愛用の弓を手に玄関へ向かった。
「明日香のお母さんっ、紡木さん! 師匠……ヴィアスさん! いませんかっ」
緊迫した叫び声、女性紡木は冷静に戸を開いた。
「何があったの、楓也君」
そのあまりにも落ち着いた様子に、楓也は圧倒された。何か今まで秘められていた、強烈な圧力を親友の母親から感じたのだ。圧力、それは敵を圧倒する存在感。歴戦の勇者とは違う、何かもっと暗く深い這いよるような、気配。
「あ、あの明日香ちゃんが」
「何かあったようね。全く、帰りが遅いと思ったらあの子は……すぐに用意するから待ってて」
言葉も口調も普段と何一つ変わらない、しかし重みが恐ろしく異なる。楓也は目を丸くして立ち尽くした。
「ヴィアス、胸騒ぎがするのは、間違っていなかったみたいよ」
「さすが紡木、勘が鋭いね」
「呑気なこと言ってなくていいから。これが単なる人攫いならいいけど、あるいわ私たちが蒔いた種の可能性もあるのよ」
部屋の奥から、立派な白銀の剣を携え、西の服に身を包んだヴィアスという青年が姿をあらわす。
「それは、一大事だな」
ヴィアスの瞳の奥で、何かが揺れた。そして周囲を異様な空気に一変させる。鳥肌が立つような、冷たくて恐ろしい気配。
「無駄な殺気は抑えなさい。初心者じゃないんだから」
「いやはや、どうにも本気の戦いは久しぶりでね」
「ちょっと、あまり楓也君を驚かせないで。じゃあ楓也君、案内して」
楓也はしゃがみ込んでしまいたくなる衝動にどうにか耐え、荒い呼吸のまま言う。
「あ、あっちです」
裏返る声にも気づかず懸命に森を指差すと、楓也は絡み合う足をどうにか立て直し、走り出した。二つの狂気を携えて。
「楓也君、ここまででいいわ。あなたはもう帰りなさい。森も暗く、よく知った道でも危険な時間だから」
紡木はある一点を見つめつつ小声で楓也に語りかける。
「でもまだ、明日香ちゃんの所に」
「いいから、楓也は早く帰りな。ここからは俺たちに任せとけば大丈夫」
楓也の両肩に手を乗せ視線を合わせると、ヴィアスは笑顔で諭すように言った。
「師匠……」
「不安だろうけど、俺たちを信じてくれ。こう見えても俺とツィーゼ……じゃなくて、紡木は強いから。言うこと聞けるよな」
その瞳が持つ力に、楓也は勝てない。しぶしぶ頷くと数歩後ずさり、素早く身を翻して村の方へ走った。
「ちゃんと帰ってくれたかしら」
「信じろって言ったんだ、俺らもあの子を信じるしかない。それに、俺らは俺らで、過去の清算をしないといけないしな」
「そうね。さぁ、命知らずな馬鹿共に、相手にしているのがどんな存在なのか、教えてあげましょう」
二人は森の奥深くへと、迷いなく歩き出す。簪と剣の放つ怪しい光だけが、最後まで闇に浮かんでいた。
人の踏み入らぬ森の奥深く、背の高い草木に囲まれた場所に小さな掘っ建て小屋があった。それはどうやら長期間使われることを想定していないらしく非常に簡単な作りである。
中からは微かに光が漏れ、五、六人の男の声がする。
「何なんでしょうね、この娘。見つかったんで思わず縛り上げて薬で眠らせましたけど」
一番下っ端であろう男が、壁際で手足を縛ら寝かせられた少女を見て他の男に問う。皆、少女のことは大して気にしておらず、のんびりとくつろぎながら、適当に答えた。
「村の娘だろう。狩りでもしにきて迷ったんじゃないのか」
「けどよ、村っつっても漁村っすよ。狩りなんてしますかね」
「そりゃするだろ。魚だけ食って生きてくわけでもねーんだし。弓を持ってるってことは、そういうことだよ」
しかし下っ端の男はまだ何かが引っかかるらしく、少女をまじまじと見つめていた。
「おいおい、せっかく綺麗な娘なんだ。売りもんになるんだから下手に傷つけんなよ」
「わ、分かってますよ。ただ、変わった顔してるなと思って」
「変わってる?」
さすがに何人かの男も興味を持ったのか、少女に近寄る。
「確かに、東の者にしては顔がのっぺらくないな。背も子どものくせに高いしよ。西寄りか?」
「いやでも髪は真っ黒、東の特徴だぜ」
「けどよ、近くの漁村には異国の商人が来るみたいだし、異国人が住み着いてんのかもな。何にせよ変な娘だ。しかしま、金持ちはこういうの大好きだから高値で売れるぜー」
わいわいと好き勝手に意見を交わし盛り上がる男共。少しして、一人静かに杯を煽っていたがたいの良い男が、口を開いた。
「混血。あるいは目標の……」
途端に、他の男共は口を閉ざした。この男が、皆を仕切っているのだろうか。
「そりゃ面白い。噂も間違ってなかったってことだな。ここにあの、西最強の剣士がいるってのは」
「しかしまぁ、国外に隠れてるとは思ったが、まさかこんな辺鄙な場所にいるとは」
「いやだからこそ盲点だった。けどいると分かればこっちのもん。こんなところ長くは居れねーし、さっさと終わらせようぜ」
闘志に満ちた顔で男共は指を鳴らす。そこに話に置いて行かれた下っ端が情けなく質問する。
「けど、最強だったのはもう何年も前の話ですよね。今でも戦えるんすか」
半ば呆れつつ、そばにいた男が丁寧に答える。
「馬鹿言え、ああ言う奴はたとえ裏から離れようといつ狙われるとも限らない。常に自分の武器は磨いてるもんさ。それが玄人ってもんよ」
「なるほど、よく分かりました」
「まぁでも、実戦から離れてるのは好都合。当時よりは確実に腕がなまってるはず。そこにこの人数で襲いかかれば、いやでも言うことを聞くはず。あいつにこの殺しを依頼できれば……」
どん、と音をさせ、がたいの良い男が杯を床に置いた。全員の方が小さく跳ねる。
「そこまでだ。お前らは目先のことだけ考えてればいい」
軽口を叩いていた数人が、慌てて頭を下げる。
「す、すみませんした」
がたいの良い男は、それ以上何も言わず、また静かに杯を煽る。しかし周りの男共はそれ以上口を開こうとはしなかった。それほど、この男を怒らせてはいけないと言うことなのだろう。
風がさやかに、小屋の隙間を吹き抜ける。その時、僅かに静電気が弾けた。
「お前ら、気をつけろ……誰かいる」
がたいの良い男が杯を置き傍にある短剣を手にした瞬間、地面が割れるような音が響き渡った。
「なんだと」
男共は混乱しつつも、各武器を手に外へ飛び出す。
「おい下っ端、お前は娘を」
「はっ、はい」
そうして捕らえた娘に下っ端の男が視線を向けた時、目の前にあったのは怪しく光る銀の刃。下っ端の男は声を出す間も無く斬り伏せられる。そして娘は、掘っ建て小屋の壁に豪快に開けられた穴から難なく連れ出された。他の男共は一切気づかず、まんまと外に誘導される。
「何だこれは!」
小屋の周りは、地面が突き出し、ひび割れ、見事に囲われていた。
「やられた、まさか気づかれるとは」
憎々しげにがたいの良い男が呟く。男共は奇襲を仕掛けた敵を探すため移動しようと突き出した地面を超え、地割れを跨ごうとするが、その足元に、矢が飛んでくる。
「何だ、どこにいるんだ!」
怯むことなく矢の先へと踏み出した数人が、膝をつく。
「ち、力が入らない」
「体が麻痺してる?」
矢を媒介とし張られた電気網に、次々と男共が引っかかる。そこへ追い討ちをかけるように矢が襲いかかる。
「気をつけろ! 敵は、属性持ちだ」
がたいの良い男は他の男の前に踏み出し、短剣を構えた。そして剣に、火を纏わせる。
「おい、誰だかしらねぇが弓使い、出て来い。じゃねぇとこの炎であぶり出すぞ」
周りの男共は、その勇ましい言葉に安堵し盛り上がり、失いかけていた闘志を再び燃やす。
「へー、やるのね、そこの炎の使い手だけは」
声とともに気から飛び降り姿を現したのは、紡木だった。
「まんまと姿をあらわすとは。しかし、まさか雷使いの女一人とは。いや、他にも隠れた仲間がいるんじゃないのか」
いやらしくがたいの良い男は口元を歪める。
「ご名答」
また紡木も、いやらしく微笑む。
「おい良いのか。子ども一人の命がどうなっても」
勝ち誇ったような男共。誰かが娘を連れてこいと叫ぶ。しかし、当然のことく紡木は笑っていた。
「部下の行動には気を配らないといけませんよ。でないと、肝心な時に困りますから」
風が吹き抜けた。そしてがたいの良い男がもつ短剣の炎があっけなく消される。周りの男共はなにが起きたのか、思考が追いついていない。
どんという大きな音、そして倒れ伏すがたいの良い男。彼が杯を置いた時よりも小さな音であったが、男共は静まり返る。傍に佇むのは、過去に西の裏社会最強と言われた剣士、ヴィアスだった。
「んな、お前、ここ」
男共は腰を抜かし、這うように後ずさった。
「お前らの目的だろう。自ら来てやったっていうのに、情けない歓迎だな」
ヴィアスは剣を鞘に収めるも、男共は恐怖に震えていた。
「ずいぶんと舐められたものね」
紡木もヴィアスのそばまで来ると、男共を見下ろした。
「娘はちゃんと返していただきました。悪いけど、もう関わらないでください。あなた達、西の裏社会で最近急に成り上がってきたっていう」
「まさかお前は、一時期南で名を馳せた情報屋の」
紡木の言葉に一人の男が割り込んだ。その男は青ざめた顔で口元を震わせる。
「あら、私のこと知ってるのですね。もしかして南出身の方ですか。ま、ほんの少しの期間ですが、私もそんなことをしていた時がありましたよ」
「紡木、そんなに有名だったんだ」
「まぁね。情報屋としてやってける程度には。でなければあなたの情報も集められなかったし」
雑談を交わす程度には余裕のある二人に対し、男共は始終怯えっぱなしだった。
「そんなまさか、あのヴィアスが情報屋と一緒になってたなんて。しかも二人とも属性持ち」
「なんでばれた、俺らのことも気づいてたみたいだし」
驚きと恐怖を口にする男共に、ヴィアスはため息をつきながら言い放った。
「分かったら、ニ度とこんなことすんじゃねーぞ。今回はこの程度で見逃してやるが、次はないと思え」
口調こそ子どもを諭すかのようであるが、しかし重みはそれどころではない。皆、二人のもつ殺気に押しつぶされながら何度も頷き、必死に立ち上がると、がたいの良い男と下っ端の男を数人で抱えて足早に去っていった。足元をふらつかせ、体勢を崩しながらも、恐怖から逃れるべく懸命に森を走る。やがて姿が一人も見えなくなったところで、二人はふっと殺気を緩めた。
「今後はもう少し私も、情報を集める必要があるわね。今回はこの程度で済んだから良かったものの、もっと強力な奴に狙われたら厄介だわ」
「だな。明日香にも話をしないと。少しこの子は、先を急ぎすぎてる。紡木の背を追うのも良いが、それがどんなことかちゃんと伝えないと、今みたいな無茶は二度として欲しくない」
親として、また過去に裏社会で生きたものとして、二人は複雑な感情を抱えつつ、愛する娘を抱き村へ帰った。
明日香は、微かに戻った意識の中で、二人の会話をぼんやりと耳にし、密かに決意する。
いつか、お母さんとお父さんに認めても会える日が来たなら、私は独り立ちしよう。けどそれは。決して無謀な挑戦をするためではない。私にも、やりたいことがあって、そして……二人にも、まだやりのこしたことが、きっとあるから。二人を自由に、させるために。
「明日香、本当に行くの」
「大丈夫だよ、お母さん。私、この六年間、修行も勉強も頑張ってきたでしょう。お母さんも認めてくれたじゃない」
「そうね。あなはには武人の血が流れてる。それには恥じぬよう生きるのよ」
その日は、十八になった明日香が都に旅立つ日だった。隣ではヴィアスと楓也が別れの言葉を交わす。
「師匠、今までありがとうございました。師匠のお言葉は永遠に忘れません」
「あぁ、よくやったな。楓也になら明日香を任せられる。よろしく頼むよ」
「もちろん、二人で助け合いどんな苦難も乗り越えてみせます」
そうして明日香と楓也は、二人同時に頭を下げる。その後、楓也に視線で促され、明日香は紡木とヴィアス二人を交互に見た。
「ねぇ、お母さんお父さん。私お願いがあるの」
改まった言葉に、紡木は困惑し、ヴィアスをちらりと見た。ヴィアスはそれに気づき、そっと紡木の肩に手を乗せる。
「六年前、二人の昔の話を聞いて、それからずっと考えてたんだけどね。二人には、きっとまだやらなければならないことが残ってると思うの。世界は平和になったよ。けど、そんな今だからこそ二人の力を必要とする人たちが、どこかに居るんじゃないかな。もちろん、ずっとこの村を支えていくことも大事だけど、それは二人以外にもできること。私は、他でもない私の両親だからこそ、二人にしかできない、成せないことをして欲しい。私の最後のわがまま、聞いてくれるかな」
目尻に雫を光らせつつも、それを抑えて言葉を紡ぐ。ヴィアスは瞳を閉じて、静かにその言葉に耳をすませた。しかし紡木は、悲しげな表情で、声を震わせ言った。
「けど、それじゃあ紡木の帰る場所が……私は、いつでも帰ってきていいって」
「それは大丈夫。楓也がいる、楓也のご両親がいる。そうでしょう」
笑顔で明日香が振り返ると、そこには大きく頷く楓也、そして暖かな笑みを浮かべた楓也の両親がいた。安心して、任せてと、その表情から伝わってくる。
「お母さん、私たくさん迷惑かけて困らせたね。だけどお母さんは常に愛情を注いでくれた。感謝してる。大好き、尊敬してる。ずっとずっと、憧れのお母さんだよ。だからこれからも、強くて美しいお母さんでいて。ここまで育ててくれて、ありがとう」
紡木は堪えきれず涙を流した。しかし、去りゆく娘の背中を止めようとはしない。右手を胸に当て頭を垂らし、膝を折って恭しくお辞儀をした姿勢で見送った。それは娘がずっと追っていた美しい母の姿。ヴィアスはその隣でずっと紡木を支える。
美しい弓、立派な剣を携えた二人の若者は今旅立った。都に待つのは、夢ばかりとは限らない。明日香の持つ特異な容姿は、きっと都で好奇の目に晒されることだろう。けれど二人なら、大丈夫。もう明日香より背が高くなった楓也。剣に見合った立ち姿を師であるヴィアスは頼もしくその背を見つめる。明日香を守るに足る男へと成長したのだ。また明日香も、世を知り人を知り、覚悟を決めた上での旅立ち。目的を持ち、成すために向かうのだ。あの頃の、幼き夢をみた日々とは違う。
成長した子ども達は、そうして新たなる世界に飛び込んでいくのだ。
「私も、あの子のように意固地になっていた時期があった。けど、私よりも確かな思いを持ってあの子は行くのね、凄いわ。それに比べて情けない。最後の最後で、私は情けない母親だった」
「けど、あの子の願いを叶えるんだろう」
「もちろん。私達はもう、親じゃない。まさかこの世界に再び戻ることになるとは思わなかったけれど、これはこれで過去への償いなのかもね」
新たな世界に旅立つ者。懐かしき世界に舞い戻る者。
そうして二つの物語が、進み始める。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。納得のいく短編を書くことができず不満足の優華です。
小説書くのが久しぶりで、リハビリも兼ねてます。「責の剣、讐の弓」のその後はずっと書きたかったのですが、やりたいことは詰めこんだはずなのになぜか不完全燃焼。もっと幸せ要素を入れたかったのになんだか教育要素多め? になってしまいました。そんなつもりはなかった……。
ですが、かなり急かしてくださった方がいたおかげ、とりあえずは形になったものを書くことはできました。今後は描きたい世界を文字で表現できるよう努力します。気が向いたら応援してやってください。
それではまた。
2016年 8月16日(火) 春風 優華