7.月に映る幻を見て
森を抜けて沼地を過ぎ、隣国を越えて更に進んだ。
城を出てから数日が過ぎた。
真っ白な雪をザクザクと音を立てて進みながら、黙々と進んでいく。
道中、何度となくディルクは頭を悩ませていた。
勢いで幻の国を目指し、城を出てきたのだ。
国王の体調が芳しくない今、次期国王とされる第一王子は以前にも増して自由がきかなかったはずだ。
王子がいなくなったと慌てふためき、キーキー声で騒ぎ立てるボレル大臣が目に浮かんだ。
昔から王子の気まぐれに付き合わされているディルクやパウル、その他一部の大臣、侍女たちにはもう慣れたものなのであるが。
どうにか騒ぎにはなっていませんように、とディルクは祈った。
「――ここが、幻の国か…」
足にまとわりつく融け掛けの雪を払い、テオは笑んだ。
ここに彼女が――エマが、いる。
「とにかく、どこか宿を取りましょう。雪のせいで身体もかなり冷えている」
ディルクの言葉に逸る気持ちを抑えながらテオは頷いた。
この国を訪れたからといって、必ず彼女を見つけ出せるとは限らない。
しかしテオには何故だかは分からないが、確証があった。
この地に彼女がいる――。
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デンメルングは穏やかな小国であった。
国のほとんどが首都であり、残りは雪と氷に覆われた土地であった。
そして最も異国を感じさせるのは民の服装であった。
街行く人々の誰もが暖かそうな生地でできたマントを被り、人によっては頭からすっぽりと覆われている。
マントといえども多種多様であり、レースやフリルをあしらわれた女性向けのものだって見られる。
簡易的な雨除けのような屋根のついた露店がズラリと並んだ市場を歩く二人は少々目立っていた。
「さて、どうしますか」
自分たちに向けられている視線の中に悪意がないのが分かると、やや緊張を解いてディルクは尋ねた。
残念ながら今回は正式な外交でも何でもない。
いくらモントベルクの騎士や王子の身分を示そうと、あの白亜の城には入れてはもらえないだろう。
「――彼女を見た、というのはどの辺りのことか聞いているか?」
物珍しい品々に目を惹かれ、キョロキョロしているテオと露店を営む年若い少女の目が合う。
少女は何も臆することなく、ひらひらとその華奢な手を振って微笑んでいる。
モントベルクでは考えられなかった。
それはまずどこへ行くにも自分が王子だとほとんどの民が知っていて、誰もがテオを見れば恭しげに頭を垂れるのだ。
それでなくとも、見ず知らずの相手に向かってこう気軽に愛想を振りまく女性もいない。
テオには新鮮だった。
返事をしているディルクの言葉など耳に入らず、ふと足を止めた。
「…テオ?」
どうしたのだとディルクは眉を寄せた。
テオはニッといつもの不敵な笑みを浮かべる。
「誰でもいい、とにかく聞いてみよう。俺は幸い今は王子ではないらしい」
*****
街がいつも以上に騒がしい気がする。
市場で何かあったのだろうか。
あそこの宝石屋――とは名ばかりで、売っているのは石ころばかりのように見える――と占い屋――こちらは年老いてヨボヨボに見えるがまだシャンとしている老婆の趣味の店だが――と争っているのだろうか。
今日は日付上は休み。
しかし、急を要することとなればそうも言ってられない。
何かが起こる前に気付き、それが重大にならないようにするのが自分の仕事のうちの一つだった。
「仕方ないわね」
ポツリと誰に向かって言うでもなく呟き、伸びを一つ。
長い髪を緩く一つに結い、掛けてあったマントを羽織る。
厚い木の扉を開くと、いつもとは違う空気の匂いがした。
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早速こんなにたくさんの方に読んでいただけてとても嬉しいです!
波はありそうですが、更新がんばりたいと思います。