4.微睡みの中で
――さらりと逃げる砂、ひんやりと積もる雪。
山の上から手を伸ばしても、あなたには決して届くわけがない。
深くへ誘う波、キラキラと輝く陽。
まさかここまで遠くに来てしまっただなんて今更なのだけれど。
わたしにはもうここに居場所なんてない。
わたしにはもうあなたを追う資格なんてない。
ひっそりと闇に寄り添い、あなたを忘れていくしかない。――
やっと探し出したと思えば、やたらと古めかしい文体で描写されている。
そのためあまり文学方面は得意ではないディルクは悪戦苦闘していた。
「…こんなもの、王子が読んだ方が理解しやすいはずなんだが」
誰もいない王室図書館にこだまする、ディルクの心の声。
ボリボリと頭を掻きつつ読み進めていたが、不意に名案が頭を過る。
――最もそれは彼の信念としては許せない行為だったのだが。
溜息と共にパタンと本を閉じたディルクは、その古ぼけた一冊を手に王子の自室へと足を運んだ。
*****
「ふーん、魔女は、いるのか」
チラリと本の内容を伺ったテオはいつもの調子で言った。
あれほど苦労し、思案して手に入れたのだというのに、やけにあっさりとした態度だった。
「俺は何のために彼女を探そうと思ったんだろうな?」
クツクツと喉を鳴らす王子に、自分の揺るぎないはずの信念すら捻じ曲げてしまったことが実にバカバカしくなる。
ディルクは脱力した。
いつだってこのワガママな王子には振り回されてばかりだ。
幾分大人びているのかと思えば、自分の欲求のままに無邪気に人を振り回す。
しかしこの彼を幼い頃から振り回してきたのは大人たちだったのだと思えば、彼に忠誠を誓ったばかりのことを思い出す。
「――ディルク」
あからさまに落ち込んだような騎士に、テオは笑いかけた。
まだ十代半ばであるのだ、彼は。
城外に出れば、いくらでもはしゃいでいていいはずなのだ。
「ご苦労様」
テオは労わるような声音で言った。
それはまるで大人の仮面を被った子どもだ。
自分がこの年の頃は、もっと自由に生きていただろう。
この子どもには、生まれながらにして自由など皆無なのだ。
*****
ディルクが部屋を出て行った後、テオは再び古ぼけた本の表紙を開く。
おとぎ話のようで、いずれも事実。
現代と古代の言語が入り交じる独特な文体。
もっとも、こういった本の研究となれば弟のニコルが適任だろう。
しかしモントベルク第一王子とされる自分にも、これくらい難無く解読できるほどの能力はあった。
パラパラと本のページを捲る。
ディルクは本当にこの本に目を通したのだろうか。
それにしてはやけに埃が多く、古ぼけた匂いも合間って咳き込む。
部屋はついさっき、食事の時間にキレイに掃除されたばかりだというのに。
「…魔女、ねぇ」
信じているわけでも信じていないわけでもなかった。
ただ、そういった存在が自分の生活からはかけ離れすぎていて、ピンとこないのだ。
その力が無くても生きていける、この国のなかでは。
「"闇"が来るなら、きっといるんだろうな」
自分が恐れている"闇"とは一体何だろう。
たくさんの血が流れる戦か?
それとも、人々の心に巣食う悪意か?
――いや、そうではない。
得体の知れない、という恐怖なのだ。
たとえばそれは、まだ見ぬ未知の存在。
それだけではない、この胸に抱く感情や誰かが見せる表情。
そういったものが大きくなり、やがて国全体を覆う大きな闇となる。
人々は争い、罵り合う。
全てを奪い合うために戦うのだ。
――きっと、元から"闇"の根源は存在していたのだ。
それはこの城の中にも。
そして城の外にある世界にも。