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1.闇の足音

 月を臨む山、という名の王国には現在三人の王子たちがいた。

 一人は現王であるライナルトから王位を譲られる"蒼の王子"と呼ばれるテオドリヒ王子。

 そして未来の王を支えるであろう才知に優れた"紅の王子"ことニコラウス王子、まだ今は幼いが人懐こい性格で愛される"光の王子"ことカミル王子だ。

 三人とも別の王妃たちの子ではあるがとても仲がよかった。



 大昔に闇が消えて以来、モントベルクはとても平和な国だった。

 他国と同盟を結び、共同発展を試みる。

 大切なのは大臣たちとの厳かな会議だけではなく、実際に自分の目で見ることだと父はテオドリヒに言っていた。

 そして成人の儀を終えたら一緒に外交へ向かおう、とライナルトは嬉しそうな顔をしていた。


 ――まさか、闇が潜んでいるなんて誰もが思いもしなかった。





「――…っぐ!」


 何の前触れもなく唐突に、父が自身の胸元をギュッと抑えて呻いた。

 ガタンと音を立てて膝から崩れ落ちていく父の姿。


「父上!」


 テオドリヒは目を瞠り、すぐにその身体へ駆け寄る。

 ゼイゼイという喘鳴とともに口元から滴る赤い血、顔色は次第に真っ青になっていく。


「誰か!医師を…っ!早く!」


 テオドリヒは声を荒げた。

 その異様な光景に周囲の異国人たちもざわめき立つ。


 やがて医師が訪れて王は一命を取り留めたものの、こういしょうが残るとはっきり伝えられた。

 王が倒れた時に手にしていたのはワイングラスであり、そこから僅かの量で死に至ると言われている薬物が検出されたらしい。


 王が一命を取り留めたと聞いて誰もが安心する。

 しかし今度は一体誰が王に毒を盛ったのだろうと眉を顰める。

 ある者が言うには、外交先の異国人の誰かが。

 そして、元々豊かであるモントベルクの国王は誰か暗殺者に付け狙われていたと言う者もいる。

 中にはテオドリヒ王子が即位を狙っての犯行だと主張する者もいた。

 根も葉もない噂であったが、面白がってその説を唱える者と、空恐ろしいと言って信じてしまう者がいた。

 いつの間にか姿を見せれば皆がヒソヒソと噂をし、あれやこれやと尾ひれがついてしまっていた。


 ――王室とはそういう場所なのだ。

 誰もが自分がこの国を掌握する権力を得ようと必死に口撃し合う。

 互いに互いを貶め合い、誰も信じられなくなる。

 いくらモントベルクが平和な国であろうとて、こういった問題は先代よりずっと昔から存在していたのだ。

 欲しいのは皆、権力と地位。

 生まれながらに努力せずともそれを与えられた自分たちが憎いのだろう。

 テオドリヒはニッと意味ありげに笑った。

 闘いを制する者は常に冷静な思考でいなければならない。

 いつの時代かは忘れたが、強き者(シュタルク)の名を持つ孤軍の王が言っていたらしい。





*****




 すっかり寝た切りとなった王は伏せっていた。

 しかし城の中に――いや、国の中で囁かれる噂は王の耳にも入っていた。

 彼には息子が自分を毒殺しようとしたとは思えなかった。

 グラスに注がれたワインは異国の名産と謳われる代物で、それをあの場で口にしたのはライナルトただ一人だけ。

 手にしていたグラスも従者に手渡された物であり、そこに毒を仕込むなど息子には到底出来ないだろう。

 それに、医師に聞かされた毒物の名はこの国では手に入れることができない物だった。


 ――これが"闇の訪れ"なのか。

 王は窓の外に広がる濁った空を見つめ、溜息をひとつ吐いた。





*****





「――兄上」


 涼やかな声音がテオドリヒの背中に呼び掛ける。

 その声とは反対に燃えるような色をした髪をもつ彼の左側には、手を繋がれたあどけない蜜色をした少年がニコニコしている。


「ニコルか、どうかしたか?」


 ニッと弧を描く形のいい唇が弟の名を紡ぐ。

 ニコル王子はやや眉間に皺を寄せながら、人差し指で眼鏡のズレを直す。

 テオドリヒにはニコルが言いたいことが分かっていた。

 半分しか血の繋がりはないとはいえ、いつも自らに助言してくれる聡明な弟のことだ。

 下手に動かぬ方がよい――そう告げに来たのだ。


「母上が早く妃を決めろと言うんだ」


 呼び掛けたきり口を開こうとしないニコルにテオドリヒはそう告げた。

 ニコルの琥珀色をした瞳が瞠る。


「――三日後に時期国王として俺のお披露目会とやらがあるそうだ。そこへ各国から選りすぐりの姫君たちが集められる」


 はあ、と息を吐いたテオドリヒは小さな弟の傍にしゃがむ。

 太陽の光を受けてキラキラと輝く蜜色の彼は嬉しそうに笑う。

 今までの二人の会話についていけずにいたカミルはすっかり拗ねていたのだ。


「カミルも、あと十年もすれば分かるさ」


 くしゃくしゃと愛らしい蜜色の癖毛を撫で、テオドリヒはどこか疲れたような笑みを浮かべた。


「テオ兄様は、分かっているんだろう?」


 その淡い栗色の影に隠された蒼天の瞳を探るようにニコルは言った。

 テオドリヒ――テオはしゃがんだまま、ニコルの琥珀をじっと見つめた。


「…分かってるさ。分かってて、やるんだ」


 冷たくも甘さを含むような端正な顔が、不敵に微笑んだ。





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