桜の木の下で待っている
うちの中学校には、ある噂がある。
《校庭の桜の木の下で告白すると、必ず成功する》
ありふれた、どこにでもあるような噂だ。
「死体が埋まっているよりマシじゃん」
と友人は笑うけれど、僕は前者のほうが気味悪く感じていた。
噂の桜は二、三年の校舎のすぐ隣に植えられており、窓からは桜が丸見えとなる。
そんな場所で告白なんて、羞恥プレイもいいとこだ。するほうもされるほうも、後々学校中から冷やかしを受けるに決まっている。なのに成功するなんてありえるのか。
人生経験も少なけりゃ恋愛経験はもっと少ない僕でも分かる。
そんなことありえない。
少なくとも僕はお断りだ。
呼び出すならもっと雰囲気のよい場所にするし、逆に呼び出されたとしても自分から場所を変えるようすぐにお願いするだろう。
だけれど『火の無い所に煙は立たない』とも言うし、実際に噂になっているくらいだから、成功した人がいるのは確かだ。そこで僕は、友人達の力を借りて真実を暴くことにした。
調査をお願いした友人の一人が、興味深そうに聞いてくる。
「別にかまわんが、どうしてお前そんな事調べてんの?」
そんなの……
「僕が呼び出されたからに決まってるじゃないか」
* * *
朝学校へ行くと、靴箱の中に一枚の手紙が入っていた。
【今日の放課後、桜の木の下で待っています】
女の子らしい丸っこい字で書かれたそれは、紛れも無くラブレター。生まれて始めての恋文に浮かれそうになる自分を全力で御しつつ状況を整理する。どのみち相手が誰であろうと断るつもりではあるが、場所が問題だ。
噂の場所で告白され相手を振ったとなれば、どんな悪い噂が流れるか分からない。ありえないとは思うけど、僕が男色家だなんて噂が立てば、平穏な学校生活は送れなくなるだろう。
そうして昼休み。友人達から情報を受け取った。
証言は、『告白されて気が付いたらOKしていた』というものが大半を占めていた。
なんだそれ。緊張で頭が真っ白になっていたのだろうか。これじゃあ何の参考にもならないや。
悶々としているうちに昼休みも終わり、あっという間に放課後となった。
学校とは電車と同じだ。生徒も教師も、時間割という名のダイヤに沿って行動している。誰一人としてそのレールに逆らうことは出来ない。あ、校長とか用務のおじさんとかは別な。
さて、どうして僕がこんな詩人的な考察をしているかというと、それはちょっとした現実逃避だった。
今は七月。灼熱の太陽光が夏の始まりを告げるかのように降り注ぐ。梅雨明けの透き通った空にそれを止める術は無く、今も着々と温暖化が進んでいた。
そんな太陽も、僕には一歩届かない。
何故かって?
それは大きな桜の木が守ってくれているからさ!
ああ、分かる。分かるぞ。いい感じに頭がおかしくなっていることが……。
どういうことだ。僕はさっきまでお弁当を食べていたじゃないか。いったいいつの間に放課後になったんだ。
「――、~。~~~!」
目の前には顔を真っ赤にした女子生徒。恥じらいながら、しかしとても真剣な顔で何かを話している。
左手には、大きく枝を広げた桜の木。広範囲に茂った鮮やかな緑が、太陽光線から僕たちを守ってくれている。
そして右手には、二、三年の教室がある校舎。窓という窓から、好奇の視線が雨あられと降ってくる。
桜の木よ。どうして視線からは守ってくれないんだ。心の中で文句を言ってみるが、桜の木は風に揺れるだけで、ざわざわとしか答えてくれない。
『告白されて気が付いたらOKしていた』
証言の意味、今なら分かる。確かにその通りだ。
ただでさえ告白されて動揺しているのに、それが衆人環視の元で行われれば、動揺がパニックにランクアップし、頭が真っ白になるに決まっている。冷静でいられるほうがどうかしているってもんだ。
だが、僕はそうはならない。いや、なってはならない。
成就必至の場所で告白されようと。
好奇の視線が降り注ごうと。
目の前の女の子がドストライクだったとしてもだ。
自分のためにも、相手のためにも、僕は彼女とは付き合えない。
「ありがとう。気持ちは嬉しいけど、あと十年したらまた声かけてくれ」
この言葉を彼女がどう受け取ったのかは分からない。目に涙を溜めながら、それでも彼女は、笑顔でありがとうと言ってくれた。
誰も傷付かないように、でも少しだけ自分の得になるように、そんな事を無意識に考える自分が時々嫌になる。きっと暫くは、罪悪感で夜も眠れないだろう。
好奇の視線を浴び続けながら、僕は桜の木を後にした。
* * *
缶コーヒー片手に自分の机へと戻る。疲れた。早く帰りたい。心身共に憔悴しきって突っ伏していると、頭のすぐ傍でドサッと物音がした。何事かと顔を上げると、にやけ面の友人と目が合った。
なんだこれはと視線で問いかけると、友人は拳から親指だけクイっと突き出し、数学教師を指差した。
「纏めといてやったから、仕事しろってさ」
ごしゅーしょー様。そう言い残し去って行く友人。彼の背を恨みがましく睨みつけ、数学教師にぺこりと会釈をすると、置かれた紙束に目を落とす。
『一学期中間テスト ― 現代国語 ― 』
軽く三クラス分はありそうな量に目眩を覚えながら、答え合わせを開始する僕であった。
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