隣の席の桐谷さん
隣の席の桐谷さんはいつも電波を飛ばしている。
なんでも、授業中だろうと昼休み中だろうと肌身離さず持ち歩いている細いアンテナの一本付いた黒くて四角い箱が電波を飛ばす機械なんだそうだ。1年半の歳月をかけて桐谷さんがたった一人で製作したらしい。
「え、なんで、ってかどこに飛ばしてんの電波」
僕が尋ねると、桐谷さんは底のない深く澄み切った漆黒の瞳を僕に向けて、ちょっとだけ首をかしげながら「宇宙だけど」そんなことを平然と言ってのける。
「私の故郷に飛ばしてるの」
「故郷? 宇宙が?」
「うん。ハビダブルゾーンの外にあるの」
「どうして飛ばす必要が」
「え?」
桐谷さんはちょっとだけ驚いたように僕を見据え、なんでそんな当たり前のこと訊くのとでも言いたげに唇を尖らせる。
「ほら、だって私宇宙人じゃん」
隣の席の桐谷さんは宇宙人である。
真偽のほどはわからない。なぜならハビダブルゾーンの外には生命体が存在していないはずだから。生命居住可能領域を出た場所で一体どんな生命体が活動しているのか些かな興味はあるけど、それより僕は彼女がどうしてこの地球という生命活動最適環境惑星に来ているのかに興味がある。
大体、この星に居住している地球外生命体は僕だけのはずなのだ。彼女が宇宙人だというのなら異星生命体発見装置が反応しない地球外生命体なのか、もしくは彼女は本当は地球人なのにも関わらず宇宙人だというくだらない妄言を吐いているだけなのか。宇宙人を自称する利点なんて皆無だしわざわざそんなめんどくさい嘘をつく必要性だって思い当たらないし、だから後者の可能性はほとんどないと言っていいと思うけど。きっと、彼女は異星生命体発見装置にも反応しない未だ未確認な生命体なのだろう。一度本人に直接正体を聞いてみたい、とは思うけれどそうするためにはこちらの正体も明かさなければいけないわけで。でも勿論今の僕は地球人のふりをしているし、だからいくら彼女が同じ地球外生命体だからと言って自分から正体を明かしに行くつもりはさらさらないのである。よって彼女の正体はいまだ謎のままだ。
「ねえ桜木くん」
僕がぼやぼやとそんなことを考えていると、さっきからずっと窓の外を見つめていた桐谷さんが突然声をかけてきた。
「なに?」
「地球ってほんとは外から見ると真っ赤なんだよ」
いやさすがにそれはないだろ、と否定しかけたところで慌てて口をつぐむ。彼女の色覚では一般的に言う青を赤だと認識しているだけなのかもしれない。それってなんだか逆転クオリア的だなあなんて考えながら、体質を否定するのは同じ生命体としてしてはいけないことだろうという結論に至って「へえ、そうなんだ」とちょっと驚いた風を装って相槌を打ってみる。
だけど相変わらず桐谷さんはつまらなさそうな顔で頬杖をつきながら、ちょっとしたノスタルジーを感じさせるため息をひとつ吐き出す。
「宇宙から見るとさ、こう、燃えてる感じに真っ赤なの」
「……へえ、そうなんだ」
僕がここに来る前に見たときは吸い込まれそうなくらい青かったのに。燃えてる感じに真っ赤だったのは太陽だけだ。
「あ!」
突然桐谷さんが立ち上がった。なにごとかと驚いて横を見れば、彼女はふんわりとした喜びを口元にはりつけて、ぱたぱたと近くの窓に駆け寄る。べたっと窓ガラスに両手をつけて、ガラスに映る自分とキスしてしまいそうなほどに顔を近づける。
なにを見てるんだろう、とちょっと気になって、窓にへばりついた桐谷さんの視線の先を追ってみる。雲一つなく澄み切った五月の空に、ぽつんとひとりで飛んでいるのは黒い物体。
桐谷さんはしばらくそのまま空を眺め、それから突然思い出したように僕を振り返った。
「もしかしてあれUFOじゃない?」
「いやただのヘリコプターだろプロペラまわってるし」
「プロペラ付きのUFOだって無きにしも非ずだよ桜木くん」
「宇宙空間でどうやってプロペラまわすんだよ」
大体今の時代、この星で言うところのUFOなんてデッドツールは使わないし。あんなものは前世紀の遺物なはずだ。一応桐谷さんだって宇宙人なんだからそのくらいのことわかっているだろうに――いや、もしかしたら彼女の種族はまだUFOを使っているのかもしれない。うーんそこらへんなかなかデリケートな問題だから余計なことを言うのはやめておこう。
そのかわり僕は未だ立ったまま窓ガラスにぺったりと両手をつけて、気持ち悪いくらい真っ青な空をまだ幼い子供みたいに眺めている桐谷さんに「ところでさ桐谷さん」声をかける。
「なあに桜木くん。UFOがどうして円盤なのかって話?」
「え、UFO一般的なやつって別に円盤じゃなくてふつうに船の形してると思う、というかそうじゃなくて桐谷さん」
「なあに桜木くん。UFOが初めて視認されたのはいつなのかって話?」
「視認もなにもそんなの制作されたときなんだから古代の話だろ、というかそうじゃなくて桐谷さん」
「なあに桜木くん。UFOがなんの略なのかって話?」
「そりゃさすがに僕も知ってる、というかそうじゃなくて桐谷さん」
「ちなみにUFOはアンアイデンティファイドフライ」「桐谷さん」「ングオブジェクトの略」「桐谷」「なあに桜木」「ちょっとそのほらアレだから一回座ろう授業中だし今」
僕の言葉に、桐谷さんはふわっと振り返り、ほんの少し驚いたみたいに大きな瞳をさらにちょっとだけ見開いた。その瞳が、ゆっくりと周囲を見回す。
教壇に立った数学教師と四十人近い勉強熱心な生徒たちがまるでゴミを見るみたいな眼差しで僕らをじっと見つめていた。
「桐谷」
先生が重々しく口を開く。
「なんすか先生」
桐谷さんが一切悪びれた様子もなく先生に視線を移す。
「座りなさい」
その命令に、桐谷さんはちょっと不満そうに唇を尖らせて、だけど特に反抗することなく着席した。教室をうっすらと包んでいた薄い緊張の膜が、やんわりと破れていく。




