第1話
〜第一章〜『日常』
第1話
「よぉ〜し、今日はここまで!」
体格のよい中年男が熊みたいに大きな両手を叩いて授業の終了を知らせる。
全員が体格のよい中年男の前に集合し、きちんと整列する。
「前に習え!」
全員が一斉に両腕を体の前にピシッと伸ばす。
「直れ!」
全員が一斉に伸ばした両腕を下ろす。そのスピードは人のよってまちまちでめんどくさそうにだらだらと下ろす者もいれば、最後までちゃんと下ろす者もいる。どうして下ろすときだけこうも差が出るんだろう、とアルスはしばしば思っている。そういう彼の腕の下ろし方は日によって違うが、今日は後者である。よほど疲れているときはこんなところまで集中力は持たない。
「先週から言っていることだが明日は、この間の組分けチームで対抗試合をやる!皆、きちんと体のコンディションを整えておけよ!大事な場面での体調管理は剣士だけでなく、全ての職業の基本だからな!」
中年男は手も熊みたいに大きければ声も熊の咆哮のように野太い。しかもいつも大声である。聞こえないはずはないのだが、それでも中には聞こえないフリをする者がいる。そういう相手に、この熊……ではなくて中年男は顔に似合わぬ愛の折檻をする。
中年男曰く、教育者として愛の折檻は大事な生徒とのコミュニケーションらしい。よくわからないが。大の男が『愛の』なんて気色悪いこと言うなよと言いたくなるときがある。
「うんたらかんたらなんたらかんたら……それでは解散!」
授業最後の長い話が終わり、生徒達はげんなりとしながら宿舎へと帰っていく。アルスもその波に乗って帰ろうかと思っていると、一羽の鳥がアルスの肩目がけて降りてきた。
「よう、エスパール。元気にしてたか?」
アルスはそう言って白い鳩の頭を指先でちょんちょんと撫でる。エスパールと呼ばれた鳩は気持ちよさそうに鳴いた。
「いつもありがとな」
アルスはエスパールの両足にしっかり握られている手紙を優しく取ると、歩きながら文面を開いた。
「アル君へ。元気にしていますか?私はもちろん元気です。モアも相変わらず毎日元気に村の中を走っています」
彼女の手紙の書き出しはいつもこの一文だった。
「ア〜ルス!」
「うわっと!」
背中を叩かれ、アルスは前のめりになる。エスパールも異常を感じて空中に飛び去ってしまう。
「お、いつもの手紙を読んでいたのか。毎月必ず送ってくるよな」
先ほどアルスを叩いたこの少年はゲイルと言って、アルスがここで剣を学ぶようになったときからの友人だ。アルスと同じく六歳からここに来たゲイルは同じ学び友達というよりは、腐れ縁の幼なじみといった感じである。
「いつもの幼なじみの娘か?」
「ああ」とアルスは頷く。
「いいよなぁ、毎月こんなに心配してくれて」
ゲイルは「しかも女の子に」と強調するようにぼやいた。
「あいつと俺は、決してゲイルが思っているような関係じゃないぞ」
「そうなのか?それはちょっと問題なんじゃないのかアルス君よぉ?」
「何で?」
「せっかく身近に女の子がいるんだ。お前は俺が守ってやるみたいなことでも手紙に書いてハートをゲットしちゃえよ。じゃなきゃその娘、他の男に取られちまうぜ」
「あいつは物かよ」
「ありえない話じゃないだろ?」
小さなため息をつきアルスは口を閉じた。ふと、空を見上げると大きな太陽がオレンジに空を染めながら一日の終わりを告げようとしていた。
(あいつは今頃どうしているのかな…)