第16話
オム砂漠はエクリールから北に位置する小規模の砂漠である。エクリールからの船旅を断念せざるを得なくなったミル一行は、そのオム砂漠を暑さに耐えながら渡り歩いていた。
「あ〜つ〜い〜」
モアのこの台詞は砂漠に入ってからもう何百回目だろうか。最初は十分刻みに言っていたこの台詞も今では十秒おきのペースに早まっている。
「あついねぇ…」
モアがそう言う度にミルも彼女をなだめるように、または彼女に動揺するようにあついねぇと返すのもすっかり板についてきているようだった。
「ラスレンはそんな服装で暑くないのぉ…」
着ていた上着を脱いですっかり身軽になったモアに対してラスレンはずっと当初の吟遊詩人の服装のままだった。
「砂漠の暑さも慣れればそうでもないですよ。それよりもモアさん、あんまり肌を出していると太陽の熱で肌荒れしてしまいます。日射病や熱射病にもなりやすいでから上着は着ておいてください」
「え〜!?し〜ぬ〜よ〜」
モアはこの暑さにすっかりだれきっていた。ミルがそんなモアに上着を強引に着させる。
「モアちゃん、ファイトだよ」
「うぅ、あんまりファイトれないよぉ…」
「大丈夫ですよ。だいぶ進んできたのでそろそろオアシスがあるかと思います。そこで一休みしていきましょう」
「オアシス?」
聞きなれない言葉にミルが首を傾げる。
「砂漠に存在する水源地のことです。木陰もあって涼しいところですよ。砂漠はもともと森が変化したものですからその一部がこういう形で残るんですね」
「そうなんだ」
「ほら、もう見えてきましたよ」
ラスレンが指す方向には小さい木々と、そこから所々青色が見えた。
「よ〜し、やっと休めるぞー!」
さっきまでのだれ具合はどこへやらと言った感じでモアはオアシスに向かって一直線に走っていった。
「モアちゃん、元気だなぁ…」
「ハハハ、でも彼女の元気さには時に僕も勇気をもらいますよ」
ラスレンは相変わらず優しく微笑みながらゆっくりとオアシスに向かって歩を進めた。
「ヒャッホー!」
オアシスに着くなり、ミルとモアはそのまま湖の中に飛び込んだ。
「プハー、気持ちいいねお姉ちゃん」
「うん。ラスレンさんも来ればいいのにね」
ミルとモアがオアシスに着いたらすぐに湖にダイブしたのに対してラスレンは今ものんびりと木陰に腰を下ろしてなにやらペンを動かしていた。そこはさすが吟遊詩人というべきか、それともただ単に年端も行かない少女と水に入ることに抵抗があるだけなのか。
それから間もなくして二人が水から上がってきたのだが、どこか慌てたような雰囲気があった。
「どうかしましたか?」
ラスレンはペンを草むらの上に置いて、ミルたちを見上げた。
「さっきチラっとですけど、人がいるのを見たんです」
「人…ですか?」
まさかとは思うが盗撮か?ラスレンはそう思ったが、こんな砂漠のど真ん中まで盗撮に来る者もいるまいとすぐに考えを改める。
「少し行ってみましょうか」
ラスレンはゆっくり腰を上げ、ミルたちが見たというその場所まで案内を頼んだ。
その場所はちょうど湖の周りを半周歩いた辺りの草むらだった。その中にぐったりと倒れている青年が一人。ラスレンはすぐさま彼の呼吸を調べた。
「ただの脱水症状です。僕らの荷物が置いてあるところまで連れて行って水を飲ませてあげましょう」
ラスレンの一言に、ミルとモアはホッと安堵の息を漏らした。再び自分たちが荷物を置いた場所まで戻り、連れてきた青年に水を与えると、青年はすぐさま生気を取り戻した。
「いやぁ、助かったよ。オアシスを見つけたのはいいけど、入った瞬間に力尽きちゃって」
青年は恥ずかしそうに笑った。
「オム砂漠にはどうして来たんです?」
ラスレンの問いに青年は少し考えるような仕草をとったり、しきりにミルとモアを見たりしていたが、やがて何事もなかったかのように「仕事さ」とつぶやいた。
「オム砂漠にいるアントリオンという巨大蟻をしとめてダーウィンのギルドで報告すると割のいい報酬が出るんでな」
「なるほど。しかし、そんなことを我々に話してよかったのですか?そんな情報を聞いては我々が横取りするとも限りませんよ」
「その心配はないさ。あんたみたいに女の子を連れて旅をしているような奴に倒せるわけがないぜ」
「もし倒せたら報酬は私たちが頂きますよ?」
「いいとも。やれるものならな!」
青年はそう言うと、自信たっぷりにオアシスを去っていった。
「感じ悪いね」
「うん」
ミルとモアはせっかく助けたのに、と言いたげな顔をしていた。
「せっかくのチャンスです。ミルさんとモアさんもだいぶ戦闘には慣れてきたことですし、ここはアントリオンを倒してあの人を驚かせてやりましょう」
「よぉーし、やるぞぉ!」
ラスレンの言葉にモアはやる気満々に右手を空に振り上げた。
オアシスを出た三人はこのまま進むかいったん来た道を戻るかについて話し合っていた。
「でも、さっきまでの道のりに蟻さんの魔物なんていなかったよね?」
「ええ」
「ということはこっちだ!待っていろよ、アントリオーン!」
モアは回復したばかりの体力を全力投球して残り半分の距離のオム砂漠を走り始めた。
「もう、まだこっちだって決まったわけじゃないのに…」
両手を腰に当ててつぶやくミルをラスレンは「まぁまぁ」となだめながら一行は次の町、アビ方面に向かって砂漠を歩き出した。
このオム砂漠にいる魔物はほとんどが熱や日光に強い虫や熊ばかりで蟻がいるとは微塵にも思っていなかった。
「蟻はどんなところでも生きる力を持っていますからね」
ラスレンは穏やかな笑みを浮かべてそう語る。
ズブ。音で表すとこんな音だっただろうか。いきなり前を走るモアの足が砂に取られた。
「危ない!」
ラスレンは急いでモアの足を砂から引き抜いた。刹那、突き破るように砂の中から大きな蟻が姿を現した。体の前部に鋭い二本の鎌のようなものを持った蟻、それがアントリオンだ。
三人はすぐに戦闘体勢に入る。ラスレンがまず得意の歌とハープでアントリオンの注意を引き付け、モアが持ち前のすばっしこさで敵の周囲をヒット&アウェイで駆け抜ける。そして、ミルが唱えた水を操る魔法。
「スプライト・チェーン!」
ミルの杖から現れたのは大量の水を鎖状に固めたリーチの長い鞭だった。それでアントリオンの後頭部を続けざまに五連打する。その間アントリオンは身動き一つできずに硬い体を丸めて縮こまっているだけだった。
「アイス・バースト!」
とどめは連続で放ったミルの魔法。上空で固めた冷気を破裂させて氷の粒を降らせる魔法だ。落下することで鋭さを増した氷はアントリオンの硬い体を難なく貫いたのだ。
「やったね!」
モアは止めをさしたミルに向かって大きくブイサインをした。ミルも嬉しそうにブイサインを妹に返す。最初の頃は魔法を使った後は戦闘の疲労もあいまってブイサインなどできなかったミルだったが、この頃はすこぶる順調である。
「これでいいんですよね?」
ミルが確認のためにラスレンに聞くと、彼は「ええ」と優しく微笑んだ。
「後はダーウィンに報告に行くだけです。お二人ともお疲れ様でした」
「楽勝だよ、こんなの!」
モアは得意気に胸を張った。
「さぁ、ではそんな元気があるうちに砂漠を抜けてしまいましょうか」
「「おー!!」」
ミルとモアはやる気満々に右手を空に振り上げるのだった。