婚約破棄の真相
あれは、あの『断罪』から遡ること暫し。
神妙な面持ちの王太子が、ウィンスタット公爵邸を訪れた。
とりあえずの挨拶をした後、トラヴィスは突然の訪問の理由も告げぬまま「話がある」と言ったきり黙り込んでしまう。
コンスタンスは少しの間何も言わずに彼の様子を見ていたものの、やがて控えていた侍女たちに視線を巡らせた。
『殿下とのお話が終わるまで、席を外してくれるかしら……?』
優雅な微笑みと共に静かな声音で紡がれると、心得た侍女たちは一礼し、二人を応接間に残して姿を消す。
残されたのは、向かい合って座る王太子と婚約者。
満ちた沈黙を破ったのは、王太子の方だった。
『悪い……。気を遣わせたな』
『いつものことよ。それで、話って何?』
先ほどまでの淑女然とした様子はどこへ消えたのか。
うなだれたまま悲痛に呟く王太子に対して、コンスタンスは実に砕けた様子で答えた。
トラヴィスの母とコンスタンスの母は親友と呼べる間柄であり、物心つくかつかないかの頃から二人は互いを遊び相手として育った。
長じて、政治的な思惑が絡んで婚約者という間柄となりはした。
だが、コンスタンスにとってトラヴィスは王太子であると同時に、気の置けない幼馴染でもあるのだ。無論、人前では出さないよう心掛けているが。
出された茶にも手をつけず、トラヴィスは俯いたまま考え込む。
これはこちらから話を切り出してやるべきか、とコンスタンスが思った時、トラヴィスは意を決したという様子で顔をあげて。
そして、重い口を漸く開いた。
『お前との、婚約のことなんだ……』
『婚約を解消したいとか?』
コンスタンスが事も無げに呟いた瞬間、トラヴィスが盛大に長椅子に倒れ込んだ。
テーブルに倒れ込まなくて良かった、とはコンスタンスの心の独白である。
何故、と言葉に依らずに訴える眼差しを向けながら体勢を立て直そうとしている幼馴染を見つめつつ、コンスタンスは更に続けた。
『だって、貴方はクレア様を想っているのでしょう?』
『何で、それを!』
(だって、分かりやすいもの)
何年幼馴染をしているの、とコンスタンスは澄ました顔で紅茶のカップに口をつけた。
まだ人々は気づいていないが、それも時間の問題だと思う。
この赤毛の王太子が、クレアという少女に想いを寄せているのは、コンスタンスにとっては既知の事実である。
クレアは先王の妹の娘であり、現国王にとっては姪、トラヴィスにとっては従妹にあたる姫だ。血筋の良さでいうなら申し分ない。
だが、彼女の父がかつて起こしたある出来事のせいで、クレアが王太子の妃となるには些か支障があるといえる状況だった。
ただ、それについては政治的に人々を納得させる理由を用意できる。問題は、トラヴィスが既にコンスタンスと婚約状態にあるというだけだ。
婚約が決まった当時、クレアはまだトラヴィスにとって妹のような存在で意識する対象ではなかっただろう。だから、今のように苦悩することもなかったのだ。
しかし、徐々に彼とクレアの間に想いは育ち、こうして芽吹いてしまった。
この婚約を解消するのは、容易ではない。
そもそも、婚約とは家同士の契約である。本人たちの意思はほぼ二の次だ。
しかも、二人の婚約はトラヴィスの母君である先の王妃が是非にと望んで実現した。
先王妃は、夫の異母弟にあたる現王に些か懐疑的であり、彼をいざという時に抑えられる人物を息子の後見にと望んだ。それが、コンスタンスの父である。
父の真の思惑は実のところ分からないが、冷徹な政治家である父にとって子供達は等しく手駒。父がそれと決めたのであれば、娘に拒否する権利などない。
つまり、このままではトラヴィスはクレアと結ばれる事が叶わない。
実直な気質であるこの王太子は、コンスタンスを王妃に迎え、クレアを側室にするという選択が出来る程器用ではない。その辺りも支えていかなければとは思っていたが……。
懊悩しながらまた口を閉ざしてしまったトラヴィスを見て、コンスタンスはひとつ息を吐いた。
そして、にこやかに告げる。
『分かった、婚約解消しましょう』
『は……?』
罵倒される事も覚悟していると言った様子だったトラヴィスが、やや間の抜けた声をあげて目を見張った。
コンスタンスが何を言っているのか分からないという雰囲気の相手に苦笑しつつ、コンスタンスは軽く首を傾けつつ続けた。
『伊達に幼馴染をしていないわ。貴方を見ていればどれだけ本気なのか分かるし、覚悟をしているのも分かる。そんな様子を見たら、放っておけないでしょう』
トラヴィスとて、婚約を無かった事にするのがどれだけ難しいか理解しているだろう。
けれど、それでも話さずにはいられなかったのは、クレアへの想いがそれだけ強く真摯なものであると同時に、コンスタンスに対して誠実でありたいという気持ちの表れなのだろうと思う。
ここで、立場を忘れるなと突き放し切れるほど、コンスタンスは彼に対して厳しくなりきれない。何せ、物心ついたころからの遊び相手であり、一番長い付き合いの幼馴染だ。
優しい苦笑いを浮かべるコンスタンスを見て、やがてトラヴィスはしみじみとした様子で口を開く。
『お前、本当に見た目で損をしているよな』
『殴っていい?』
考えを変えるわよ、などと小さな脅しを口にしつつ、握った手に力を籠める仕草をしながら言うコンスタンス。
そう、コンスタンスは、造作的に鋭い印象を与える容貌の持ち主だ。
口を開かなければ威圧感を与えてしまうらしく、冷徹な印象や、高慢な印象を抱かれやすいらしい。
公爵令嬢であり王太子の婚約者という地位も相まって、近づきがたいと思われているらしく、密かに恐れている令嬢たちも多いという。
誤解していたければしていればいいと思うし、誤解も利用できるために敢えてそれを正そうとはしてこなかった。
そのような人々にとってコンスタンスは、少なくとも幼馴染の恋路に心を砕き、助力をしようとする人物ではないのだ。
少し考え込んだのちに、コンスタンスは頬に手を添えつつ溜息を吐く。
『正直に言うと、やっぱり私にとって貴方は幼馴染であって、伴侶となりうる異性ではないのよ』
『奇遇だな、俺もだ』
相手への忌憚ない意見を口にすると、返ってきたのは同意だった。
意見が一致したのは良いことだ、と心の中で呟きつつ、一呼吸おいてコンスタンスは続く言葉を口にした。
『それに、知っているでしょう? 私は目指したいものがあるって』
『魔法使い、か……?』
目指したいものと告げた瞬間、コンスタンスの目には確かな願いが宿っていた。
若干の躊躇いと共に返された言葉に頷きながら、コンスタンスはおとぎ話のような伝承に思いを馳せる。
かつて、世界の中心には精霊が暮らす元素の恵み溢れる精霊郷が存在していたという。
けれど、ある日突然精霊郷への道がとざされてしまう。
それから幾星霜、人の世界から不思議の力は失われ、人々は不可思議への畏れをすっかり忘れてしまった。
今でも世界において、一部の人間達にのみ精霊は語り掛ける。精霊と語らい契約を結びその力を行使出来る者達を『魔法使い』と呼ばれていた。
コンスタンスは、幼いころから不思議なものとの親和性が強かった。
語りかけてくる不思議なものが精霊という事に気づいたコンスタンスは、魔法使いというものに憧れるようになる。
しかし、それを口にした途端、父から飛んできたのは平手だった。
何故なら、魔法使いが忌避されている存在だからだ。
この国において、魔法使いの地位は悲しい程に低い。得体のしれない手段で人々を誑かす詐欺師のような扱いをされるのが大概である。
公爵令嬢にとって精霊が見えるというのは醜聞に他ならない。そう言って、他に話すのも、魔法使いに対するあこがれを口にするのも固く禁じられた。
それ以来、本当に心の許せる相手にのみ真なる願いを打ち明けるようになった。その一人がこの幼馴染である。
『ただ婚約を無かったことにしただけなら……。あのお父様ですもの、次の縁談をすぐに見つけてくるでしょう。下手をすれば、駒として陛下に嫁がされかねないわ』
苦い面持ちで言うコンスタンスに、渋い表情で否定できずにいるトラヴィス。
ウィンスタット公爵とルーファス王は、政治的には目立った対立ではないが、相容れる立ち位置ともなかなか言い難い。
あの父なら、潜在的な政敵と言える相手の内情を探らせる為、娘を差し出すぐらい平気でやってのけるだろう。
『婚約を解消するだけでは足りない。次の縁談どころか、社交界にて面目を失い、お父様が私との縁を切るぐらいに評判を落とす必要があるわ』
『いいのか、それで……』
王国において魔法使いに対する偏見は強く、地位は低い。公爵令嬢がなりたいといって許されるはずがない。
そして、婚約解消が許されたとしても、次の縁談が用意されるだけ。
それならば、次の話を用意するほどもない状態に、自分を持っていくしかない。
自ら自分の評判を下げようとしているコンスタンスを、気づかわしげにトラヴィスは見つめている。幼馴染が悪く言われるのは、と躊躇っている様子だ。
だが、彼も分かっているだろう。
クレアと結ばれたいトラヴィス。家を離れて魔法使いになりたいコンスタンス。
二人の利害は、完全に一致してしまっているのだと。
『ここは……真実の愛を使いましょう』
不敵に笑いながら紡がれたコンスタンスの言葉に、トラヴィスの頭の上に特大の疑問符が浮かんだ……。
それから、コンスタンスは必死に頑張った。
根回しとして、まず知己の作家に、コンスタンス達を元にした物語を流行させる。
家の為に決められた婚約を受け入れながらも、貴族の令嬢令息たちは『真実の愛』というものに実に弱い。
真実の愛で結ばれながら、障害の為に引き裂かれる悲劇の二人。その障害として二人を阻むのがコンスタンスをモデルにした『悪役令嬢』である。
物語が広まり行くのと同時に、コンスタンスは努めて冷徹な悪女を演じ続けた。
心の中でクレアに詫びながら彼女に対して努めて高慢な態度をとり、きつい言葉を投げつけた。
涙ぐましい努力で悪事の証拠を捏造し、時には人を買収してでも証言を作り上げて。悪評を築き上げながら、着実に大舞台の準備を整えて。
その集大成が、あの『断罪』の場となった舞踏会である。
これが最後の仕上げと思うコンスタンスは、自分に女優になれと言い聞かせ、一世一代の演技を見せた。
計画の最初こそ躊躇っていたトラヴィスも、次第に腹をくくった様子でコンスタンスの指示に従うようになる。
ただ、演技指導がもう少し出来ればよかった、と仕上がりに若干の不満はあったが。
言われた通りに熱心に演じてはいたものの、トラヴィスの動作や言葉の端に動揺が滲んでしまっていたから。
(もうちょっと気合入れて演じなさいよ! 動揺が漏れているわよ!)
心の中で叱咤しながら、コンスタンスは悪役令嬢を演じ続けた。
計画を聞かされたクレアは全力で断ってきたが、半ば無理やり二人で巻き込む形に。
バレやしないかと気が気でない様子のクレアは、素で怯えてくれていたので、あれはあれで幸いした気がする。
そして、舞台は成功し、コンスタンスは父に退去させられる形で会場を後にした。
左右を固められて連行されるように進みながらも、やり遂げた、そう思っていた。心の中で密かに拳を握ってすらいた。
大騒ぎの場へ、物陰から冷静な眼差しを向けていた人物がいた事に気づかずに……。




