人生再出発の日
かつての『悪役令嬢』の断罪から、二年後。
王都から遠く離れた辺境に、ユールという街がある。
街の中央に月光を反射して青く輝いて見える不思議な塔のある街は、些か訳ありの人間達が集う場所だった。
王国において、得体が知れないと蔑まれる者達……『魔法使い』たちが暮らす街、それがユールである。
そして、魔法使いの街においてその日、一人の女性が独り立ちしようとしていた。
部屋に足を踏み入れて、まず初めに窓辺に歩み寄った。
閉じたままだったカーテンを勢いよく開いて長く閉ざされたままだった硝子窓を外に向かって押すと、爽やかな風が吹き抜けて室内の空気を新鮮なものに変えていく。
少し薄暗かった部屋はすっかり明るくなり、少しばかり殺風景な様子が明らかに。
古びた家具が多いのは彼女が望んだ事だ。値段が安かったというのもあるが、理由は外にもある。
これからこの場所を変えていくのだ。自分の思うように手を入れていく計画を大まかに立ててみると、心は浮き立った。
射しこむ光を弾いて輝く青みがかった銀髪を揺らして、もう一度窓外を見る。
薄蒼の瞳に映るのは、取り立てて変わったところのない街並み。賑やかで華やいだ都とは違う、時の流れが緩やかに思える穏やかな景色。
けれど、そこには人の営みと共に数々の不思議が存在していると、魔法の使い手として独り立ちしたばかりの彼女は知っている。
彼女――あの日『悪役令嬢』として断罪されたコンスタンスは、街の風景を眺めながら僅かに目を細めた。
「あの日から、もう二年……」
呟くコンスタンスの脳裏には、現在に至るまでの道のりが蘇る。
コンスタンスはあの日、不祥事を起こし家の名誉を損なったとして、最低限の持ち物と共に家からも追い出された。
更には王都からも追放という処断が下され、都に留まることもできなくなる。
人目を避けるように、避けるようにと進んでいった先、辿り着いたのがこの辺境の街。
寄る辺なき彼女に手を差し伸べてくれたのは、普段は人々から疎まれる立場にあるユールの魔法使いたちだった。
コンスタンスにとって幸いだったのは、彼女が魔法に対する資質を多少なりとも備えていた事だろう。
街の中核ともいえる『塔』の長は、家族からも絶縁され、王都から追放されたコンスタンスを見習いとして迎え入れてくれたのだ。
コンスタンスは、それまでの自分を忘れる為にも、人生をやり直す為にも、魔法使いとして歩き出す覚悟を決めた。
公爵令嬢として生きていた頃とは全く違う、未知の経験に満ちた日々。
不思議の世界に触れることの驚きもそうだが、自分の身の回りのことを自分でするという、かつてと天と地ほども違う暮らし。
しかし、驚きや戸惑いも時が経てば慣れていくもの。
ぎこちなさ、危うさも次第に消えて。塔での修行を終えて一人前として認められたコンスタンスは、塔の敷地内にある寮から出て街に居を構え、魔法使いとして仕事を請ける事を許された。
……のが、今に至るまでの、客観的に見た流れである。
色々あった、と呟くコンスタンスの表情には、かつてとは違う柔らかさがあった。
当然ながら顔立ちが変わったわけではない。ただ、取り巻く空気が以前とは変わっているという自覚はある。
それも当然だ、とはコンスタンスは心の中で呟いて、改めて室内を見回した。
公爵令嬢として屋敷に暮らしていた頃とは比べるべくもない、小さく簡素な部屋。これが今の彼女の城である。
ここをどう変えていこうとも勿論自分の自由にできるが、維持していけるか否かも自分にかかっている。
暫しの間は、塔の先達からの紹介により仕事は得られるだろうが、そこから先はコンスタンスの力量次第。もう、修行中という制約はあっても守られている立場ではない。自分の力で信頼を勝ち取り生活を支えていかなければならない。
成功も失敗も全て自分の決断から生まれ、自分に返ってくる。
不安はあるけれど、それを上回る思いが胸にある。我知らずの内に、コンスタンスの口元には笑みが浮かんでいた。
暫く思案していたコンスタンスは、無言のまま部屋の壁に立てかけられている年季の入った箒に手を伸ばす。
塔にて、寮の管理人をしていた老女から譲り受けたものである。
『みんなの為に、綺麗にしておかなきゃね』
脳裏に描かれるのは、老いた優しい女性が笑顔で箒を手にとり掃除をしている光景。
いつも彼女は皆を気遣いながら、寮を綺麗にしていてくれた。それを思い出しながら、コンスタンスは指先にて宙に文様を描いていく。
描かれた筋は淡い燐光を帯びて軌跡となり更なる違った光を呼び、次第に奔流に。そして、集い流れる光に絡め取られるようにして箒は浮かび上がり……。
部屋を満たす程に強く輝いた後……床に下りた箒は何と自ら起立していた。
そればかりではない。箒は意思を持つように動き始めたかと思えば、くるくると動きながら床の掃き掃除を始めたではないか。
「まあ、まずはお掃除から始めましょう」
厳密には自分の手でしているとは言えないが、自分の特技を活かせるならいいではないか、とコンスタンスは思う。
これが、コンスタンスが塔での修行にて得た力だった。
付与魔法の資質がある、と言ったのは、塔の長と初めて対面した時の事。
それは、物に宿る記憶や心を読み、対象が歴史や逸話ある物・想いの籠った品であればある程、宿るものと精霊の力とを結び付けて強い魔法を付与する力だという。
言われてみれば、確かに色々見えていた覚えはある。父の厳しい言いつけで人の前で口にすることは固く禁じられていたが……。
特化した方向があるならば、と修行を続け、こうして自在に操れるようになった。
箒が踊るように床を滑りながら薄く積もった埃を綺麗にしているのを見ながら、コンスタンスは次なる道具に魔法を施そうと視線を巡らせる。
しかし、その瞬間不意に扉が叩かれた。
思わぬ事に集中が途切れて些か悔しいが、何だろうと思いながらそちらを向いていると、軋んだ音と共に扉が開き、恰幅よい中年の女性が姿を現わした。
この下宿の大家であるミリーである。彼女は何かを手にしていた。
「コンスタンス、手紙だよ」
「……私に?」
確かに、差し出されたのは一通の封筒だった。
見た目からしても紙の質や施された装飾からして、それなりに質がよいことがわかる。
誰からだろうと何気ない視線を走らせていたコンスタンスだが、ある部分に目を留めると一気に眉が寄った。
「早馬でついさっき届いたのよ。それじゃあ、確かに渡したからね」
夕食の支度があるから、と言いおいてミリーは早々に退散する。
残されたのは、封筒を手に怪訝そうな表情で黙り込むコンスタンス。
差出人の部分に記された名前は、とても見覚えがある。見覚えがあるどころか、かつてはとても慣れ親しんだ名であり、相手だ。
「……トラヴィス?」
そう、その名前はコンスタンスの婚約者であり、彼女をあの舞踏会にて断罪した王太子のものだった。
同名の別人のものかと思ったが、筆跡からして間違いなく本人だ。それに、封筒を飾る装飾も、王太子であるトラヴィスにのみ許されている意匠である。
間違いなく、かつての婚約者からの手紙だ。
「一体、何で今……」
まさか独り立ちの祝いでも送ってきたのだろうかと思わないでもないが。それを何故知り得たのかという疑問がある。こちらから連絡はしていないのに。
奇妙な胸騒ぎがするが、とりあえず内容を確認しないうちは何とも言えない。
少しばかり震える手で封を開き、中から便箋を取り出して……そこで、コンスタンスの表情は凍り付いた。
王太子が綴ったのは、祝いでもなければ、嫌味の類いでもない。
ただ、非常に簡潔な言葉だった。
『逃げろ!』




