ある悪役令嬢の断罪
かつては龍と共にあったというおとぎ話の残る、ティリア王国。
歴史ある荘厳な佇まいの王宮の、煌びやかな大広間にて催されていたのは舞踏会。
妙なる音楽が奏でられ、着飾った紳士淑女が笑いさざめきながら手を取りあい踊る中。
不意にあがったのは、似つかわしくない険しい叫び声だった。
「コンスタンス・ウィンスタット公爵令嬢! 今日この時、この場をもってお前との婚約を破棄する!」
不穏な宣言に驚いた人々が一斉に視線を向けた先には、向き合う男女の姿がある。
片方は、燃えるような赤い色の髪をした、とある身分のものだけに許された正装を纏う青年。それと対峙するのは、瑠璃色のドレスを纏う、青みを帯びた銀髪の令嬢である。
令嬢の冷たい眼差しは青年と、彼の横にある……彼に肩を抱かれている少女に向けられていた。
怯える少女は、可憐な容貌をしているというのに、蒼褪めてしまって半ば凍り付いているではないか。
扇で口元を隠しながら暫し黙してその様子を眺めていたコンスタンスを呼ばれた令嬢は、やがて大仰に肩を竦めながら溜息を吐いた。
「……何の冗談でございましょうか、トラヴィス王太子殿下。このような公の場で」
咎めるような視線を向けたまま、あくまで冷静な声音で言葉を紡ぐコンスタンス。
鋭いとさえ言える視線に押されたように肩が揺れた王太子を見て、僅かに眉が寄る。
しかし、すぐに表情をそれまでのものに戻して、コンスタンスは続けた。
「この婚約は、王家と公爵家の間で取り決められたもの。先の王妃様……殿下の御母上のたってのご希望によるものですわ。殿下の一存で破棄できるはずがございません」
トラヴィスは先の王の息子、そして現在の王の養子という立場を以て王太子となった青年であり。コンスタンスとは数年前に婚約を交わしていた。
国内の政治的なものを鑑みて決まったものでもあるが、亡くなった先王の妃であるトラヴィスの母が、息子に確かな後ろ盾をと願い実現したものでもある。
つまりコンスタンスとの婚約を破棄するのは、彼の母の願いを無碍にするにも等しい。
指摘する言葉に、またもトラヴィスの肩が僅かに揺れ。それを見たコンスタンスの眉が更に寄る。
しかし、自分を叱咤するように咳払いをした後、トラヴィスは朗々とまくしたてた。
「私の可愛いクレアに対する数々の罪……。嫉妬故に、数多の嫌がらせを繰り返していたことは明らかになっている! そのような女を未来の王妃と出来るものか! 私は真実の愛に目覚めたのだ!」
トラヴィスの言葉に、今度は少女……クレアの肩が跳ねたかと思えば、目に見えて震えはじめた。
顔色などもはや無いに等しい。しきりにトラヴィスに何か言いたそうだが、もはや言葉を紡ぐどころか声を出すことすら出来ない様子である。狼狽えた様子の眼差しが、トラヴィスとコンスタンスの間を行ったり来たりするばかり。
「何故、私がクレア様にそのような事をする必要が? 嫉妬など……存在を気にしてすらおりませんのに」
クレアは王族の姫ではあるが、とある『事情』を抱えていた。それ故に、国内有数の権門の長女であるコンスタンスにとって敵になり得ないと思われていたが……。
今の状況からして、トラヴィスの心はコンスタンスではなく、完全にクレアにあるのは明らか。コンスタンスがクレアに対して嫉妬を抱き、危機感を覚える程には十分な程に。
今にも倒れそうな程に怯えたクレアの肩を抱き、何故か自身も顔色が陰って見えるトラヴィスは、コンスタンスを指さしながらなおも叫んだ。
「その冷たい眼差しも、寒々しい髪色も! このような状況でも落ち着き払って可愛げのない様子も、本当に忌々しい!」
朱を帯びた琥珀の激しい眼差しが、コンスタンスに向けられていた。
コンスタンスは、無言のまま佇んでいる。
氷を思わせる薄い青の瞳に感情を伺える色はなく、青みを帯びた銀色の流れる髪は広間の豪奢な明かりに照らされて冴え冴えと輝いて。深い瑠璃色のドレスに身を包んだ彼女は、氷を彫り上げた花を思わせる風情だった。
激しい糾弾の言の葉にも、それは少しも揺らがない。あくまで、冷徹とすら思える程に落ち着いたままだ。
「このような状況でも、顔色一つ変えないなんて……」
「まるで、今流行りの物語の……『悪役令嬢』ですわね……」
居並ぶ人々が、眉をひそめて囁き合う。
上流階級にて人気の物語に登場するのが、真実の愛にて結ばれた想い合う主人公たち。
そしてそれを引き裂こうと主人公にありとあらゆる卑劣な真似をするのが『悪役令嬢』と呼ばれる令嬢である。
人々はその物語になぞらえて、確かに想い合っているトラヴィスとクレアを、真実の愛で結ばれた主人公たちに。コンスタンスを、二人を阻む『悪役令嬢』と称しているのだ。
「嫌がらせなど……覚えがございませんわ。クレア様に、わたくしがそのような真似をする価値など」
「まだそんな事をいうつもりか!」
クレアの肩を抱く手に力を込めながら、トラヴィスはコンスタンスの『悪行』を次々と並べ立てる。
持ち物を損なうなどの嫌がらせをした他、嘘を教え倉庫に閉じ込めた。
社交界に慣れないクレアに対して過度に厳しい態度を取とった。取り巻きの令嬢たちを使ってクレアに関する良からぬ噂を流した。
果ては、階段から突き落とすといった具体的な加害に及んだ。
証拠は、と問えば出てくるのは証言者たち。
コンスタンスがクレアに対して為した嫌がらせの数々に関して、蒼い顔をした彼ら彼女らは目撃した事を口々に語った。
声音こそ震えていたが、その内容に矛盾らしきものはない。事情を知らぬ第三者も、次第に険しい眼差しをコンスタンスに向けるようになっていく。
「真実かどうか、怪しいものですわ。わたくしを排除するために、クレア様が仕組まれたのでは……?」
「……もう止めろ」
刺繍が美しい扇で口元を隠したまま微かな揶揄交じりに言うコンスタンス。
手が微かに震えているのは、気のせいではない。言葉こそクレアを侮っているものの、それは本意ではないのだと気づくものは少なくない。
尚も嘲るように続けようとしたコンスタンスを遮ったのは、冷徹な男性の声音だった。
コンスタンスは、弾かれたようにそちらを見る。
漸く、動揺した様子のコンスタンスが視線を向けた先には、厳しい表情の壮年男性の姿があった。
「お、お父様……」
「殿下、クレア姫、申し訳ございません。この場を治めるためにも、娘と共に退出することをお許しください。事の真偽は、後日の詮議を」
コンスタンスの父であるウィンスタット公爵だった。
公爵は、トラヴィスとクレアに丁重に頭を下げると、コンスタンスを睨み据えながら謝罪を口にする。
味方であるはずの父の思わぬ言葉に、コンスタンスの表情から余裕が消える。
狼狽えた様子で父に縋りながら、コンスタンスは悲痛な声にて訴えた。
「お父様は、わたくしが卑劣な真似をしたと信じてらっしゃるの……!? 何故、クレア様などをわたくしが……」
「それ以上醜態を曝すな。……連れていけ」
公爵は自分の腕に縋る娘を冷たく振り払い、周囲に控えた従者たちに短く命じる。
命を受けた従者たちに半ば引きずられる形で歩き出したコンスタンスは、抗いはしていたものの、やがてその場から消えていく。
大広間から退出する直前、一度だけコンスタンスとトラヴィス達の視線が交わった。
何か言いたげな、言葉に依らず何かを伝えようとする眼差し。
けれど何を言いたかったのかは、ついに人々には分からないままだった。
「随分、派手にやったものだね……」
物陰にて呆れたような、感心したような笑みをこぼした人物がいたことも、誰にも気づかれないまま……。
その日を境に、稀代の悪役令嬢ことコンスタンスは社交界からも、人の前からも姿を消す事となる。
彼女がクレアに対して行った嫌がらせは事実であるとされ、王太子トラヴィスとの婚約は解消された。
人々は、口々に自分が耳にしたコンスタンスの噂をこれでもかと口にしながら、高慢な悪女と謗る。
不祥事を起こしたとして、コンスタンスは公爵家からも勘当され。命こそ永らえたものの、罪状故に王都からも追放されてしまう。
嫉妬ゆえに狂い悪行を重ね、結果として断罪された悪役令嬢は、居場所を失った。
暫くの間、人々の間では物語と共に彼女の話題が頻繁に語られていたが、それもやがて過去の話となり。
悪役令嬢コンスタンスの名は、そのまま人々から忘れられていくかと思われた……。




