魔法使いの王妃様
実質的に一択の選択を迫られてから、一か月の後。華々しい結婚式を挙げ、コンスタンスは王妃となった。
王の結婚式となれば準備だけで年単位かかるはずなのに、驚きのあまり言葉を失う程に完璧な準備がなされていて。心変わりする暇も、躊躇する暇も欠片もない程円滑に、式は恙なく終わった。
かつての悪役令嬢が王妃、という事で物申す者達があると思ったが、少しもそのような声はなく。むしろ、コンスタンスの濡れ衣が晴れた事を喜ぶ声ばかりが聞こえる有様だ。
あまりに何もかもが順調に整えられていて、ルーファスが如何に入念に根回ししていたかが……どれだけ周到にコンスタンスを王妃に迎えようとしていたのかを察して、背筋の凍る思いがする程だった。
そんなコンスタンスは、現在王城の大広間にある。
そこでは、国王の成婚を祝しての盛大なパーティが催されていた。
王妃としての眩い正装に身を包み、かつて婚約破棄を申し渡されたはずの場所にて、人々と歓談していた。
着飾った紳士淑女は、先を争うように彼女の元に訪れては祝福を口にする。
次から次へとやってきて美辞麗句を並べ立てる人々に内心では既に辟易しながらも、コンスタンスはあくまでも優雅な微笑みを崩さぬまま感謝を返していた。
傍らには、ルーファスの乳母であったという女官長の姿がある。
二年の間宮廷を離れていたコンスタンスに、差し出た真似にならぬように配慮しつつ、随時情報を与えてくれるのが有難い。
ルーファスはルーファスで重臣たちに取り囲まれて、祝福の嵐の只中のようだ。
これは暫く終わりそうにない、と密かに覚悟を決めた時だった。
「おめでとうございます、王妃殿下」
意味ありげに感じる声音で紡がれた祝福の言葉に、コンスタンスは軽く目を瞬く。
そちらに目をやれば、濃い深紅のドレスを纏う、黒髪の実に美しい女性の姿がある。
男性の目を惹きつけて已まないほどに艶やかに麗しく、魅惑的。淑やかな微笑みの奥底に、蠢く何かを感じてしまったのは多分気のせいではない。
コンスタンスは、努めてにこやかに相手の名を呼んだ。
「ハシェット男爵夫人」
この女性は、数年前に爵位を得た新興の男爵家の当主夫人である。名を、確かシェイラと言ったはずだ。ただし、男爵夫人とはいうものの、結婚した直後に夫を亡くしているため、今では未亡人であるのだが。
人々に倣うようにシェイラも此度の成婚を祝う言葉を尽くし、コンスタンスが宮廷に戻ったことを喜んで見せる。
言葉の端々に滲むある意思を感じてしまい、気を抜くと表情が白けたものになりそうなのを必死で堪えながら聞いているコンスタンスに気づいているのかいないのか。
シェイラは、大輪の花が開いたかのような華やかな笑みを浮かべて、言った。
「国王陛下に是非ともお妃を、と常々願っておりました。こうして、素晴らしい王妃をお迎えになられて、大変嬉しく思います」
言葉をそのままとれば、ただの祝福。
しかし、コンスタンスにはシェイラの心の声が聞こえたような気がした。
シェイラは、優雅に一礼すると人々の中へと消えていく。
その後ろ姿を見送りながら沈黙していたコンスタンスに、僅かに遠慮がちな女官長が声をかけた。
「あの方は、その……」
「隠さなくていいわ。……知っているから」
コンスタンスが宮廷を離れる前からあの女性が変わっていないというのなら、そういう事なのだろうとコンスタンスは内心で溜息を吐いた。
あの妖艶な未亡人が、国王の側を狙っているのは二年前から周知の事実だった。
彼女も、本当は王妃となりたかったのだろうが、既婚であるが故にそれは叶わない。
なれば側室を、と思っても、ルーファスはそもそも王妃を定めていない。この国においては、妃を定める前に側室を有することは慣例で許されていないのだ。
しかし、王が妃を持ったならば、側室の地位を狙うのが可能となる。正妃でないなら、未亡人という立ち位置でもそうまで問題視はされない。
言葉通り、彼女にとって王妃が定まったのは「嬉しく思う」事なのだ。
シェイラを例えるならば艶やかに咲く大輪の花。ただし、毒の棘を有する危うい……。
コンスタンスは、そこまで考えて扇の下で深い溜息を吐いた。
そのような考えを抱いているのは、あの女性一人ではない。同じように側室におさまることを望むのは、あと何人いるだろうか。この大広間にいるだけでも数人あげられる。
彼女達の願いは王の寵愛を受けて男児を産み、その子を時代の王に据える事だろう。
コンスタンスとしては、別に側に女性を置いてもらっても構わないと思う。
だが、ルーファスはそもそも自分を中継ぎであると長きにわたって宣言していた。
彼が王妃に望む役割の一つに、恐らくは能動的な『虫よけ』があると気づいている。
社交の場にて影響力を有し、彼を狙う女性達を牽制する事。それもまた、契約により求められる王妃の役割だ。
盛大に溜息を吐いて呆れたいのを必死で堪えていたコンスタンスは、歩み来る人影の気配を感じてそちらに視線を向けて。
そして、表情がやや強張ってしまう。
コンスタンスの前まで来て足を止めたのは、かつて見慣れていたはずの壮年の男性。
見慣れていたどころか、日常目にしていた、彼女を取り巻いていた世界を構成する人物でもあった。
コンスタンスは緊張が滲む笑みを浮かべて、相手に向き直る。
「お久しぶりでございます、ウィンスタット公爵……」
そう、そこに立っているのはウィンスタット公爵。つまりは、コンスタンスにとって血の繋がった実の父である。
ただ、現在の二人は親子であるとは言えない。
コンスタンスは、既に公爵家から勘当された身であるという理由から、ルーファスの大叔母に当たる大公妃の養女という身分で嫁ぐ事となった。
故に、あくまでコンスタンスと公爵は、公の場においては王妃と臣下という事になる。
だからと言って、血の繋がりや、かつての思い出を無かったものに出来る訳でもないのだが……。
「王妃殿下。此度の御成婚、臣下として心より祝福させて頂きます」
固く低い声で紡がれた祝いは非常に形式的であり、他人行儀。
少しばかりそれに棘のような痛みを覚えるものの、無論表に出す事はしない。
公爵はあくまで淡々と名門当主としての威厳を以て、臣下としての礼を尽くしている。
そこに何の個人的な感情が伺えないのが、寂しいなど思っても仕方ないから。
言葉は祝福していても、それが本心でないのが伺える気がした。
父は、コンスタンスに対して思うところがあるばかりではなく、恐らくは彼女を選んだ国王に対してそもそも思うところがあると知っている。
この人は、先々代……ルーファスの父の異母兄弟にあたる、れっきとした王族だった。
ルーファスと同じように側室を母に持つが、些か生まれたタイミングが悪かった。それ故に、後の禍根とならぬようにと公爵家に養子に出されたのだ。
何を思っているのか本人の口から聞いた訳ではないが、ルーファスを快く思っていないというのだけはわかる。
巡り巡って、今では国王とは対立する派閥の頭角。表立った対立ではないものの、事あるごとに国王を牽制するように動いていた。
娘を先王の遺児であるトラヴィスの妃に差し出したのも、ルーファスから王統をつなげないため、彼の後ろ盾になろうという意図があったと囁く声も多い。
記憶にある限りでは、父が笑ったところを見た事がない。
父にとって、自分も弟妹たちも等しく政略の駒であるのだと思う……。
「……無理だけはするな」
「え……?」
聞いているふりをして物思いに耽っていたコンスタンスの耳に、不意に囁きが飛び込んでくる。
微かな驚きと共に聞き返した時には、既に公爵は礼を残して立ち去るところ。
呆気にとられたコンスタンスを置いて、公爵もまた居並ぶ人々の中に消えていった。
暫しの間、コンスタンスは父が消えた方向を見つめていた。
空耳だったのだろうか、と思っても今はそれを確かめようがない。
人々はなおも祝いを口にする為に、彼女の元に歩み寄る。王妃としてその対応をせねばならないのだから。
そう思いながら俯きかけた顔を上げようとした時だった。
「皆、そろそろ私に王妃を返してくれないか?」
「陛下……」
不意に肩に手を回されて引き寄せられたかと思えば、気づいた時にはコンスタンスはルーファスに寄り添う形となっていた。
抱き寄せられた形となっていて、頬が彼の胸に触れている。
あまりに近しいところでルーファスが確かに生きている証の音を感じて、コンスタンスの鼓動が微かに早まった。
人前で、と軽く抗議をこめて見上げても、ルーファスは微笑んだまま少しも動じない。
もう一つの問題は、というよりある意味彼女にとって最大の問題はこの王である。
仮初の関係ということであれば、形式的な態度でいいはずだ。
だが、この男性は容赦なく愛を囁き、表してくる。
人前であるならば関係を不自然に思われないためかと思うのだが、この人は事情を知らぬ人間が他に居ない時であっても同様の態度。
まったく容赦ない溺愛を浴びせる上に、コンスタンスが少しでも自分以外の男性と接していればゆらりと陽炎のようなものを纏っている。おかげで、男性の対応する時は細心の注意を払わなければならない。
「さあ、コンスタンス。私と踊ってくれるかな?」
手を差し伸べながら、ルーファスは朗らかに笑いながら手を差し伸べてくる。
ダンスの始まりを告げるのは、王と王妃。
その倣いに従うべく、コンスタンスは内心の溜息を押し隠しながら、彼の手にそっと自分の手を乗せた。
コンスタンスの手をとりルーファスは歩み始め、二人は静かに広間の中央に進む。
人々の注目が一心に集まる中、二人はゆったりと踊り始めた。
巧みなリードに身を任せて流れるように足を運び、優雅に身を翻し。くるり、くるりと回り、滑らかで美しい軌跡を描きながら。音楽に合わせて、二人は離れ、また手を取り。
久しぶりのダンスに心が我知らずのうちに高鳴るのを感じていた時、それは聞こえた。
――魔法使いの王妃様、と。
音楽が奏でられる中で、聞き間違いと思う程の微かな囁きだった。
けれど、それは漣のように密かに広まり行き、確かにそこに存在している。
コンスタンスにとって敵対する立ち位置にある人間は、早々と彼女がユールにて修行していたことを……魔法使いとなった事を調べ上げたのだろう。
王国にて倦厭される存在でありながら王の妃となったコンスタンスを貶める為に、静かにそれを広めようとしているのだ。
祝福に満ちた眩く煌びやかな場は、けして明るいものだけではない。その裏には確実に暗いものが蠢いている。
優雅に踊りながら、微笑みの影にてコンスタンスは特大の溜息を吐いた。
愛妾の座を狙う女性達に、コンスタンスの父を筆頭とした王の政敵たち。
契約による仮初の関係のはずが、容赦なく溺愛してくる王。
困難は山積み、前途多難。進む道は、どう見ても茨道。
けれど……。
(何もしないうちに、負けを認めたくない!)
元々、コンスタンスは自分が負けず嫌いだという自覚はある。
確かに、この場にあるのは脅しにも似た契約によるもので、流されるように辿り着いたとも言える。
だが、その選択肢を選んだのは自分だ。自分が、受け入れると決めたのだ。
自分にとって大切なものと、これからを守りたいと願うから。
駆け抜けた先に願い続けていた世界があるというのなら、茨など幾らでも踏み抜いて進んでやる。
次第に一つ一つの動作が緩やかになっていき、やがて音楽が余韻を残して止まった。
直後は恍惚とした表情で見入っていた人々は、我に返ると揃って手を打ち鳴らし、言葉の限りに王と王妃を讃え始める。
拍手と歓声を聞きながら、コンスタンスはその場を微笑みながら見つめていた。
光あれば影もある。
その言葉通りに様々なものを帯びた賛辞の声を聞きながら、彼女は心の中にて宣言するように独白した。
――こうなったら全力でやってやる、と……。
その夜が、かつて悪役令嬢と呼ばれた魔法使いの王妃が、期間限定の契約にて奮闘する日々の始まりだった――。




