94話、アヴァロンの試練25
絶望が戦場を塗りつぶし、怪物が一歩、また一歩と抵抗の術を失った彼女たちに死の足音を近づけようとした。
その瞬間―――
シュッ、と鋭い空切音が静寂を切り裂いた。
直後、アヴァリスの側頭部に強烈な衝撃が走る。
それは魔力を一切含まず、ゆえに「徴収」も「検知」も不可能なただの小さな礫だった。
しかし、放たれた一撃は音速を超えて弾丸のことき破壊力を持ってアヴァリスの頭部を正確に打ち抜いた。
「.......なに?」
不意を突かれたアヴァリスが大きくのけぞる。
礫が飛んできた方向へ息を切らしていたエリーとアクアが驚愕と共に視線を向ける。
そこには瞳を怒りと悲しみで湿らせ、静かに指先を構えるイスカの姿があった。
「みんなを.....みんなをいじめないで!!」
イスカは声を震わせてながら怪物に叫んだ。
「……イスカ…………?」
「だめ!逃げて、イスカちゃん!」
エリーとアクアが絶望的な声を絞り出し、少女に退避を促す。
しかし、イスカは動かない。
その小さな体からは今まで見たこともないような静謐でいて同時に荒ぶるようなプレッシャーが立ち上っていた。
「……なんだ、ガキ。俺とやるのか?」
アヴァリスの濁った瞳が獲物をエリーたちからイスカへと変える。
怪物の巨体がゆっくりと少女へ歩み寄る。
その一歩ごとに洞窟が揺れて、死の予感が濃くなっていく。
(怖い……足が震えて、逃げ出したいくらい。でも……)
イスカは倒れ伏す仲間たちの姿を一人ずつ目に焼き付けた。
共に笑い、共に食事をし、血の繋がりはなくともエドラ、サリー、スノウ、アリア、フリード、ヴァイル、エリー、アクアは彼女にとってスカイホークの皆は代えがたい「家族」だった。
(みんなを守れるのは……私しかいないんだ!)
イスカは覚悟を決め、大地を強く踏みしめた。
アヴァリスが嘲笑と共にその巨大な拳を振り下ろす。
それに対してイスカは少女のあまりにも細く小さな拳を真っ向から怪物へと突き出した。
子供の無力で虚弱なパンチ。
この場にいた誰もがアヴァリス自身でさえもそれが無残に弾き飛ばされる未来を疑わなかった。
――しかし、現実はその予想を無慈悲に裏切る。
ドオオオオオンッ!
肉体同士の衝突音とは思えない空間そのものが軋むような衝撃音が洞窟内に轟いた。
「……な、がぁ……ッ!?」
次の瞬間、驚愕の表情を浮かべたままアヴァリスの巨体が「くの字」に折れ曲がった。
子供のパンチなどという理屈を遥かに超越した理不尽なまでの破壊エネルギー。
一撃を受けたアヴァリスはそのまま弾丸のように後方へ吹き飛び、背後の岩壁を何枚も突き破りながら暗がりの奥底へと姿を消した。
静寂―――。
誰もが言葉を失い、信じがたい光景を見つめていた。
ただ一人、小さな拳を突き出したままの少女だけが鋭い空気を吐き出しながら怪物がいなくなった虚空を睨み据えていた。
あまりの光景に倒れ伏していたエドラたちが信じられないものを見るかのように目を丸くする。
「……………そうか。イスカは容姿こそ母親似だけど、その規格外の身体能力は……父親である団長の遺伝なんだな!」
エドラが呆然と呟く。
怪物をも凌駕するその筋力。
伝説的な強さを誇った父親の血が少女の細い体の中に脈動していることを改めて見せつけられた瞬間だった。
「イスカちゃん……今のは一体……………………? 」
アクアが頬を引き攣らせながら、恐る恐る尋ねる。
するとイスカは、自分の拳を不思議そうに見つめながら少し照れたように首を傾げた。
「えっと・・・・お母さんから、教えてもらったの。たしか、身体強化の魔法たって・・・・・・」
(いや、魔法の気配なんて微塵もしなかったぞ、それはもう、完全に『素』の力なんじゃないか・・・?
その場にいた全員の心が一つになり、無言のツッコミが脳内を駆け抜けた。
「・・・・・本当に、魔法なの?」
念押しするように尋ねたエリーにイスカは素直に頷く。
「うん。お母さんが「これを唱えれば力が湧いてくるわよ」って…」
(マーリンさん、いくらなんでも適当すぎだろ!)
魔法使いである母親マーリンが娘の異常な怪力を「魔法」だと思い込ませて誤魔化していたのは明白だった。
あの規格外の父親にしてこの奔放な母親あり。
「……まあ、あの団長とマーリンさんの娘さんだもんな」
全員が深い溜息と共に妙に納得してしまった。
深い暗闇の底。
何枚もの岩壁を突き破り、堆積した瓦礫の中からドロリとした殺意が這い出してきた。
「この・・・・・・・ガキィィィィ! 殺してやる、八つ裂きにしてやるぞォ!」
憤怒にまみれた絶叫。
現れたアヴァリスの姿はもはや人間の原型を留めていなかった。
右腕の肥大化は限界を超えて全身の血管が浮き出て、どす黒く変色している。
文字通りの「怪物」が、理性をかなぐり捨てて戻ってきた。
その禍々しい威圧感に、洞窟が再び激しく震え出す。
しかし―――
「…ふぅ。ここまでしぶといと、もはや感心するな」
エドラが震える足で立ち上がり、再び剣を正しく構えた
その口元には絶望を脱した者の不敵な笑みが浮かんでいる。
「これだけ化け物じみているなら、疑う余地はない。”魔王の残骸”そのものだって、確信が持てるよ」
エドラは残された全魔力を剣に注ぎ込んだ。
一か八か、ダメもとの賭け。
だが、確信はある。
剣の身が激しい輝きを放ち、収束した光の刃――『光銃剣』へと姿を変える。
魔王の右腕が唯一「徴収」できない、猛毒の光だ。
立ち上がったのはエドラだけではない。
サリーが、スノウが、アリアが――――。
満身創輿のスカイホークたちが互いに支え合うようにして起き上がり、アヴァリスの前に揺るぎない壁として立ち塞がった。
「イスカ。いいか」
アリアがイスカの肩にそっと手を置き、優しく、けれど断固とした意志を持って彼女を自分たちの後方へと促した。
「今のお前なら、その力で石を投げるだけでも、私たちの最高のサポートになる。そして私たちがあんな怪物にお前に触れさせないように全力で倒す!いいな!」
「・・・・・・・はい!」
イスカは力強く頷いた。
まだ幼い少女を前線に立たせたくないというアリアたちの親心にも似た配慮。
「エリー、アクア!イスカを守りながら後方で私たちの補助を頼む!」
アリアはそのままエリーとアクアにイスカを預けると共に補助を頼む。
エリー、アクアはそのまま無言で頷く。
それを汲み取り、イスカは後方で再び礫を握りしめた。
「さあ、清算の続きを始めようか。海賊船長さん!」
エドラの号令と共に、極光の剣が闇を切り裂く。
スカイホークの真の反撃が、今ここに幕を開けた。




