84話、アヴァロンの試練12
彼は、裂けた胸口から溢れる血を撒き散らしながら、顔に下卑た笑みを貼り付けたまま突進を開始した。
その足取りは重戦車のように力強く、一歩ごとに腐葉土が爆ぜる。
「……化物め!」
アリアは恐怖を即座に闘志へと変換して再びラカムの正面へと立ち塞がった。
彼女の手元で銀の槍が、生き物のようにうねり始める。
「ハァ!」
鋭い呼気と共に、銀光の連撃が放たれた。
一突き、二突き―――
瞬きする間もない神速の点穴。
アリアの槍はラカムの喉元、肩、脇腹、そして先ほど貫いた胸の傷口を正確無比に穿っていく。
だが、ラカムは止まらない。
肉を削がれ、骨を突かれようとも、その歩みは一切の衰えを見せなかった。
それどころか、傷を負うたびにその眼光は狂気を増していき返り血で顔を赤く染め上げながら、アリアの鼻先まで肉薄する。
「おらぁぁっ!」
槍の雨を潜り抜けたラカムが、血に濡れたカットラスを大きく振りかざした。
肉を断つ不吉な風がアリアの首筋を撫でる――コンマ数秒前、フリードの左目が輝きを放った。
アリアの姿が掻き消えて彼女がいた空間に一基のヘプタグラムが逆転するように出現した。
ラカムの豪腕が振り下ろしたカットラスは、無人の空を切り裂き、代わりに現れた結晶体へと空しく叩きつけられる。
直後、入れ替わったヘプタグラムがラカムの至近距離で眩い閃光を放った。
凝縮された星のマナが腹部を正面から焼き、ラカムの体躯をわずかに押し戻す。
「……すまない、フリード」
数メートル離れた安全圏に転移したアリアが、槍を構え直して短く告げた。
「謝る必要はない。だが、奴は恐らく自己治癒、あるいは肉体変異の魔法を使っている……。迂闊に間合いに入るのは危険だ!」
爆炎を突き抜けて再び立ち上がるラカムの姿をフリードは冷徹に観察し続けていた。
心臓を貫かれても、星のマナで腹部を焼かれても、この男の闘志は衰えないようにさえ見える。
「俺の左目でお前を完全サポートする。アリア、お前は攻撃を続けながらアイツの力の『理屈』を探ってくれ。必ずどこかに綻びがあるはずだ!」
「了解だ」
フリードの落ち着いた指示を受けたアリアは静かに頷くと再び嵐のような殺気を纏って踏み出した。
フリードは片手で、まるで宙を撫でるように滑らかに指先を動かした。
その優雅な挙動に連動し、周囲を漂っていたヘプタグラムたちが一斉にその鋭角をラカムへと向ける。
「墜ちろ!」
フリードの静かな宣告が響くと同時にヘプタグラムの核から凝縮された星光のレーザーが幾重にも交差してラカムを目掛けて一気に射出された。
「あァ!? 邪魔な星だな、コイツは!」
ラカムは舌打ちを漏らすと唸りを上げるカットラスを盾のように振り回して全方位から迫る光線を力任せに叩き落としていく。
火花が散り、熱波が大気を震わせる中、ラカムの意識がわずかに魔法の防御に削がれた。
その隙をアリアが見逃すはずもなかった。
「……そこだ!」
アリアは低く身を沈めると爆風を突き抜けてラカムの懐へと滑り込んだ。
リーチを最大限に活かした長い槍の穂先が再び銀の雷光となってラカムの死角を穿つ。
一度、二度――。
光線の防御に追われるラカムの反応をアリアの精密な突きが上回る。
裂傷から新たな鮮血が舞い、戦場には金属音とラカムの荒い息遣いだけが響き渡った。
その瞬間――。
「が……はぁっ!?」
完璧にラカムを捉えたはずの視界が、不意に激しく揺らいだ。
フリードは、背中にめり込むような鈍い衝撃と肺の空気を一気に絞り出されるような激痛に襲われた。
何者かが死角から肉薄して彼の身体を背後から力任せに拘束したのだ。
「……っ、馬鹿な!」
痛みの先へ混乱する意識を振り絞って視線を巡らせる。
フリードが見たものは、あまりにも現実離れした光景だった。
前方では、間違いなくアリアの猛攻をその身に受けているラカムがいる。
それなのに、今まさに自分の腕を掴んで押し付けてきているのは――紛れもなく、もう一人の「ラカム」だった。
「もう一体……だと!? 分身など、気配すら……!」
「後ろを貰ったぁ!!」
驚愕に目を見開くフリードを他所に背後のラカムは己の腕でフリードの腕を極めると容赦なくその身体を宙へと跳ね上げた。
逆転する視界。
抵抗する術を与える間もなくフリードは強烈な背負い投げによって腐葉土の地面へと叩きつけられた。
「――っ、フリード!?」
相棒の悲鳴にアリアが振り返るが目前のラカムがそれを許さない。
「よそ見してんじゃねえよ、ネーチャン!」
胸に穴の開いた怪物が、狂喜に満ちた咆哮と共にそ足を振り抜きって無防備なアリアの腹部を力任せに蹴り飛ばした。
「ぐ……あぁぁっ!」
衝撃波を伴う一撃が、アリアの身体を木の幹まで吹き飛ばした。
背中に走る激痛と、喉の奥からせり上がる血の味。
それでも彼女は叩きつけられた衝撃を逆に利用するようにして、泥塗れの地面を転がりながら距離を取った。
(どういうことだ……? 気配も魔力も全く同じ奴がもう一人……。双子? いや、それならフリードの『目』が捉えられないはずがない。これもアイツの魔法だというのか……!?)
視界が火花の散るように明滅する。
朦朧とする意識の中で、アリアは必死に現状を整理しようと試みた。
だが、思考を完成させる時間は与えられない。
どさり、という重い足音が目前で止まった。
視線を上げるとそこには血濡れたカットラスを肩に担ぎ、見下ろすように立つラカムの影があった。
「いい根性してんじゃねえか。なあネーチャン、どうだ? 無駄死にするより、今この場で俺の女になっちまえば、命ぐらいは助けてやるぜ!」
下劣な欲望を隠そうともしない笑みが、アリアの鼻先にまで近づく。
その汗臭さと血の匂いに、彼女は意識を鋭く研ぎ澄ませた。
「悪いな、お前の顔はタイプじゃないんでな.....」
アリアは、口内に溜まった血を唾棄するように吐き捨てた。
槍を杖代わりに震える足でゆっくりと立ち上がる。
その瞳には、絶望など微塵もなかった。
ただ、獲物を確実に仕留めようとする狩人のような鋭く青い光だけが宿っていた。
「もう一回、力であんたを押さえつけないとなぁ!」
ラカムが嘲笑と共に再びカットラスを振りかざした、その刹那。
地を這うフリードの声に呼応してアリアの足元の影が蒼白く爆ぜた。
アリアの身体と、ラカムの頭上に展開されたヘプタグラムが瞬時に位置を入れ替える。
「何っ!?」
振り下ろした刃が空を切り、ラカムの体勢が大きく崩れた。
その直後だった。
ラカムの背後からさらに離れた茂みの中から微かな、だが異常に不吉な「葉擦れの音」が響いた。
立ち上がったばかりのフリードと、着地したアリアの感覚が同時にその「異物」を捉える。
「フリード!」
「ああ分かっている、アリア! そこだ!」
フリードが左目を限界まで見開いて残されたマナを一点に集中させる。
アリアとへプタグラムが再び入れ替わる。
「はああぁぁっ!」
着地と同時にアリアが繰り出したのは、渾身の突きではない。
槍の遠心力を乗せ、石突きで茂みの奥に潜む『ナニカ』を粉砕せんとする一撃だった。
ガツン、と肉を打つ生々しい感触。
茂みが激しく揺れ、そこから転がり出てきたのは――信じがたいことに、またしても、笑みを浮かべた三人目の「ラカム」であった。
「な……ぜ、俺が本体だとバレた……っ!?」
不意を突かれた三人目のラカムは、衝撃に頭を抱えながら憎悪と戦慄の入り混じった目でアリアを凝視した。
「最初は確かに騙された。でも、冷静に観察すれば『違和感』だらけだ」
アリアは槍を鋭く旋回させて切っ先をラカムの喉元へ突きつけた。
同時に、背後からは立ち上がったフリードが静かに歩み寄り、ラカムの退路を完全に断つ。
その左目は、今や暗闇の中でもはっきりと視認できるほど青白く燃え上がっていた。
「複数体の偽物を同時に、かつ精密に操るなら、本体は必ず近くに身を潜めて意識を集中させなきゃいけない。俺の星は、単なる攻撃魔法じゃない。俺の星は目の役割になっているからお前を特定することができたんだよ。……もう、隠れても無駄だ」
フリードの宣告が、絶望に染まり始めた森に響き渡った。
「「もう終わりだ」」
二人の声が重なった。
一斉に放たれた星のマナがラカムの周囲を檻のように囲い、回避不能な光線がその体躯を貫く。
絶望的な包囲網の中、アリアの放った石突きが逃げようとするラカムの眉間に容赦なく叩き込まれた。
「が、は……っ!」
強烈な衝撃にラカムの意識は白濁し、その身体は糸の切れた人形のように力なく腐葉土の上へと沈んでいった。




