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勇者の弟子  作者: ヤス
祝祭の夜
71/96

71話、親父たちの仁義なき戦い

祭りの熱気が渦巻く通りは、溢れんばかりの人波で埋め尽くされていた。

あちこちの屋台から立ち昇る香ばしいソースの匂いや威勢のいい呼び込みの声。


その喧騒の中を多くの家族連れが縫うように歩いている。


子供たちのエネルギーはこの祝祭の夜をさらに色鮮やかに染め上げていた。

色とりどりの水飴をねだって動かなくなる子、射的の景品に目を輝かせて親の服の裾を強く引く子、あるいは人混みの隙間を縫って無邪気に駆け回る子――。


大人たちはそんな自由奔放な小さな主役たちに手を焼き、振り回されながらもどこか楽しげに目を細めている。


その賑わいの中に、アーサー一家の姿もあった。


「おかあさん、アレ食べたい!」


娘のイスカが、弾むような声で一軒の屋台を指差した。

その無垢な瞳は鉄板の上で弾けるソーセージの音に釘付けになっている。


「ホットドッグね!」


母マーリンは笑って頷き、期待に頬を上気させる愛娘の手をしっかりと握り直した。

そんな母娘が笑顔でお祭りを楽しむ傍ら、一家の主であるアーサーだけはだらだらと冷や汗を流して浮かない顔をしていた。

愛する妻子の弾むような声が、今の彼には死刑宣告の鐘の音のようにすら聞こえる。


(……金が、ない)


懐の財布は、驚くほど軽い。

元罪人であるフリードをアリアのためにスカイホークへ入団させた。

それはいい。

だが、上司であるナタリアに啖呵を切ってまで強引に押し通した代償はあまりにも重かった。


「給料6 割カット、4ヶ月間」


その処分のダメージがこの最も華やかで最も出費がかさむ祝祭の夜に、最悪のタイミングで襲いかかってきたのだ。


(家族サービスのために、マーリンとイスカを連れては来たが……これは想像以上にキツいな)


アーサーが内心で血を吐くような思いをしていると不意に視界の端で何かが揺れた。


「はい! おとうさんの分」


端を見ればイスカが自分のホットドッグを一本、差し出してくれている。

一家の深刻な懐事情など知る由もない彼女はただ純粋な思いやりで大好きな父親に一番のご馳走を分け与えようとしていた。


「あ……あ、ありがとう、イスカ」


(やめろ!その純粋さを俺に向けるな!心が痛む!)


娘の純真な優しさが、今のアーサーにはどんな刃よりも鋭く胸に刺さる。

情けなさと愛おしさでさらに心がキリキリと痛んだ。


「ねえ、おかあさん!次は輪投げしたい!」


「あら、いいわよ。はい、これ輪投げ代ね」


「わあい、ありがとう!」


アリアから手渡された硬貨を握りしめて、イスカは弾んだ足取りで輪投げの屋台へと駆け出していく。

その後ろ姿を見送りながらアーサーはついに空になった財布を握りしめて天を仰いだ。

そんな彼のボロボロになった心に、追い打ちをかけるようなささやきが届く。


「アーサー、個人クエストで私が稼いだお金がまだ十分残っているから、大丈夫よ。今日は私が……」


隣にいたマーリンが彼の懐事情を察して、気遣わしげにそっと声をかけてきた。

夫のメンツを潰さないよう周囲には聞こえない小さな声だ。

しかし、その慈愛に満ちた優しさが今の彼には何よりも辛い。


「やめてくれ……。なんだか、父親として男としての威厳がどんどん消えていく気がする……」


顔を覆いたくなるような羞恥心に襲われながら、アーサーは力なく首を振った。

家族のために格好をつけたい盛りの父親にとって妻の慈悲は時に毒薬よりも強力に自尊心を削り取っていく。

お祭りの賑やかな音も今の彼には遠く、むなしく響くだけだった。


そんな時だった。

ひときわ大きな野次馬の歓声が絶望の淵にいたアーサーの耳を打った。

視線を向けると広場の一角に急ごしらえの舞台が組まれた屈強な男たちが唸り声を上げている。


「腕相撲大会」の会場だ。


柱に貼られた薄汚れた張り紙には、今のアーサーにとって神の啓示にも等しい言葉が躍っていた。


『腕相撲大会・優勝賞金:金貨500枚』


(金貨……500枚だと……!?)


この国の貨幣価値は、銅貨一枚が百円、銀貨が千円、そして金貨一枚が概ね一万円といったところだ。

金貨500枚といえば日本円にして実に500万円。

給料カットで路頭に迷いかけている今のアーサーからすれば、喉から手が出るどころか魂を売ってでも手に入れたい巨万の富である。


「捨てる神あれば、拾う神あり……か」


アーサーの死んだ魚のようだった瞳に、ギラリとした執念の炎が宿る。

なりふり構っていられる状況ではない。

彼はマーリンに「ちょっと見てくる」とだけ告げると金に目が眩んだ……もとい、家族の未来を勝ち取るために猛者たちが集うリングへと飛び入り参加を決めるのだった。


「さぁて、次の挑戦者は――! 謎の鉄仮面、アルトゥール氏だぁぁ!!」


司会者の威勢のいいマイクパフォーマンスと共に、ステージの上に一人の男が姿を現した。

……どこから調達したのか、頭には場違いなほど重厚な騎士の兜を深々と被っている。

首から下は先ほどまでと同じ町娘の父らしいアーサーの格好だが、頭部だけがガチガチの重装歩兵という異彩を放つ姿に会場はどよめきと笑いに包まれた爆発的な盛り上がりを見せた。


「……何やってんのよ、あの男は」


マーリンは、舞台の上で「これなら絶対に正体はバレない」と言わんばかりに自信満々な構えをとる鉄仮面を凝視して盛大に溜息をついた。

隠したつもりの偽名もその独特の歩き方もマーリンの眼をもってすれば一目瞭然である。


隣で不思議そうにステージを見上げるイスカが、「おとうさんに似てるねぇ」と無邪気に呟くのを聞きながらマーリンは額に手を当ててただ呆れ果てるしかなかった。


一方、ステージ上のアルトゥールもといアーサーは軽く肩を回して緊張をほぐすとリング代わりの巨大な木樽の前に立った。

武骨な肘を木目に食い込ませるようにして突き立てて対戦相手を見据える。


「さあ、来な。いつでもいいぞ」


兜の奥から響く声はかつて数多の戦場を潜り抜けてきた男の重厚さを帯びていた。

対峙する男もまた、丸太のような腕を持った荒くれ者だ。

彼はアーサーを威嚇するように鼻を鳴らすと岩のような拳を握り、がっしりと手を組んだ。


「レディーーー……ファイトッ!」


司会の激しい号令が飛んだ瞬間、二人の前腕に猛烈な力が込められた。

ミシミシ、と土台の樽が悲鳴を上げる。

アーサーの脳裏には空っぽの財布とイスカの無垢な笑顔、そしてマーリンの優しすぎる視線が過った。

それらすべてが、今の彼の右腕を突き動かすガソリンとなる。


司会の激しい号令が飛んだ瞬間、アーサーの脳裏を支配したのはもはや元勇者でも団長でも家族への愛でもなかった。


(お金お金お金お金お金ぇぇぇぇッ!!)


それは生活苦という名の地獄から湧き出した、ドロドロとした執念の叫び。

その瞬間、アーサーの右腕は人の域を超えた。

凄まじい衝撃音が響き、対戦相手の巨漢が反応する間もなく、彼の拳は樽の天板を粉砕せんばかりの勢いで叩きつけられた。


「勝者、アルトゥールッ!!」


勝負は、文字通り一瞬で終わった。

何が起きたのか理解できず、呆然と自分の手を見つめる対戦相手を尻目に、アーサーはすでに次の「賞金(ターゲット)」を見定めていた。


それからのアーサーは、まさに鬼神の如き強さだった。

湧き上がる「生活費」への渇望を原動力に持ち前の超人的な筋力で並み居る猛者たちを次々と瞬殺してトーナメントの階段を猛スピードで駆け上がっていく。

観客たちの熱狂的な声援を受けながらも鉄仮面の男の心にはただ一つの文字――「金」だけが刻まれていた。


そして、決勝戦―――

壇上に上がりアーサーの前に立ちふさがったのは、共に魔王を倒したかつての仲間であり、サリーの父ランスロットだった。

兜の奥で、アーサーは思わず素の声で絶叫した。

よりによって一番会いたくない、そして一番手の内を知り尽くしている相手の登場に背筋を冷たいものが走る。


「げえ!お前かよ!」


「アーサー、お前が身分を隠すようになるとはな....」


「お前は隠さなくていいのかよ!つか、なんでお前参加してんの?」


「サリーへの仕送りと妻への結婚記念日に向けての資金調達だ」


「.....なるほど、お互い家族の為に参加したという訳か」


両者肘を突き立てると試合のゴングが鳴る。

お互い、ギルドの長でありながら子を持つ父親同士。

その譲れない意地と執念を乗せた腕の重みに土台の巨大な木樽はミシミシと激しく震えていた。


「おい、手加減してくれないか?勇者様よぉ」


ランスロットは額に冷や汗を流しながらも、かつての冒険を思い出すような不敵な笑みで軽口を叩いた。


「お前こそ、俺以上に稼いでんだから今すぐ辞退しろよ。この一等功労者め!」


「うるさい!お前の所に預けているサリーが、そっちでひもじい思いをしないように仕送りは必須なんだよ!親の務めだろうが!」


「……少しは勇者のギルドを信用しろよ!」


「信用はしているさ。だが、聞けばギルド抗争で一ヶ月も活動停止になったっていうじゃないか。それ以来、不安で仕送りの額を増やさざるを得なかったんだよ!」


「う、うぐっ……! それは……」


「こっちは生活費がカツカツで死活問題なんだよ!頼むから見逃してくれ、ランスロット!」


「いいや、断る!お前のことだ、どうせまたナタリアの奴を怒らせてそんな羽目になったんだろ!完全に自業自得だ!」


「言うに事欠いて自業自得だと!?これでも俺は家族のために……ッ!」


お互いに拮抗し、限界まで膨れ上がった筋肉が軋みを上げる。

木樽が激震し、衝撃波が舞台を揺らす。観客たちは、目の前で繰り広げられる伝説の再来とも思える次元の違う攻防に息をすることさえ忘れて見入っていた。


だが、その執念の純度においてわずかにアーサーが上回った。

娘の差し出したホットドッグの温かさが、右腕に爆発的な出力を与える。


「……悪いなランスロット!俺には、今夜どうしても買わなきゃならん輪投げの景品があるんだよぉぉぉ!!」


アーサーは雄叫びと共に、さらなる出力を解放した。

ランスロットの腕が弾き飛ばされるような勢いで一気に叩きつけられる。

凄まじい衝撃音が広場に響き渡り、勝敗は決した。


――その後ずっしりと重い賞金の袋を抱えたアーサーはどこか魂が抜けたような、それでいて深い安堵に満ちた顔で舞台を降りた。


(……これで四ヶ月は何とか生活できる。マーリンにも、イスカにも、ひもじい思いをさせなくて済むんだ)


懐に収まった金貨五百枚の重みが、今は何よりも頼もしい。

兜を脱ぎ捨てて、何食わぬ顔で家族の元へ戻ると目を輝かせたイスカが真っ先に駆け寄ってきた。


「おかあさん、あの鉄仮面の人、凄く強かったよ! おとうさんにちょっと似てた!」


「ははは……そうか。お父さんじゃないぞ、あの方は、知り合いのアルトゥールさんが『お祝いに』ってこれをくれたんだよ」


アーサーはどこから出したのかも怪しい言い訳を並べながら、景品のおもちゃをイスカに手渡した。

その場しのぎもいいところだが、本人は完璧に演じきっているつもりである。


(……バレバレなのに、まだその設定を続ける気なの?)


背後で冷ややかな視線を送るマーリン。

その瞳には夫の情けなさと家族を守り抜いた不器用な献身への呆れが混ざり合っていた。

彼女は心の中で深くため息をつくと、静かに、しかし確かな慈しみを込めてその背中を見守るのだった。

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