70話、アリアとフリード
色とりどりの提灯が夜道を照らし、屋台からは香ばしいソースの匂いと威勢のいい声が響いている。
その喧騒の中をフリードとアリアはあてどなく歩いていた。
「楽しいな。……あの地獄を経験した俺たちが、こんなに明るくて平和な場所にいるなんてな。今でも信じられない」
フリードが漏らした言葉は、賑やかな祭囃子に溶けて消えそうだった。
アリアは隣で足を止めて並ぶ屋台の灯りに目を細める。
「そうだろうな。私やスレイも、初めて祭りに来たときは同じだった。自分だけが浮いているような、妙な落ち着かなさを感じたものだ」
「……アリア。あの採掘場にいた他の連中とは、今でも連絡を取り合っているのか?」
フリードが横顔を覗き込むように問いかける。
その視線に気づいたアリアは一瞬だけ視線を泳がせた後、力なく首を振った。
「最初は、何人かと手紙のやり取りをしていたんだが……大人になってからはぱったりだ。誰も連絡を寄越さないし、私も送らなくなった」
「......そうか」
「お互い、これ以上あの場所を掘り起こしたくないんだろう。……記憶の中でも、現実でもな」
アリアの声は静かだったがそこには拒絶よりも痛みを分かち合った者特有の諦観が混じっていた。
「……みんな、幸せに生きてくれるといいな」
祈るような独り言とともにフリードは夜空を見上げた。
吸い込まれそうな深い紺色の中に祭りの明かりが反射している。
「幸せだよ。きっと。……そうであってもらわないと困る」
アリアもまた、フリードの視線をなぞるように顔を上げた。
二人が足を止めて感傷に浸るように空を見上げていた。
「おいおい、そこのお二人さん!そんなところで月を眺めてる暇があるなら、ちょっと寄っていかないかい!」
背後から飛んできた濁った声に二人は肩を揺らして振り向く。
そこには、赤い法被を着た小太りの男がニヤニヤと笑いながら手招きしていた。
派手な看板に目を向けるとそこにはおどろおどろしい血文字のような書体で『お化け屋敷』と書かれていた。
「お化け屋敷か……」
フリードは禍々しく描かれた看板の幽霊をじっと見つめる。
「そうさ! 熱々のお二人さんには、是非ともこの未知の世界を堪能してもらいたいね。愛が深まること間違いなしだよ。どうだい?」
「ふん、熱々だと?……くだらない。こんな子供騙しの見世物、バカバカしくて話にならん。行くぞ、フリード」
アリアは店主を鼻で笑うと、早くこの場を立ち去ろうとフリードの袖を軽く引っ張った。
だが、引かれたはずのフリードの足は地面に根を張ったように動かない。
その目は、期待に満ちた少年のように看板に釘付けになっていた。
「アリア、せっかくのオフなんだ。ちょっとくらい、こういう『遊び』を体験してみてもいいんじゃないか?」
「なっ……正気か? こんな低俗な娯楽に付き合っている暇などないと言っているだろう!いいから、とっとと行くぞ!」
アリアは顔を赤くして声を荒らげるが、フリードはどこか楽しげな表情で頑として動こうとはしなかった。
それどころか、彼は何かを思い出したようにニヤリと口角を上げる。
「そういえばお前、昔は相当な泣き虫だったもんな。ガキの頃、幽霊が怖くて一人でトイレに行けないって俺に泣きついてきたのはどこのどいつだっけか?」
「……っ! いつの話を掘り返している! あれは私がまだ幼かった頃の失態だ!今はもう違う!」
「へえ、本当にそうか?じゃあ、なんでそんなに必死に逃げようとしてるんだ?本当は、今でも幽霊が怖くて足がすくんでるんじゃないのか?」
フリードはわざとらしく鼻で笑い、試すような視線をアリアにぶつけた。
「そ、そんなはずはないだろう!……ふん、いいだろう。そこまでお前が情けなく私に同行を請うというのなら、まあ付き合ってやらないこともない」
アリアは頬を強張らせながら精一杯の威厳を保って言い放った。
だが、その声がわずかに震えているのをフリードは見逃さなかった。
「よし、言質は取ったぞ。……親父、大人二人だ」
「あいよ、まいどあり!勇気あるお二人さんに、最高の恐怖をプレゼントするよ!」
アリアが「やっぱり……」と口を開きかけた瞬間には、フリードは手際よく会計を済ませていた。
物理的にも心理的にも逃げ道を完全に塞がれたアリアは引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
「まあ、スカイホークの副団長殿ならこの程度の子供騙しは大したことないよな」
「ま、まあな。当然だ。……お前の気が済むならどこへなりと案内しろ」
アリアは震える喉を鳴らして答えた直後、すかさずフリードの背後に回り込んだ。
そして、彼の服の袖を布がちぎれんばかりの力でギュッと握り締める。
フリードはお構いなしに不気味な軋みをあげるお化け屋敷の重い扉を押し開けた。
一歩足を踏み入れれば、そこは祭りの喧騒が嘘のようなひんやりとした静寂と暗闇の世界だ。
カツン、カツンと板張りの廊下に二人の足音だけが空虚に響く。
「……おい、アリア」
「なんだ」
「スカイホークの副団長様がなんで俺の後ろを歩いてんだよ。おまけにさっきから、袖を握る力が強すぎて腕の血が止まりそうなんだが」
「う、うるさい!これは戦術だ!背後は最大の死角だからな。信頼できる者が殿を務め、お前の後ろを完璧に守ってやっているんだ!」
暗闇の中で、アリアの声が上ずっているのが丸分かりだった。
背後を守るどころかフリードを盾にして一歩も前に出ようとしないその様子にフリードは込み上げてくる笑いを必死にこらえながら少しだけ歩幅を緩めてやった。
直後―――
薄暗い通路の壁が激しい音を立てて弾け、白装束を纏った不気味な幽霊が二人の鼻先に飛び出してきた。
「おお、びっくりした」
「―――ひゃ、キャッ!?」
不意を突かれたアリアは、短い悲鳴とともにフリードの背中に顔を埋めるようにして身を屈めた。
その声は戦場での彼女からは想像もできないほど高く可愛らしい「乙女の声」だった。
フリードの肩が堪えきれない笑いで小刻みに震えだす。
「アリア……お前、今……」
「何も聞いてない!いいか、お前は今の声を一文字たりとも聞いていなかった!復唱しろ、命令だ!」
アリアはフリードの背中に顔を押し付けたまま真っ赤になって喚き散らす。
先ほどまでの「死角を守る」という理屈はどこへやら、彼女はフリードという最強の盾を必死に手放そうとしなかった。
「分かった分かった。俺は何も聞いてない」
「よし、ならいい……」
安堵の溜息を吐いたのも束の間。
それから出口に辿り着くまでの間、アリアのプライドは完膚なきまでに叩きのめされることとなった。
天井からぶら下がる生首に足元を這い寄る手首、そして背後から追いかけてくるスカルマン。
そのたびに通路にはアリアの悲鳴が木霊し、彼女はフリードの背中にしがみついては「不意打ちは卑怯だ!」「槍があればおまえなんぞに!」と支離滅裂な叫びを繰り返した。
フリードは腕に伝わる彼女の震えと必死すぎる反応を骨の髄まで堪能した。
そして、最後の一枚戸を勢いよく開けるとそこには夜風が吹く祭りの通りが広がっていた。
眩しいほどの提灯の明かりと人々の賑わい。
「面白かったな。なあ、アリア?」
フリードが愉快そうに振り返った、その瞬間。
「フリード……キサマァァァァッ!!」
顔を真っ赤に染めて屈辱と恐怖で瞳をうるませたアリアが猛烈な勢いでフリードの胸ぐらを引き寄せた。
祭りの喧騒さえも一瞬でかき消すような怒気と羞恥の入り混じった絶叫だった。
「ハハハ、悪かったってアリア。そんなに怒るなよ」
フリードは観念したように両手を上げて穏やかな顔で彼女を宥めた。
詰め寄ってくるアリアの体温や激しい呼吸の音、そして目に涙を溜めて怒鳴り散らす彼女の姿。
そのすべてが愛おしくてフリードにとっては、これ以上ないほど幸せなひと時だった。
(スレイ……見てるか。俺が犯した罪の償いとして、俺は生きているアリアの隣に立ち続ける)
フリードは心の中で、今は亡き友に静かに語りかけた。
(彼女を幸せに導くこと。それが、俺にできる唯一の答えだ。だから、いつかそっちでお前に会って、ちゃんとした償いができるその時まで……もう少しだけ、待っていてくれ)
フリードの眼差しは祭りの光を浴びていつまでも優しくアリアを見つめ続けていた。




