69話、路地裏に棲む汚い野良犬
大通りに面したカフェのテラス席。
ヴァイルとエリーは絶え間なく人が行き交う雑踏をぼんやりと眺めていた。
「人が多いな……。これだけひっきりなしだと、見てるだけで疲れちまう」
ヴァイルが毒づくように言うと隣のエリーがくすりと笑って応えた。
「そりゃあ、お祭りだもの。仕方ないわよ」
エリーは冷えたカップを傾けながら楽しげに雑踏を見つめている。
「ヴァイル、本当はこういう賑やかな場所、嫌いなんでしょ」
「嫌いというより……。あいにく、関心できる性質じゃなくてな」
「自分の『仕事』には不似合いだって?」
エリーの瞳がいたずらっぽく光る。
ヴァイルは視線を雑踏に戻して、自嘲気味に鼻を鳴らした。
「なら決まり! せっかくだから、もっと近くで楽しもうよ」
エリーは弾かれたように席を立つと制止する暇も与えず会計へと足早に向かった。
「あ、おい、待て!」
飲みかけのカップを気にする余裕もなく、ヴァイルは慌てて腰を浮かせた。
人混みの向こうへ逃げるように消えていくエリーの背中を追って、彼は雑踏の中へと足を踏み出した。
その時――。
先行するエリーの背を追っていたヴァイルの足が不自然に止まった。
無数の通行人が行き交う喧騒の隙間から、針で刺すような鋭い視線が自分に向けられている。
(……殺気)
標的をエリーからその視線の主へと切り替える。
ヴァイルは群衆の中に潜む違和感を見定めると、彼女とは正反対の不穏な空気が渦巻く方向へと歩き出した。
祭りの喧騒が遠のく。
薄暗く、湿った冷気が停滞する人気のない路地。
そこから放たれるあからさまな殺気の源へとヴァイルは迷わず踏み込んだ。
路地の奥、影の溜まり場にその男はいた。
ヴァイルが来るのを確信していたかのように退屈そうに壁に背を預けている。
「よぉヴァイル。久しぶりだな」
その声が響いた瞬間、路地の空気はさらに一段と温度を下げた。
「……あんな殺気を隠しもせず飛ばすのは、お前くらいだ。ユーリ」
ヴァイルは警戒を解かぬまま影の中に立つ男の名を呼んだ。
ユーリと呼ばれた男は低く、愉悦を孕んだ笑い声を漏らす。
「ハハハ、裏世界で泥をすすって生きてきた相棒がまだ正規ギルドなんて『おままごと』にしがみついてるのか。笑わせるなよ」
「……今のギルドは半ば強制的な契約だ。俺の意志じゃない」
「ハハッ、なんだそりゃ。鎖に繋がれた野良犬か?」
「まあ、そんなとこだ」
ユーリの嘲笑をヴァイルは無表情に受け流した。
「それで、何の用だ。わざわざこの街まで挨拶に来たわけじゃないだろう」
「正規ギルドの犬に成り下がったアンタの手なんて出来れば頼りたくなかったが……どうにも、お前のその『腕』を頼るしかねぇヤマにぶち当たっちまってさ」
ユーリの瞳から余裕の混じった嘲笑が消えてじりじりとした焦燥が顔を出す。
その重苦しい沈黙の中で、ヴァイルの脳裏に今の自分を繋ぎ止めている者たちの声が響いた。
『汚れ仕事ばっかり優先してたら、そのうち身を滅ぼすわよ!』
お節介なほど明るい、エリーの叱咤。
『俺はな、お前が罪の意識に腐って闇に落ちちまったら、寝覚めが悪くてかなわん』
不器用なほど真摯な、アーサーの言葉。
それらの言葉は彼の中に深く打ち込まれた「楔」として働き、暗い深淵へと引きずり込もうとするユーリの視線を押し返した。
ヴァイルは一度目を閉じて決然と首を横に振る。
「……断る。正規ギルドとの契約がある以上、手を貸せない」
「そうか。……まあ、無理を承知の上での頼みだからな。ヴァイルがそう言うなら分かっていたさ」
「すまない」
ユーリが短く吐き捨てて闇に背を向けようとしたその時だった。
「どこ行った!」
「探せ! この近くにいるはずだ!」
不意に闇の奥から荒々しい怒号が響き渡る。
複数の足音が石畳を叩きながら急激に近づいてくる。
そんな中、ユーリはヴァイルを突き放すように叫んだ。
「――コレは俺一人で片付ける。ヴァイル、お前はさっさと退け! 今のアンタには、守らなきゃいけねぇ『幸せ』があるだろ!」
自分を囮にしてでも旧友を逃がそうとするユーリの背中をヴァイルは一歩前に出て追い越した。
「……あいにく、俺の辞書に『見捨てて逃げる』という文字はなくてな。それにこれは『仕事』じゃない。ただの悪友の頼みだ」
上着の袖をまくり、ヴァイルは手の傷口から溢れ出した赤黒い血を硬質化した手鎌へと変質させて構えた。
「喜んで手伝ってやる。手間賃は高くつくぞ」
「ヴァイル……お前が相変わらずのバカで安心したよ」
呆れながらもどこか嬉しそうにユーリが笑う。
路地の入り口に敵の影が差し込んだ瞬間、かつての「悪ガキ二人」が同時に地を蹴った。
戦闘は一瞬だった。
路地の暗がりに赤黒い閃光が走り、鈍い打撃音と短い悲鳴が数回重なる。
再び静寂が戻った路地でヴァイルは手鎌を血の飛沫へと戻して傷口を拭った。
ユーリは肩をすくめて上着に付いた埃を無造作に払い落としながら口を開く。
「……悪いな。元々個人で受けた端金のクエストだったんだが、ちっとばかり予定が狂っちまってね」
ユーリは路地の奥をちらりと見て、煙草をくわえた。
「仕事を片付けて去ろうとした時にさ、監禁されてた子供を見つけちまったんだ。放っておくには寝覚めが悪すぎるだろ? だからそのガキを連れ出して騎士団の所まで行くように言い聞かせて逃がした。俺は追っ手の目を逸らすための派手な陽動役ってわけだ」
その軽薄な口調とは裏腹に、ユーリの瞳には「裏世界」に身を置きながらも消せなかった僅かな正義感が滲んでいた。
「……そういうお前も相変わらずのバカで安心したよ」
ヴァイルは手鎌を生成した手の甲を眺めて自嘲気味に笑う。
「15歳になるまでずっとクソみたいな地獄で二人そろって泥を啜って生きてきた。……今更、お前のそのお節介が治るとは思ってなかったがね」
「ハッ、違いないな」
ユーリは紫煙を細く吐き出して眩しそうに路地の入り口……その先にある祭りの光を見つめた。
「まぁ、かつての相棒が真っ当に社会なんぞに貢献してる姿を見れた。……それだけで、今日は収穫ありだ。あっちの連中を待たせてるんだろ。さっさと行けよ、ヴァイル」
「……お前は、この先どうするんだ、ユーリ。……お前さえ良ければ、スカイホークに来いよ。推薦くらいはしてやる」
ヴァイルの誘いにユーリは鼻で笑って首を振った。
「あいにく、縛られるのは御免だね。ギルドの会費を引かれるより気ままに個人で小銭を稼いでる方が俺には性分に合ってる。経済的にも、ね」
「そうかい。なら、無理には誘わん」
ヴァイルは短く応じると、一転して柔らかな笑みを浮かべた。
「次は仕事じゃなくてプライベートで会いたいね。酒でも飲みながら、ただの友人として馬鹿騒ぎをしたい」
「……そりゃ名案だ」
ユーリは一度だけ片手を上げるとそのまま路地の奥へと消えていった。
薄暗い路地を抜け、再び祭りの熱気が渦巻く大通りへと戻る。
目に染みるような陽光と人混みのざわめきの中、ヴァイルは少し進んだ先で周囲をキョロキョロと見渡しているエリーの姿を見つけた。
「ヴァイル! ちょっと、どこに行ってたのよ……って、なんでそんなに身なりが汚れてるのよ! 何があったの?」
駆け寄ってきたエリーは彼の服についた埃や乱れた襟元を見て、目を丸くして詰め寄る。
ヴァイルは彼女の剣幕に少しだけ肩をすくめて静かに自分が今出てきたばかりの暗い路地の入り口を振り返った。
「……汚い野良犬が襲われてたから、少し助けてやっただけだ」
「野良犬? ったく、あなたもお人好しなんだから。早く行きましょう!もうパレードが始まっちゃうわよ!」
エリーに腕を引かれてヴァイルは苦笑しながら歩き出す。
背後に残した影の中、あの野良犬が不敵に笑っているような気がして彼は再び自嘲気味に鼻を鳴らした。




