68話、小さな抵抗
同じ頃――
人波が絶え間なく飛び交う大通りではアクアとスノウの二人が立ち並ぶ屋台を冷やかして歩いていた。
「これ、美味いな! アクアもどうだ?」
祭りの熱気に誘われてかスノウは普段よりもいくぶん浮き足立った様子で買い込んだ串焼きを頬張っている。
そんな彼の自然体な振る舞いを他所に隣を歩くアクアの心境は、さながら大嵐の真っ中心にあった。
心臓の鼓動が耳元まで聞こえてきそうなほどのパニック状態だ。
(はわわわわ、ス、スノウさんと二人っきり・・・・・・! 夢じゃないですよね。これ、どうしよう。何を話せばいいんでしょう、はわわはわわわ!)
スノウが美味しそうに食べ歩きを楽しむ「日常」のすぐ隣で、アクア一人だけが「非日常」の緊張感に飲み込まれている。
周囲の喧騒すら遠くに感じるほど、アクアの意識は隣を歩くスノウの存在一点に集中してしまい足元がおぼつかなくなるのを必死で堪えていた。
(と、取り敢えずスノウさんの串焼きを頂かないと・・・・・・!)
「い、頂きます・・・・・っ!」
アクアは、スノウが無造作に差し出してきた串焼きに小さな唇でそっと噛みついた。
(はわわわ!こ、これって・・・・・・・・スノウさんからの『あ〜ん』ですよね!? 幸せすぎて、私、このまま天に召されてしまいそうです・・・・・!)
「う、う、美味いです・・・・・・! こんなに美味しいもの。生まれて初めて食べました・・・・・・・・・!」
「だろ! 美味しいだろこれ! 脂が乗ってて最高なんだよ!」
アクアが感動のあまり半べそをかいていることにも気づかず、スノウは自分の串焼きを満足げに振り回している。
彼のどこまでもフランクな態度が、アクアの暴走する妄想にさらなる拍車をかけていくのだった。
(ああ、この幸せが、ずっとこのまま続いてくれたら・・・・・・)
二人っきりのこの時間が永遠に溶けてしまえばいいのに。
アクアがそんな淡い祈りを捧げていた。
その時だった。
「――おいおい。まさかと思ったが、アクアじゃねえか」
不躾でどこか粘ついた声が背後から投げかけられた。
「あはは、本当だ。鈍臭いアクアじゃない。何、まだギルドなんてやってたの?」
耳に届いた言葉の毒に、アクアの身体が氷を押し当てられたように強張る。
恐る恐る振り返るとそこには見覚えのある顔ぶれが立っていた。
かつて、ギルド『オルトロス』に在籍していた頃の同期たちだ。
「・・・・・・誰だ。こいつら?」
スノウが串焼きを片手に訝しげな表情で彼らを睨む。
アクアは震える声を絞り出してようやくそれだけを伝えた。
「あ、あの……オルトロスにいた頃の……その、同期の人たち、です……」
「あんたら……。何かウチのアクアに用でもあるのかよ」
スノウの鋭い視線に一瞬たじろきながらも男たちは卑屈な笑みを浮かべて言葉を繋げた。
「またそうやって強い奴の傍に張り付いて……相変わらずだなアクア。お前みたいに運だけで残った奴を見てると、こっちは反吐が出るんだよ」
男たちの下劣な嘲笑に、アクアは胸を突かれたように顔を背ける。
かつて浴びせられ続けた「のろま」という蔑称が祝祭の夜を黒く塗りつぶしていく。
不穏な火花が祭りの喧騒の中で散り始めていた。
だが――アクアの脳裏に、今の自分を形作っている大切な記憶が閃いた。
『お前は、あれだけのものを使いこなしていた。だから俺は今こうしてお前の前に立っている』
かつてスノウが真っ直ぐな瞳で自分に贈ってくれた言葉。
その温かさが、凍りついたアクアの心に小さな火を灯した。
「わ、私は……っ、弱く…ない....です!」
震える唇を必死に噛み締め、アクアは顔を上げて同期たちを真っ向から見据えた。
声はまだ細く、指先は小刻みに震えている。
それでも彼女の瞳には確かに拒絶の意志が宿っていた。
「はあ? 今なんて言った、このノロマが!」
男の一人が、予想外の反撃に顔を真っ赤にして詰め寄る。
「……嘘に決まってんだろ! お前はただの出来損ないなんだよ! 調子に乗ってんじゃねえぞ!」
怒号と共に男が大きく腕を振り上げた、その瞬間だった。
「――っ、がああああっ!?」
男の足元に、雷に打たれたような衝撃と激痛が走った。
反射的に視線を落とした男は、自分の目を疑った。
石畳を買いて自分の靴の先を正確に射抜く竹串だ。
さっきまでスノウが持っていたはずのただの竹串だった。
「……あ、悪い。手が滑った」
スノウのわざとらしいほど無造作にけれど氷のように冷ややかな瞳で男を見つめていた。
その表情には申し訳なさなど微塵もなく、むしろ「次は外さない」という静かな威圧が籠もっている。
「テメ、テメェ……ッ! わざとだろ、今の!」
痛みと恐怖を怒りで塗りつぶそうと男がスノウの胸ぐらを掴み上げた。
周囲の喧騒が嘘のように静まり返り、一触即発の火花が散る。
「――なあ、あんた知ってるか。本当に弱い奴っていうのはな、あんたみたいに誰かを貶めることでしか自分を保てない奴のことを言うんだよ」
スノウの声は低く、そして驚くほど静かだった。
胸ぐらを掴んでいる男の手がその冷徹なプレッシャーに無意識のうちに震え始める。
「な、なんだと……っ!」
「本当に強い奴はさ、他人の足引っ張ってる暇なんてないんだよ」
スノウが足元に微かな魔力を流した直後―――周囲の気温が急激に氷点下へと叩き落とされた。
パキパキという硬質な音と共に石畳から鋭い霜柱が牙を剥くように隆起する。
逃げる間もなく男の脚は膝下まで瞬時に凍結して地面へと縫い付けられた。
「オイ、弱虫よく聞け!これ以上……スカイホーク の仲間を貶すんなら、お前らを全身凍らせて粉砕させるぞ!」
「ひ、ぎっ!?あ、足が……動かない……っ!」
男の顔から血の気が失せ、今度は怒りではなく本物の恐怖がその瞳を支配した。
「ヒ、ヒィィィィーーッ!!」
それまで勢いよく野次を飛ばしていたもう一人の男も仲間の無残な姿とスノウから放たれる殺気にも似た威圧感に完全に腰を抜かしていた。
彼は凍りついたまま絶叫する仲間を一顧だにせず、もつれる足を必死に動かして、蜘蛛の子を散らすように人混みの奥へと逃げ去っていった。
「す、スノウさん、ありがとうございます!……スカイホークに入ってから私、スノウさんに助けられてばかりで……本当にごめんなさい」
男たちが去った後、アクアは安堵と申し訳なさが入り混じった表情で深々と頭を下げた。
自分の不甲斐なさが大好きな彼の穏やかな時間を汚してしまったのではないか。
そんな思いが胸を締め付ける。
「気にするな。人間、持ちつ持たれつだろ?」
スノウはそう言って、カラッとした笑顔を見せた。
凍りついていた空気が一気に解け、祭りの喧騒が再び二人を包み込む。
「……ありがとうございます!」
(私も……もっともっと強くなりたい。いつか、スノウさんを守れるくらいに、彼の隣に立っても恥ずかしくないくらい、強くなってみせます!)
アクアの心に宿った決意の炎が彼女の瞳を以前よりも強く輝かせた。
そう彼女が未来へと思いを馳せた、まさにその直後のことだった。
「おお、スノウ!何してんだ、こんなところで」
雑踏の向こうから、聞き馴染みのある朗らかな声が届く。
ひょっこりと顔を出したのはスノウの兄であるニクスだった。
「兄貴!兄貴も祭りに遊びに来たのか?」
「ああ、折角の祝祭だからな。お前が仲良くやってるみたいで安心したよ」
ニクスはそう笑いながら、二人の横へと歩み寄ろうとする。
「アクア紹介するよ。俺の兄貴のニクス、ホワイトベアの副団長してる。兄貴、彼女はアクアで―――」
「……おいおい弟が、まさかこんな可愛い彼女を連れてくるとはな!」
「………え?」
「ふぇ…!?は、はわわわわわ!! か、かかか、彼女!?今、彼女っておっしゃいましたか……っ!?」
耳まで熱く、頭の中は「彼女」という文字が下で回転して思考回路が完全にショートしてしまう。
「おい兄貴、何勘違いして……」
スノウが苦笑いしながら訂正しようとするがもはやアクアの耳には届いていない。
彼女は目を白黒させながら、言葉にならない叫びを心の中で上げ続けていた。
(スノウさんの、かの……彼女!?夢、ですよね!? これも祭りの魔法ですか!? はわわわわ、心臓が止まってしまいます――っ!)
幸せと混乱の極致。
そんな中雑踏の中から―――
「ニクス副団長!どこ行った!」
「ニクス出てこい!」
警護をサボっているニクスを探しにゾインとリベーナが怒声を上げる。
「兄貴....まさか仕事サボってるのか...?」
「こんな楽しい行事に仕事なんて無理だろ」
「オイオイ副団長ならしっかりしてくれよ兄貴....」
(お兄さんから..… スノウさんの彼女扱い.....はわわわ)
アクアの祝祭の夜は、別の意味でさらなる大嵐へと突入していくのだった。




