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勇者の弟子  作者: ヤス
祝祭の夜

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65話、父を尋ねて

あれは、私がアーサーと旅を始めてから24歳になった頃のこと。

二人であの深い森に足を踏み入れる一ヶ月ほど前から私の体はどこか重く、すっきりしない日が続いていた。


けれど、私はそれをアーサーには決して悟らせまいと決めていた。

波の旅の足取りを乱したくなかったし、何より、彼に余計な心配をかけたくなかった。


だが、今思えばあの時、私の中にはすでに「イスカ」という小さな命が宿っていた。


静かな森の奥、木々のざわめきの中で突如として私を襲ったのは、激しい悪阻(つわり)と、早すぎる陣痛の兆しだった。

立っていることさえままならなくなった私を見たアーサーは、焦燥に駆られた様子で抱きかかえてようやく見つけた巨大な樹洞へと運び込んだ。


アーサーが必死の形相で医者を探しに樹洞を飛び出してから、三十分ほどが経っただろうか。

一人残された私の意識が朦朧とする中、不意に暗い樹洞の奥から柔らかな光が溢れ出した。


それは凍えた指先を溶かすような不思議な暖かさを伴っていた。


五分ほども経った頃、その眩い灯がすうっと小さくなり代わりにカツン、カツンと硬い足音が響いた。

光の残滓の中から現れたのは背の低い、けれど逞しい体つきをした者たち。


「おい。見ろ。こんなところで人間が倒れておるぞ、それも・・・・・・・おお、なんと、新しい命を宿した母親ではないか」


低く、地響きのような、けれど慈愛に満ちた声が聞こえた。


「しっかりしろ、我らの通り道に迷い込むとは、案ずるな。ドワーフの里で悪いようにはせん」


彼らは、この森の深奥に住まうドワーフだった。


苦しげな呼吸を繰り返す私を見つけると彼らは無骨な手で、しかし驚くほど優しく私を介抱してくれた。

そして私を、彼らの秘められた里へと連れて行ってくれた。


ドワーフたちの献身的な介抱を受けて私は彼らの隠れ里で無事にイス力を出産した。

それは、地底の熱に守られた安らぎの地での出来事だった。


産声を上げたばかりのイスカをドワーフたちはまるで自分たちの宝物のように、煤けた顔をほころばせて喜んでくれた。


それから、私とイスカの体力が十分に回復するまでの間私たちはドワーフたちの真心尽くしのお世話になった。

彼らが淹れてくれる薬草の茶と、静かな森の恵み。


あの時、暗い樹洞で一人震えていた私がまさかこのような場所で温かく迎えるとはあの時のアーサーには想像もできなかったことだろう。

体調がすっかり良くなった私は、ドワーフたちに幾重もの感謝を伝えて娘のイスカをしっかりと背中におぶった。


あの樹洞を抜けてアーサーが待っているはず、あるいは私を必死に探しているであろう地上へと帰るために。

しかし、里の出口である樹洞の結界を前にしたとき私は思わぬ宣告を受けることとなった。


「すまぬな、娘よ。あそこの樹洞は、ドワーフ以外の者が通り抜けるには『10年に一度、たった一日だけ』という厳格な制約があるのだ」


「え.....そんな.....」


長老の静かな、しかし無慈悲な言葉に私は凍りついた。

私たちが迷い込んだあの日は、奇跡的にその一日だった。


そして次に門が開くのは、10年後一一。

つまり、私たちは人間界に帰る術を失ったのだ。


背中に感じるイスカの体温が急に遠く、切ないものに感じられた。


イスカと共にドワーフの里に閉じ込められた私は目の前が真っ暗になり、激しい絶望に打ちひしがれた。

外で私を待ち続けているであろうアーサーを思うと胸が張り裂けそうだった。


けれど、そんな私を救ってくれたのは、やはりドワーフたちの変わらぬ優しさだった。


「嘆くことはない。この子は我らと共に、この豊かな土と火が育ててやろう」


彼らは途方に暮れる私たちを温かく迎え入れ、まるで血を分けた家族のように接してくれた。

私は決意した。

この穏やかな地下の里でドワーフたちに知恵と力を借りながら、イスカを立派に育て上げよう。


そして、再び地上への門が開くその日を――アーサーとの約束の地へ帰れる10年後を、この子と共に静かに強く待とうと。


そして、巡りゆく季節を地下の灯火の下で数え続けてついに約束の時が訪れた。


生まれたばかりだったイスカは、今や10歳。

ドワーフたちに囲まれ、彼らの無骨な優しさと大地の恵みをたっぷり受けて真っ直ぐで健やかな少女へと成長していた。


「10年だ、娘よ。約束の門が開くぞ」


長老の言葉と共にあの懐かしい樹洞の奥から10年前と同じ不思議な光が差し込んだ。

それは、人間界へと繋がるただ一度の道標だった。


イスカにとって、この里のドワーフたちは家族そのものだった。

別れの時、彼女は泥のついた彼らの太い指を握りしめて溢れる涙を拭おうともせずに寂しかった。


ドワーフたちもまた娘の門出を祝いつつも鼻をすすり、自分たちの宝物を手放すような切ない眼差しを向けていた。

けれど、私はイスカの小さな手を強く引き、前を向いた。


「行きましょう、イスカ!あなたの、本当の故郷へ」


「うん!」


ドワーフたちに見守られながら、私たちはまばゆい光の渦の中へと踏み出した。


懐かしい土と風の匂い、そして、私を待ち続けているであろう「彼」の気配がする地上を目指して。


光の向こう側、10年前と同じ樹洞へと戻ってきた私たちの前には、もはやアーサーの姿はなかった


それから一年、私は風の噂を頼りにアーサーの行方を探す傍らこの手一つで娘を養うため私は個人でクエストを請け負いながら旅を続けてきた。


そんなある日のことだった。

「黒い炎」の調査任務を遂行していた道中、私は調査に加わっていた騎士団の一行と接触した。


そこで交わされた何気ない会話の中に、私の心臓を跳ね上がらせる名前が混じっていた。


「――ああ、「スカイホーク」の団長か、アーサー団長ならかつて魔王を倒した実力者だよな」


アーサー、彼が「スカイホーク」という名のギルドを運営して今もなおこの世界のどこかで生きている。その確かな情報を手にした私は歓喜した。


「―――それから「黒い炎』の騒動に巻き込まれて、ようやくここまで辿り着いたって訳」


マーリンが語り終えると、受付ホールはしんと静まり返っていた。


あまりに数奇で、しかしあまりに過酷な「空白の11年」の物語。

その重みに、居合わせた者たちは言葉を失っていた。


だが、その張り詰めた静寂を一人の無遠慮な声が切り裂いた。


「……なぁ。団長と同い年ってことは、計算上もう30代半ばだろ?なのになんでその、オバサンは見た目が若いままなんだ?」


エドラが、いかにも不思議そうに挙手をして問いかける。


そのドストレートすぎる疑問――というよりは女心を踏みにじる失言に、周囲の空気が一瞬で凍りついた。

マーリンの眉がびくりと動く。


彼女は無言のまま指先に小さな、しかし高密度の光を灯した。


「何だって・・・・・・・?」


直後、問答無用の光弾がエドラの胸元に突き刺さり、彼をホールの壁際まで容赦なく押し飛ばした。

派手な音を立てて転がるエドラを冷めた目で見やりながらマーリンはふう、と溜息をついて杖を収めた。


母としての強さは、時にこうした無礼者への制裁としても発揮されるようだった。


「エドラ、こいつは生まれつきこういう身体なんだ。余計な詮索はせず、察してやれ」


アーサーは呆れたようにエドラを窘めつつも懐かしさに目を細めてマーリンへ歩み寄った。


「アーサー!」


マーリンは、自分の身体の秘密をさらりと言ってのけたアーサーを口止めするように彼の名を呼ぶ。

その時、マーリンの背後でずっと固まっていたイスカが絞り出すような声を上げた。


「アーサーさんが・・・・・・・私のお父さん・・・・・・?」


戸惑いに揺れる娘の瞳。


アーサーは一瞬、そのあまりに眩しい存在に言葉を失ったようだったがやがて優しく微笑むと彼女の視線に合わせるようにゆっくりと膝を折った。


「まぁ、いきなり家族と言われて、最初は混乱するよな。・・・・・・正直に言えば、俺もそうだ」


彼は大きな手をイスカの頭にそっと伸ばそうとして少しだけためらい結局そのまま優しく視線で見つめた。


「だがな、急ぐ必要はない。少しずつ、ゆっくりとこの現実を受け入れていけばいいさ。俺たちが、これから失った時間を埋めていくんだから」


その穏やかな響きに、ホールの張り詰めた空気は、春の陽だまりのような温かさに包まれていった。


「いえ、違うんです!」

「なんていうか...その.....正直に言えば・・・・・・私、すごく嬉しいです! 魔王を倒した勇者様がお父さんだったなんて!」


緊張に身を固くしながらもイス力は純粋な憧れに瞳を輝かせていた。


あまりにも無垢なその肯定にアーサーは胸を突かれたような表情を浮かべた後、居たたまれなくなったのか照れ隠しに勢いよく立ち上がって頭を掻きむしった。


「と、とにかく! お前たちも・・・・・・・・家族として、今日からこのギルドの団員として、俺が面倒を見てやるからな!」


背中を向けたまま不器用に言い放つその言葉にマーリンはふっと微笑み、イスカは嬉しそうに何度も頷くのだった。


「エリー、空き部屋はまだあったよな?」


少し落ち着きを取り戻したアーサーがエリーに声をかける。


「はい、今後のためにと余分に用意しておきましたよ。『お父さん』」


エリーが茶目っ気たっぷりに微笑みながら答えるとアーサーの顔が再び真っ赤に染まった。


「誰がお父さんだ!」


「パパが照れてるぜ」


先ほど吹っ飛ばされたはずのエドラが、面白かって囃し立てる。


「しっかりしろよ、親父」


スノウまでが口端を少し吊り上げて追い打ちをかけた。


「お前らいい加減にしろ! 仕事に戻れ!」


ドワーフの里で静かに流れていた10年間とは対照的な騒がしくも温かい地上の喧騒、アーサーがこの1年の間に築き上げてきた絆の深さを感じながらマーリンは少しだけ目を細め、かつて抱いていた以上の安らぎをその輪の中に感じていた。

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